5月2020

これから必要なもの

これからの社会はどうなっていくのでしょうか。今回の新型コロナウィルスで、教育の現場も大きく変わってくるようです。リモートでの授業の推進、パソコンやスマートフォンを使った授業形態に変わっていくことなど、授業のあり方も新しいものになってきます。保育でも動画を子どもたちが見えるように配信することが多くなりました。ただ、こういった新しい方法において非常に危惧していることもあります。その一つはヒトと関わることが極端に少なくなるということです。社会性を養う機会が少なくなることは非常に危惧するところです。また、最近、教育や保育の分野において「非認知スキル」が注目されています。これは以前ポール・タフ氏の本にも取り上げられていた内容でした。

 

森口佑介氏は自身の著書「自分をコントロールする力」で非認知スキルは「将来の目標のために、目の前の困難や誘惑を乗り越える力」と表しています。そして、そのためには自分をコントロールする力が必要になってくると言っています。そして、この力はいわゆる「頭の良さ」とは違ったタイプの能力であると言っています。一般的に頭の良さとはどういったことを意味するのでしょうか。多くはどれだけ知識を持っているのか、どれだけ早く問題を解けるのか。与えられたじょうほうからどれだけ推測することができるのか、などを指すのではないでしょうか。こういった頭の良さは専門的には「認知的スキル」と呼ばれ、いわゆるIQ(知能指数)はこの典型的なものです。

 

一方で、目標のために自分をコントロールする力は、頭のよさとは直接的に関係はしません。そのため、認知的スキルとは異なる能力という意味で「非認知スキル」と言われるのです。そして、これは「社会情緒的スキル」とも言われます。非認知スキルは、自分をコントロールする力のほかに、忍耐力、自信、真面目さ、社交性など、さまざまなスキルを含みます。

 

私はこの非認知スキルというのは学業ではなかなか身につくことが難しい分野であると思いっています。小学校が道徳の授業化がされていますが、座学だけで差別はなくなるのでしょうか。道徳の授業を受けたからといって、道徳的な人間になるのでしょうか。私はこういったコミュニケーション能力というのはやはり人との関わりの中で養われてくるものだと思います。そして、このコミュニケーション能力というものも非認知スキルの一つであると思っています。そして、この考えこそが、リモート学習や保育における一斉保育の危険な部分ではないかと思うのです。なぜなら、そこには対話はなく、一方的な情報の伝達になる可能性があることや、先生と子どもといった限られたコミュニケーションになりがちからです。

 

しかし、実際のところ、非認知スキルの中には、IQとは異なり、測定することができないものも多数含まれます。そのため、大事とは言いながらも、科学的な研究に裏付けられているとは限らないのです。その中でも、森口氏は自分をコントロールする力が将来にとって大事な力だと言っています。

寿命をのばす

祖父母世代が孫の育児に関わることで、心身の健康にはどういった効果があるのでしょうか。これについて孫への育児参加が祖父母にとってどう影響するのかについて、中高年のメンタルケアなどを専門にしている大阪大学人間科学科招聘教授の石蔵文信医師が紹介されています。孫との育児にかかわることは、体力的にも経済的にもきついものがあり、自由時間が奪われることもあり、「孫疲れ」という言葉も出てきています。このように孫と関わることはいいことだけではなく、悪い部分もあります。しかし、見方を変えると違った見え方もあります。60歳以上の患者に一番多い悩みはどういったことがあるかというと、食欲がわかない、睡眠がしっかりとれないというものが多く上がってきます。じっとしているばかりでは当然、食べる気も起きないし、睡眠もそれほど必要になってきません。そうすると結局、食欲増進剤や睡眠薬などを服薬し、さらに体調が悪くなったりします。世話で疲れることによって食事も睡眠もしっかりとれるというメリットも裏を返せばあるということがいわれています。

 

