11月2020

高等専門学校と教科横断

アンドレアス氏は「イノベーションと問題解決には、異質なものを組み合わせ、つなぎ合わせ、今までにない想定外のものを想像することが重要である」と言っています。そして、そのためには「オープンマインド、今まで関係なかったアイデアの結合を含み、さまざまな分野に精通していることも必要なことだ」と言っています。それは一つの事柄について学んでいるだけではつく力ではありません。総合的な分野の知識も知っておき、なおかつ、関連付ける力も必要になってくるのです。そうすることで独創的なスキルが得られることになるというのです。では、そういった力をつけるにはどうしたらいいのでしょうか。PISAはそのために、生徒が学校の教科の枠組みを超えて考えることが必要だと考えていました。しかし、実際に教科横断的な課題を解決することの困難さが見えてきたのです。

 

そういった教育の実現はできないのでしょうか。アンドレアス氏は「それでもいくつかの国では、教科横断的な能力を育成しようとしている」と言っています。その例として、日本の国立高等専門学校機構(高専機構)を挙げています。2018年にアンドレアス氏は高等専門学校の東京キャンパスを視察したそうです。そこでは実践的で協働的なプロジェクト学習が多いため、一見するとキャンパスは専門学校のように見えたそうです。しかし、高専は別物だといいます。アンドレアス氏は「全国51の高専は実際には日本で最も精選された高校やカレッジの一つであり、そのカリキュラムは技術や科学と同じくらい一般教養も重視している。卒業生の約40%は、大学に進学して学び続ける。高専から直接就職する生徒は、日本で最も引く手あまたのイノベーターやエンジニアとして平均で一人当たり20件もの旧人を得ている」といいます。

 

では、その高専の特徴はどういったところにあるのでしょうか。それは「教室での学習と実践的なプロジェクト学習のユニークな一体」であると言います。そこでは学習は教科横断的かつ学生中心であり、教員は大荷コーチやメンターの役割を担っているのです。それは世界中の学校で流行しているような、人為的な1週間のプログラムでは無く、生徒のアイデアを発展させ、実現するために数年間を掛けてプロジェクトに取り組むような形になっているそうです。このような彼らの実践の成果はお蔵入りにならず、日本発のイノベーションの一つとしてインキュベーター(起業を支援するもの)の支援により商品化されることも珍しくないのです。このようなプロジェクト学習は最近になって注目されているが、高専では1960年代からすでに実施されているのです。

 

では、その他の学校ではどうだったかというと、1990年代後半には日本では総合的学習の時間によって、教科横断的な学習を導入しようとしたが、教育現場での実践には十分に組み込まれず、テストで教科ごとの知識を重視する中等教育では、その影響は限られました。

 

「関連付ける力」というのは今の時代重要視されているようです。しかし、「教科」として分かれてしまうと、なかなか総合的な教科としてはできにくいのかもしれません。保育においても「5領域」がありますが、見ているとどうも切り分けて考えられることも多いように思います。しかし、それらの力は総合的であり、密接に関わっています。

教育システムの再構築

これからの仕事は、人工知能と人間の社会情動的スキル、態度、価値観を結びつけるものに変わってくると言われています。そして、人工知能を利用し、新しい価値観を生み出せるようにしていくことが求められます。こういった社会に求められるスキルが変わってくると教育で施される知識も変わってきます。

 

生徒にとっては有効期限が限られた内容を習得する(知識の習得)のではなく、学問分野の構造的および概念的な基礎を理解すること(方法論の習得)が重要になる。たとえば、数学では、私たちが数学を学ぶ方法と理由を知り(認識論的信念)、数学者のように考え(認識論的理解)、数学に関連する実践を把握(方法論的知識)する必要があるというのです。つまり、ただ、知識として学習するのではなく、「なぜ、何を、何に使うために」ということを学ぶことが必要だというのです。これは数学に限った話だけではなく、他教科にも通じることであり、教育の本質ではないかと思います。

 

「2015年のPISAの科学的リテラシーは知識と理解を重視し、例えば科学において生徒が知っていることだけではなく、科学者のように考えることができるかどうか、科学的思考を重視するかどうかを重視した」とアンドレアス氏は言っています。しかし、その結果は各国によって、そして地域内でさえも著しく違っていることが見えてきました。台湾の生徒は科学的リテラシーで最も優れた成績を残したが、相対的に見れば、科学者のように考えることよりも科学的な知識を再現することが得意であった。一方でシンガポールでは、知識においては台湾と同程度だったが、知識よりも科学者のように考えることが求められる問題でさらに優れていた。オーストリアでは、科学的な概念を理解するよりも科学的な事実の知識において優れていた。フランスでは逆に概念的な知識が優れていた。

 

