変革と適度なバランス
新しい21世紀型のカリキュラムは今とは大きく異なってくることが予想されていますが、なかなかそれが進んでいるようには思えません。教育の変革には当然それを妨げる反対勢力が同じくらいあるからです。
このことについてアンドレアス氏は保護者については「子どもがテストで不合格になることを心配する保護者は、より少ない労力でより多くの成果を約束するいかなる方法も信用しないかもしれない。」といっています。つまり、テストの点数ばかり気にして、将来に必要な力に目を向けないことがありえてしまい、なかなか変革が起こしにくい。教員に対しては「教員と組合は、社会情動的スキルのような主観的な内容を教えることを求められれば、彼らが教える内容だけでなく、彼らが誰であるかについても評価されなくなると心配するかもしれない。」これは子どもたちが主観的に動くことで、先生が必要なくなるのではないか、教科を教えるというのはある意味で仕事をはっきりと与えられているということともいえ、その存在価値を消されてしまうのではないかといった懸念。学校管理者や政策立案者に対しては「成功の指標が簡単に定量化できる内容面での知識から、生徒が卒業するまで完全にはわからない人間の特性に変わると、もはや学校や学校システムを管理できなくなると感じるかもしれない」といっています。これは現在のセンター試験のマーク―シートを記述式にすることに対して、「どう評価するのか。採点者によって変わるのではないか」といった議論が起きていることから見ても見えてきます。
こういった懸念に対処するには、現代のカリキュラムの設計と評価に対する大胆な挑戦が必要であり、卓越したリーダーシップが必要であるとアンドレアス氏は言っています。そして、それは理解の深さを優先し、学習への幅広い関与を促すために、地域社会全体から研究計画への理解を得ることを含んでいます。
では、変革することにおいては、どういったところに目を向け、考えていかなければいけないのでしょうか。新しい内容を追加することは、教育システムが新たな要求に対応していることを示す簡単な方法ですが、内容を削除することは難しいのです。これは日本でもありました。なかなか新しい教育形態と今ある形態との適度なバランスを持たせるのは難しいのです。
このことについてアンドレアス氏は、昨今のプログラミングの授業に関しても話に出しています。たとえば、テクノロジーが進んだ世界における困った質問は、生徒がプログラミングを学ぶべきかどうかが議論に上がりますが、今日の問題を解決するために、今日の技術を生徒に教えるにはリスクがあるのです。なぜなのか、それは生徒が卒業するまでに学んだ技術は陳腐化するかもしれないからです。このようにスピード感のある今の時代において、学ぶことや学び方は大きく変わらざるを得ない時代なのです。そして、保育や教育の求める視点というのも従来のものよりも大きく変わっていかなければいけないのかもしれません。