4月2021

因果マップと予測

子どもにも因果マップを描くことができることが分かってきました。マップを数値化し、それを使って、正確な予測や介入や反事実を生み出すことができるのです。では、実際因果マップを使用して、可能性を思い描き、世界を変えられることを確かめるために、どういった方法をとったのでしょうか。子どもも最新のコンピューターのようなプログラムを使っているということはどこから見えてきたのでしょうか。ゴプニックは一つの方法を紹介しています。

 

ゴプニックが紹介した方法は、まず、因果的なつながりをもった出来事を3,4歳に教え、その子がその知識をもとに予測を組み立てたり、そこに介入する方法を思いついたり、別の可能性を考えられるかどうかを試してみたのです。このやり方であれば、新たに提供された因果関係の知識つまり、新しい因果マップから組み立てた思考を取り出すことはできるのではないかと考えたのです。ゴプニックは工具店と大学院生の助けを借りて、「ブリケット」と名付けました。この装置は四角い箱で特定のブロックを載せると光がついて音が鳴ります。しかし、決まったもの以外のブロックを載せたときには反応しません。実験では、まず、子どもたちに「これはブリケット・マシンです。ブリケットで動くのよ。どれがブリケットなのか教えてくれる?」と話します。子どもはこの装置に興奮し、どんなふうに反応するのか、どのブロックがブリケットなのか、さっそく、調べます。ブロックを箱にのせ、強弱をつけて押してみたり、ひっかいて中になにがあるのか知ろうとしたりしました。

 

この実験で、どのブロックが装置を動かすブリケットかわかってくると、子どもはその情報をもとに、新しい可能性を思い描いたり、反実仮想におる予測もたてられるようになりました。最初の実験では、子どもたちにブリケットは1つしかないと話してから、そのブリケットを非ブリケットと組み合わせ、2つ一緒に装置に起きました。すると、装置は当然光が付きます。そのとき、4歳児の一人が、どんな哲学者も満足させられるような見事な反実仮想をしたのです。彼はこう言いました「ブリケットじゃなく、こっちのブロックだけ載せたら、悲観なかったよね」

 

この子たちに装置を動かしてちょうだい、というとブリケット1個だけを選びます。装置の止め方を聞けば、ブリケットだけ外すと答えます。誰かがそうやって止めるのを見たことがないにも関わらず、新しく得た因果関係の情報から、反実仮想をしながら正しい結論にたどりつくことができるのです。装置からブリケットを外すとどうなるかも、最初からブリケットがなかったらどうだったかも、正しく推論できます。

 

この実験の内容を見ていると子どもたちは普段の遊びの中で様々な「実験」と言われる「いたずら」をします。「これをこうしたらどうなるのだろうか」「こうなるのか?」といった子どもなりの見通しをもってまるで実験するかのようにいたずらをしています。一見、大人からすると困った行動のように思いますが、そこで行われている子どもたちの脳の発達においては、かなり高度なコンピューターの処理のようなことが子どもたちの頭の中で行われているのでしょう。「いたずら」も考えものですが、そこでの学びもあるのでしょう。子どもたちが遊びの中で行っている遊びにはこういった見通しや因果関係の知識を得ること、反実仮想で物事を予想することといったことを学んでいるのだろうと思います。これは先生が一方的に教えるといった一斉保育や先生が逐一教える保育では養うことができないものであるのでしょう。「遊び」が大切にされるべき大切な部分はこういった育ちの意図にもあるのですね。

赤ちゃんの脳とコンピューター

人の脳内には地図を思い描くことと同時に、その地図をもとにして、色々な予想を思い描くようなことができるとゴプニックは言います。つまり、こう変えたいといったような青写真を描くというようなことができるようになります。そして、他にも人の脳につくられる地図にはもう一種類、出来事の複雑な因果関係を表した因果マップを描くようになります。

 