このように科学的リテラシーとして同じように成績が優れて、似たような国においても、教育政策と教育実践が生徒の学習成果に違いをもたらすのが分かってきたのです。この結果を受けて、政策立案者や教育者は、概念や認識の深い学びに重点を置くようにカリキュラムや教育システムを再構築することが期待されます。

 

単に成績を上げるだけでは、深い学びには伝わっていきません。その教科がどういった意味があり、どのような学びが社会にとって必要とされるのか。アンドレアス氏がいう構造的で概念的な基礎的な学びとはどういったものであるのか。こういった中心となる学びの本質をとらえたうえで、教育も進めていかなければいけないのであって、保育はその入り口であります。とすれば、もっと本質的に学びにつながる姿勢を作っていかなければいけない時代を預かることになります。だから、主体的に遊ぶことや遊び込む環境が必要になってくるのでしょうね。

学び方を学ぶ

何度もこのブログでは取り上げてきましたが、今後この世界において、AIの技術革新によって多くの仕事が無くなるであろうことが言われています。それは定型的な認知スキル、つまり、暗記ができるようなものはまさしくデジタル化、自動化やアウトソーシングするのに最も適したスキルになるからです。とはいえ、学問分野における最先端の知識とスキルが常に重要であることは間違いありません。イノベーティブで創造的な人々は、その分野の知識や実践においての専門的なスキルが必要なのです。問題はどのようにその知識を使うのかということを考えなければいけません。

 

アンドレアス氏は「『学び方を学ぶ』スキルが重要とされるように、私たちは常に何かを学ぶことによって学んでいる。しかし、教育の成功とは、もはや知識を再現することではなく、私たちが知っていることから類推し、その知識を新しい状況で創造的に適用することである。それは学問分野の境界を超えて考えることもある。誰もがインターネット上で情報を検索し、多くの場合、回答を見つけることができる。その恩恵を受けるのは、その知識で何をすべきかを知っている人である。」これからは「学ぶ」という意味をよく考えなければいけない時代になってくるようです。これまでのように暗記による知識はインターネットなどのツールによって、意味をなさなくなってきます。

 

「OECDの学習到達度調査の結果は、生徒が取りくむ問題がより複雑になり、より定型的でない分析力を含むようになるにつれ、記憶に偏った学習方略がますます役に立たなくなることを示している。これこそまさにデジタル化が私たちの実生活での仕事を奪っていることを意味する」とはっきりと言っています。では、これからはどういったスキルを育てるような学習が必要なのでしょうか。それは「新しい知識を身近な知識に結び付け、新しい解決策や知識をどのように転移するかを発散的かつ創造的に考えるプロセスを入念に練り上げられた学習方略」であると言っています。デジタル化された知識をうまく関連付け、新しい知識を使い、問題を解決していくようなことが必要とされるのです。

 

「将来の仕事は人工知能と人間の社会情動的なスキル、態度、価値観を結びつけるだろう。そして、私たちのイノベーション能力、私たちの認識、私たちの責任感とは、人工知能の力を利用してより良い世界を実現することである。それは、人間が新しい価値を生み出せるようにするものであり、本質的な価値がある。それは、失敗を恐れずに試すことができるという、もっとも広い意味での起業家精神を示唆している」とアンドレアス氏は言います。

 

このことから見ると、これまでの教育で求められてきた知識とはこれからは違ってくるということが見えてきます。どうやら、これからは「社会情動的なスキル、態度、価値観」といったところに、より重点が置かれていくようなことが言えるのですね。「ただ学ぶ」というのではなく、「学んだことを、どう使うのか」といったことがより重要な意味を帯びてきます。それに応じた、教育形態や保育形態を考えていかなければいけません。そして、こういった教育や保育の実現は現場側にこそ、これからの社会をしっかりと理解することが先決なのだろうと感じます。

レジリエンス

子どもの教育の重要性は社会関係資本における基礎的なスキルの問題だけではなく、持続可能性といった課題もあるとアンドレアス氏は言っています。これは30年前のブラントラント委員会によって宣言された目標、すなわち「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在のニーズを満たすように開発することは、環境悪化、気候変動、過剰な消費、人口増加に直面して、これまで以上に重要性を増している。」ということです。アンドレアス氏はこのことについて、「私たちの最善の考えの多くは、持続可能な都市の建設、環境に優しい技術の開発、システムの再設計、個々のライフスタイルの再考にすでに焦点をあてている」と言っています。このように持続可能な開発目標に入れられた課題は緊急ではないが重要な項目となっているのです。

 

持続可能性は世界を均衡させることをめざすが、レジリエンスは常に不均衡な世界に対処する方法を模索しています。認知的、情動的、社会的なレジリエンスと順応性を強化することは、教育システムの事実上すべてに影響を与えるため、おそらく現代教育にとっても最も重要な課題としてアンドレアス氏は伝えています。つまり、レジリエンスは性格的な特徴ではなく、学習や開発が可能なプロセスであるという理解から始まる。21世紀の予測不可能な混乱において教育は、人々、地域社会、組織が持続し、おそらく繁栄していくのに役立つだろうというのです。

