個性を伸ばす

次に松陰は高杉晋作を育てるために「晋作の見識、気迫をいかにしてうぬぼれや自信過剰にならないように育てるか」ということを考えました。そこで行ったのが、久坂玄瑞と競わせ、学問心、心理の探究心を起こさせたのです。玄瑞は晋作とはちがい、頑固さもなく、人に親しまれる人柄であり、そのうえ、学問に優れ、理性に勝ったところがあったのです。こういった二人が切磋琢磨することで、二人とも成長していくだろうと考えたのです。初めは不満感を持った晋作も、学業が進み議論が優れていく中で認められていきます。玄瑞においても晋作の見識を認めるようになったのです。二人が刺激し合い、学び合うことで心配することは無くなっていったと松陰は思ったのです。

 

個性的な人材が欲しい、上司と議論するくらいの人材が欲しいと思っていても、実際にそういった人材が来た時には手を焼きます。それどころか、上司好みになってしまい、かえって特徴や個性を無くしてしまったという場合もあります。このことは自分自身にも身に覚えがあります。結果的にその人物の個性が生かされず、発揮されなくなってしまうことがありました。しかし、こういった個性をもった人材こそ、磨かれることで玉になる可能性もおおきいと言います。そのため、松陰は子制を最大限に尊重し、短所をも大切にして、時間をかけて長所に変えていこうとする息の長い指導法が求められ、早急に結果を求める今日の人材育成法に多くの疑問を投げかけていると言えるのです。

 

人の短所を長所に変えるというのはとても難しいことです。そのためにはまず、自分の短所を自覚しなければいけません。自覚することで初めて生かされていくのです。息の長い指導法というものを松陰が行っていましたが、この方法の一つが「じっくりと時間をかけ、短所を自覚させ、長所に転換する」ということ、そして、二つ目が「自意識過剰にならないようにどう育てるか」ということでした。この二つ目の方法はどちらかと言うと高杉晋作においてはといった方法であり、それ以外の人にはそれ以外の方法を模索する必要があるのだろうと思います。重要なことは「変わることに期待をする」ということと、「いかに本人に考えさせ、自覚させ、モチベーションを持たせるか」ということなのだろうと思いました。

 

「自覚させる」というのは悪いことを自覚させるだけではなく、変わってきたことにおいても自覚させる必要があるだろうと思います。成長を実感するからこそ、モチベーションも上がってくるのです。それは「褒められるから」といった他律ではなく「実感」によっておこります。そして、「実感」が起きるためにはやはり他律で進められるのではなく、自主的、主体的に向き合っていなければいけないのだろうと思います。そういった巧みな関わりの質というものが管理者には求められるのだろうと思います。そして、それは管理者と言うだけではなく、保育者にとっても、子どもたちに関わる際持っていなければいけない資質でもあると言えます。