たとえば、幼児は生物学的な世界の予測することができます。しかし、幼児は生死、成長、病気、食物など複数の要因を考えるのではなく、すべてを一つの力で表す生気論的な世界像を持つようです。その力は食べれば増し、病めば衰えます。成長につれて強まり、死ぬと失います。このような予想を幼児はするので、この理論に則り幼児なりに予測をしていきます。しかし、それは時に大人にとっては奇抜な予想になります。「食べていればずっと成長が続く」、「背の高い人は背の低い人より年上」といったようなものです。つまり、「ものを食べるのは力をつけるため」という理論を持っているが故、その理論に子どもなりに則った理由付けになるのです。このように幼児特有の生物学的な因果マップが脳の中にはあるのです。

 

もちろん、人間以外の動物においても、空間を写し取る脳内マップが作れるものはあります。しかし、因果マップも作成できるかどうかは定かではありません。動物によっては特定の因果関係を理解しているものもいます。たとえば、チンパンジーがシロアリの巣をつつくと中からアリが出てくるといったように、自分の行動が直後の出来事を引き起こすといったことを理解しているなどです。他にも特別に重要な因果的なつながり、たとえば、腐ったものを食べると吐く、といったことも理解しているかもしれません。しかし、そうはいっても、人間なら幼児での備えているような因果マップを動物は持っていないとゴプニックは言っています。

 

1990年代、クラーク・グリマー率いるカーネギー・メロン大学の科学哲学者たちが、科学理論を数学的に説明する研究をしました。同じ時期に、ジュディア・パール率いるカリフォルニア大学ロサンゼルス校のコンピューター科学者たちも、科学者がするような予測や提案のできるプログラム作りを始めました。これら二つのグループは因果マップについて同じ一組の概念にたどり着きます。それはマップを数学的に記述し、それを使って正確な予測や介入をおこなったり、反事実を生み出す方法でした。これは「因果グラフィカルモデル」(ベイズネット)と言われるもので、たちまち人工知能の領域を席巻し、因果関係をめぐる新しい哲学概念を想起することになったのです。つまり、コンピューター上で因果マップを作成できるようになったのです。

 

これによってコンピューターは科学者や子どものように洗練された反事実の推論ができるようになりました。以前、「ディープラーニング」という人工知能について紹介しましたが、現在のAIはかなりこういった過去の事例つまり、過去の地図を駆使して、深い推論ができるようになってきたと言われています。現在このように赤ちゃんや子どもが研究され、AIやロボットに応用され、研究されていることが多々あります。以前、京都であった赤ちゃん学会においても、赤ちゃんの動きからロボットの動きが研究されたり、赤ちゃんの心理からどのような認知が行われているのかを考える研究もありました。

 

認知科学において、私たちの脳は私たちが知るどんなコンピューターよりも優秀であるという考えが中心にあります。これは未だコンピューター科学者においても覆ることのない部分であるようです。もちろん、現在の技術において、人間の脳とコンピューターとでは、優れた部分と劣っている分があるそうですが、まだまだ、赤ちゃんの脳の方がコンピューターよりも優れているとゴプニックは言っています。

脳内マップ

ゴプニックは因果関係の理解と反実仮想との関係は表裏一体だと言っています。世界の仕組みが理解できているから反事実を作り出し、別の可能世界を探求することができるのです。逆に因果関係の知識が理解できていなければ、反実仮想はできないのです。穴のないリングを棒に通そうと四苦八苦していた15カ月児はどんな時にリングが棒に通るかを知らなかったのです。

 

ゴプニックは「子どもはごく幼いうちから因果関係の知識を持ち、それを使って未来を予測し、過去を説明し、現実と違う世界を想像します」と言っています。では、それを可能にしている心の仕組みはどういったものなのでしょうか。それは子どもは世界を説明する素朴な理論「素朴心理学」「素朴生物学」「素朴物理学」の理論をもっているという言い方で説明できるのではないかとゴプニックは言います。これらは科学理論と似ていますが、論文や学会で発表されるようなものではありません。ほとんどは意識にすら上らず、子どもの脳でコード化されているものであるといいます。このように理論のような抽象的なものをコード化できるのは子どもの脳において、意識にはのぼることのない因果マップ、世界の仕組み正確にとらえた地図がかけるからなのだそうです。では、それはどういったもので、子どもの頭の中でどのようなことがおきているのでしょうか。