 

この「レジリエンス」という言葉は最近ではよく聞くワードです。意味としては、跳ね返り、弾力、回復力、復元力といった言葉です。よく心理学ではストレスと一緒に出てくることが多く、ストレスに対しての対処、対抗する力として使われることが多いです。先にでた社会開発資本が仮に不利な状況であっても、それに対抗する力というのも同様の意味をいっているのでしょう。

 

この「レジリエンス」というのが弱くなっているというのは最近でもよく言われることです。それだけ社会に出た後に、仕事や職場生活に強いストレスを感じる人が多いのです。うつ病の増加や自殺者、仕事を長く続けられないなど、ストレスに対する抵抗力が弱くなっていると言われています。ましてやこれからの社会、より考え方も多様になり、柔軟な考え方がもとめられます。難解な問題も多く出てくるでしょう。そういったときに、自分がどういったことができ、悩みに対してもポジティブに考えられる姿勢が求められることが多くなります。そして、それが学習や教育にとっても重要な課題と言われる中で、どういった環境が必要となってくるのでしょうか。このことを突き詰めながら考えていく必要があります。

社会関係資本

アンドレアス氏は「社会経済の世界では、質問は公平性と包摂性をもたらす」と言っています。この「質問」という文脈が私は少しわかりにくく感じましたが、「疑問」という言葉に読替えると理解しやすいように思います。つまり、常に疑問を持って社会経済を見ていくことで、公平性をもたせる必要性と包摂性(弱い立場のある人々も含め、市民一人ひとりが社会の一員として、支え合うこと)をもたらすということができるようになるというのです。

 

そして、私たちは経験、文化的規範、共通の目的又は職業を共有する家族や他の人々への帰属感といった「接続型社会関係資本」と呼ばれるものを持って生まれる。しかし、これからの社会経済において経験、アイデア、イノベーションを共有し、多様な経験と関心を持つ集団間で共通理解を築き、見知らぬ人や機関に信頼を広げていく「橋渡し型社会関係資本」を作り出すためには計画的で継続的な努力が必要であると言っています。

 

これからの時代においては多様性を持たせる社会や持続可能な社会ということが言われています。こういった社会のために「橋渡し型社会関係資本」を作り出す必要があるというのです。このような社会関係資本の橋渡しと多元性を尊重する社会は、どこからでも最高の才能を集め、多様な視点を積み重ね、創造性とイノベーションを育むことができるようになるため、常に創造的なのです。現在、様々な技術革新が起きている中で、世界的に有名が企業の多くは多様性が尊重されているように思います。偏見をなくし、それぞれの才能が尊重される社会であれば、より一層の発展した社会がもたらされるのは想像に難くありません。しかし。アンドレアス氏は多元性と多様性という価値観への幻滅が広がっていると言っています。このことは「内向き」のポピュリスト政党の登場を含む、政治的な状況からみられるというのです。最近でも、アメリカの大統領が変わりましたが、人種差別問題がやはりあがっていました。また、アメリカの経済の発展のためだけがクローズアップされ、他国との協調というところは重視されない背景が見えてきました。しかし、これは驚くべきではないとアンドレアス氏は言っています。

 

世界経済が一体感を増すことで全体的な生活水準は大幅に改善されたが、知識とスキルが高い人と低い人との間で仕事の質の格差を広げたというのです。OECDの国際成人力調査によると、OECD加盟国には10歳の子ども相当の読解力のような最も基礎的なスキルを持たない労働者は2億人以上もいるようです。まだまだ、世界では教育は包摂性といった課題からは逃れられていないのです。日本においても、この教育格差というのは問題にあがることがよくあります。

 

そこには社会関係資本のあり方に問題があるのではないだろうかとアンドレアス氏は言っています。社会関係資本が弱まり、市民社会が繁栄するための必要条件が損なわれることで共同体に不平等が生まれます。多くの人は普通に豊かに生活する人生を送る一方では、戦争による移民や生活困窮によって豊かな国に移民しようとするといった、何百人もの人々が生活環境の変化に苦闘しています。その状況は現在の生活の変化に怒りを感じ、混乱させられ、自分たちが誰なのか、自分のいる位置はどこなのかといったアイデンティティに疑問を感じているのです。アンドレアス氏は「私たちは単純化された解決ではなく、想像力とイノベーションで機会のギャップを埋める努力が必要である。そして、共通の人間性を理解するための努力も必要である」と言っています。これからの社会において、日本も労働人口確保のために海外の労働者を受け入れていくことが予想されています。

 

つまり、日本においても社会関係資本の考え方は決して無縁の話ではないのです。そのときのために、教育や保育は備えておかなければいけないのです。