では、どういった関わりを孫としたらいいのでしょうか。子どもが小さいうちは体を使う遊びが多いが、祖父母が遊び方を提案しても、子どもはその通りにはしてくれません。子どもに合わせて、呼ばれたら近くに行き、やってといわれたらやるという方法でいいと石蔵氏は言います。悪い疲れ方は子どもに対してイライラすること。時間に追われて、子どもをせかし、イライラすることも多い働く世代の両親と違い、祖父母は時間に余裕があるのがメリットであるのであって、時には子どもの寄り道に付き添い、余裕を持った行動を見てやればいいというのです。

 

また、以前にも紹介したように、孫育てが「認知症」の予防にもつながる可能性があるというのです。小さい子どもは視力も聴力も記憶力も優れています。興味のあるものを見つければ追いつけないような速さで走り出すのです。たかが、子どもと考えず、一人の人間として接することは、祖父母にとってもいい刺激になるのです。また、最近では高度経済成長期に子どもの育児は妻にまかせっきりで自分は仕事ばかりしていたというケースが今の祖父たちに多いが、祖母たちにとっては自分の育児期の恨み辛みが熟年離婚や「夫源病」(夫の言動や束縛がストレスになり、妻が不調をきたす状態、石蔵氏が命名し、話題を呼んだ)につながる現象も起きているのです。そのため、これまでは忙しくて育児を支えられなかった分、男性は孫育てを支えるといい。孫を世話することで家族の予定を把握し、連絡を密にとるので、家族の絆の深まりや会話も多くなるというのです。孫が来ると強制的に動くようになり、億劫であり、何もしない状態ではなくなります。それ自体が、祖父母世代にとってはいい刺激につながるのです。

 

最近では、少子高齢化社会につながった背景には何か意味があるのではないかということが言われています。そして、祖父母の存在、特に人間の場合、女性には「閉経」があります。それの意味は、赤ちゃんを育てるために閉経後から寿命までの期間があるのでないかという話もあります。そして、その役割は仕事をする両親世代からは非常に大きなサポートとなります。よく3歳までは母親が見なければいけないという風潮がまだまだありますが、本来のところ、人が3歳まで母親と一対一で一緒にいなければいけないという形態は、人の生存戦略から見ても、ここ数十年での話です。本来は赤ちゃんは家族を含め、社会の中で育てられてきたのです。結局のところ、そういったような環境下で子どもを育てることが健康においても、良い影響を及ぼすのですね。

アジアの子育て事情

日本では世代を超えて、比較的「祖父母の子育て」に肯定的な認識を持っている人が多いように見えるというのは韓国の国際交流コーディネーターで通訳のリ・ナオルです。韓国では「子育ての作業の終わり、そして、子どもの子どもを育てる作業の始まり」というCMが流れるくらい孫育ては祖父母が行っているのです。そのため、孫を持つ世代には負担の重さを、そして、子どもの世話を親に任せている世代には「親に申し訳ない」という罪悪感を思い起こさせるようなCMが生まれるのです。こうした祖父母から何らかの育児支援を受けている家庭37.8%であったと2018年全国保育実態調査で表されていました。こうした祖父母の孫育ては祖父母世代にとって生きがいになる一方で、負担やストレス、教育方針の違いからくる子どもとの摩擦などネガティブな影響も話題に上がっています。

 

では、日本ではどうなのでしょうか。日本では世代を超えて、比較的「祖父母の子育て」に肯定的な認識を持っている人が多いように見えるとリ・ナオルは言います。内閣府の「家族と地域における子育てに関する意識調査」(2014年)によれば、子どもが小学校に入学するまでの間、祖父母が育児の手助けをすることが望ましいかとの設問に「望ましい」と答えた割合が78.7%に達しています。

 

これを韓国との比較で考えてみると、日本では韓国に比べ同居しながら孫育てをするケースが少ないということも、負担感の低さにつながっているのかもしれないということが見えてきました。韓国の場合は祖父母と孫の同居率は20%を超えるが(2015年韓国統計庁調査)、日本は6.7%(2015年第一生命経済研究調査)というデータもあります。当然、同居のほうが祖父母世代、父母世代ともにストレスを感じる可能性は高まるでしょう。ちなみに韓国でも、同居での子育ての割合は減少傾向にあるそうです。