 

脳には地図を描くことができる機能があると言います。それは人間だけではなく、リスやネズミですらどこになにがあるのかを脳の中に認知マップを作ります。そして、この脳内で作られたマップは紙の地図などとは違い修正がしやすく応用もききます。まさに、カーナビと頭の中の知識としての地図ですね。そして、こういった機能を司る部分はどこであるのかも大体わかってきているそうです。脳の海馬がその場所にあたり、その海馬を除去されたネズミは、それまで抜けられた迷路を抜けることができなくなります。

 

マップは予想図の下地となる青写真にもなります。つまり、地図としての役割だけではなく、地図が世界のありようを写しとったものなのに対し、青写真は逆に世界をこう変えたいという予想図になります。たとえば、地図がなければ、あてもなく目的地まで歩き、行き方が分かれば、一度通った道を繰り返し歩きます。それに対して、マップがあれば、行き方の予想ができるだけではなく、様々な生き方の中から最短ルートを見つけることもできます。つまり、具体的な地図としてのマップと最短ルートを探索する青写真が作れるのです。これと同じことが脳内でも起きているのです。

 

人の頭の中では、こういったマップ作りが行われているのですが、これと同じように人の脳の中には「因果マップ」つまり、出来事の複雑な因果関係を表したマップが作られることもできるようになります。そして、子どもの脳の中にもこのマップ作りはすでに行われているとゴプニックは言います。

因果関係の理解

子どもでも反事実をもって想像ができるようになることが分かってきました。そして、その想像ができるようになることと因果関係を理解する思想と密接にかかわっているとゴプニックは言います。そして、このことは過去に考えられていた子どもの理論とは違って、子どもでも因果関係を理解しているということが分かったきたというのを前回の内容で紹介しました。では、子どもたちはこういった因果関係をどれほどまで理解しているのでしょうか。

 

心理学者ヘンリー・ウェルマンは、一年の有給休暇を使い、何百人もの幼児の日常会話を記録したデータベース「CHILDES」を研究しました。すると、2,3歳位は一日に何十回も、因果関係を説明したり、質問していることが分かったのです。それは「そんなにひねるからくまちゃんの手が取れちゃった」「ジェニーは自分の椅子が壊れたからあたしの椅子をとった」といった物理的な因果関係、「あの子は手を長くしたいからたくさん食べる」「いじわるなタカはお肉が好きだから食べる」といった生物学的な因果関係などが出てきました。その中でも、最も多かったのが、心理学的な因果関係の説明でした。それは「僕いい子だから昨夜はこぼさずに食べたよ」とか「あの人が怖くてあっちに行けなかったの」というような事柄です。他にもかなり抽象的で目に見えない原因も、幼児は理解できることが分かってきました。たとえば、種子の成分が芽を出させること、目に見えない細菌が人を病気にすることを理解していることなどです。

 

また、子どもは空想の世界に論理を持たせることもするとゴプニックは言います。ポール・ハリスの研究では、空想のクマちゃんがお茶をこぼしてしまったため、後始末をした話をする子どもが出てきます。ごっこ遊びにも「あたしはママ、あなたは赤ちゃん」など一定の約束事を作り、子どもたちはそこから因果関係に導き出されるルールに沿って遊ぶこともあります。そのルールを守らないと抗議されることもあります。たとえば「盾で守ったんだからレーザー光線はあたってないはずだよ」とか「赤ちゃんなんだからミルク飲まなきゃダメでしょ」といったようなかんじです。

 

考えてみると、こういった子どもたちのルールややり取り、それを相手に伝えたり、共有したりという行動は2歳児にはもうすでに行われています。ピアジェの理論では、こういった抽象的な因果関係ができるということはできないと考えられていたことに比べると、ずいぶんと考えが違うということが見えてきます。もしかすると、私たちが当たり前と思っている子どもの理論は数年後や数十年後には覆されている可能性があるのかもしれません。

 

以前私が聞いた講演でも、ある研究者の方が「私たちの研究は現場のために行っているものなので、現場で使ってもらわなければ意味がありません。そして、その中でまた見えてきた疑問を我々研究者が研究するのです。そのためには現場で試してもらったり、使ってもらわなければいけないのです。」ただ、研究者のいうことを鵜呑みにして子どもを見ることが大切なのではなく、あくまで目の前にいる子どもたちを見て、研究された理論を活用していく必要があるのだと思います。

子どもの因果関係

ここ数年でヴィゴツキーやピアジェなど、子どもの発達理解について、いくつかの点が覆っているという話をよく聞きます。その一つがこれまでに紹介した子どもの因果関係の理解です。以前にも話に出てきましたが、発達心理学において、これまでは子どもには反事実も因果関係もほとんど理解はできないと考えられていました。子どもにとっては直接的な知覚体験がすべてで、出来事は連続して起こっているだけで、因果的関連はわからないのだと考えられていたのです。特に、科学の本質をなすような目に見えない因果関係、たとえば種子の中の栄養成分が芽を出させる、細菌が人を病気にする、磁石が砂鉄を動かす、隠れた欲望が人を動かす、といったことは子どもには理解できないと考えられていたのです。ピアジェはこういった意味で、就学前の幼児を「前因果的」と言っていました。

 

しかし、この20年でこの考えは覆ったとゴプニックは言っています。ゴプニックはこのことに対して、ピアジェの研究における質問に課題があったのではないかと言っています。ピアジェは子どもに質問するときに、子ども自身はよく知らない、因果関係のある現象について聞くものばかりであったようです。それは「夜になるとなぜ暗くなるの?」「雲はなぜ動くの?」と幼児に質問します。これらの質問は子どもの興味は引きますが、難しい現象についての質問です。そのため、聞かれた子どもたちは返答に窮し、答えられても、子どもらしい論理によるもの、たとえば「暗くなるのは寝るため」「雲が動くのは私が動けばいいと思ったから」といったものになったのです。ただ、これは大人から見れば、ほほえましいですが間違いです。

 

しかし、最近の心理学研究では、子どもに質問する場合、子どもに馴染みのあることを聞くようにしています。「ジョニーはお腹がすいたとき、なぜ冷蔵庫を開けたの?」「三輪車はなぜ動くの?」といった質問であれば、2歳の子どもでも正しく答えるのです。「冷蔵庫に食べものがあると思って、食べたいと思って、食べられるように、あけたの」と言ったように中には丁寧に因果関係を説明してくれる子どももいるのです。

 

ゴプニックは「なぜ?どうして?」と言ったように幼児が何でも聞いてくるということ自体、物事の因果関係に強い関心を持っていることの結果ではないかと言っています。

 

ピアジェの研究というものをそれほど詳しくは知りませんでしたが、確かに質問の内容を見てみると果たして大人でも明確に答えることができるだろうかと考えてしまいます。それと同時に、子どもたちの発想での答えの発想の秀逸さにも逆に驚きます。単純に「因果関係」といっても日常にはたくさんありますし、予想や予測をするためには、因果関係を理解がなければできなければできないことは多々あります。特に、現場の赤ちゃんを見ているとその姿はよく見ます。説明されれば当たり前と言えば当たり前なのですが、その読み取り方次第でこうも解釈が変わってしまうのだということが分かります。そして、その根底には赤ちゃんが「白紙で生まれる」のか「有能な状態で生まれてくる」のか、その前提となる見方によって解釈も大きく変わってくるように感じます。