 

また、日本では韓国人よりも日本人のほうが、家族といえども一定の距離を置きながら付き合うということに慣れている面があるように見えます。

 

では、次に中国はどうなのでしょうか。女性の就業率が日本は51%、韓国では53%と同程度なのに対し、中国は61%と高い推移があります。社会主義の仕組みの中で、夫婦共働きが一般的だったためと考えられます。しかし、0~3歳児をもつ中国人女性の悩みは比較、「産休は半年しかもらえず、父母は退職前で面倒を見てくれず、幼稚園は3歳から。どうすればいいのでしょうか。仕事をやめなければいけないのでしょうか」といった若い母親のインターネットの書き込みが目立つといいます。中国も子育て関連の公的支援が充実しているとは言えないようです。多くは祖父母に頼ったり、ベビーシッターを雇ったりしているそうです。

 

リ・ナオルはこうした中国の実態を受け、1990年だにヒラリー・クリントン米大統領夫人(当時)が書いた『(子育てには)村全体が関わる必要がある』という本を思い起こされると言っています。子育ては両親はもちろん、祖父母、そして保育所などの教育機関と、多くの大人が関わってやっとできるものだというのです。曽部母に過重な負担がかからない形を探ってこそうまくいくのではないかとリ・ナオルは言っています。

 

確かに、祖父母が子育てに参加するのは有益な部分があるのだろうことはわかりました。しかし、その反面、同居など近すぎるのは双方にとってもストレスにもなるようなことがアジアの子育ての実態から見えてきます。最終的には、祖父母においても一つの「人的環境」であり、子どもを取り囲む、地域や教育機関においても、各々の役割があり、その中で子どもたちを育てることの必要性が見えてきます。その過程は、人は社会の中にこそ、子育ての本質があるということが同様に見えてくる気がします。「誰が育てる」ではなく「みんなで育てる」という意識は、子どもの育ちだけではなく、両親や祖父母にとってもいい作用を生むのですね。

それぞれの役割

 

高齢者が孫との交流で起きる身体機能の向上があげられるといわれています。一つは社会参加の機会が増えることです。そして、社会参加の機会が増えることで、幸福感や認知機能の向上をもたらすことにつながるというのです。これはオーストラリア在住のジャーナリスト、デボラ・ホジソンの記事ですが、オーストラリアの「女性の健康的な加齢プロジェクト」の報告では、約200人の女性について、認知症リスクの検査結果を20年にわたり追跡調査したら、定期的に孫の世話をする人のほうが認知力は高かったというのです。

 

なぜ、こういった認知力が高くなったのでしょうか。同プロジェクトに参加するメルボルン大学医学部のカサンドラ・サーケ准教授は「子どもの世話をすると、人は幸せな気持ちになる。それが認知症リスクの低減につながる」といっています。認知症リスクとなるのは喫煙や肥満と同様、孤独や孤立は認知症のリスク要因となるといわれており、家族と触れ合える喜びが意識を鮮明に保ってくれるから、認知力が高くなったのではないかと言われているのです。

 

子どもたちにとっても、祖父母は自分を幸せにしてくれる力を持つ存在としてあるようです。孫育てに関するベストセラーのある精神科医のアーサー・コーンヘイバーによると、祖父母による孫への「無条件の受容」は大きな意味を持つといっています。そして、高齢者と子どもはお互いに必要とし合い、「孫育て」こそもっとも純粋な無条件の愛のカタチだと言っています。実際、家族のカウンセリングに(両親だけではなく)祖父母も参加すると、子どもが急に心を開いてくれることがあったとコーンヘイバー自体もそういった経験をしたそうです。

 

また、赤ちゃんの発達に必要な多くのものと同様に、祖父母との関わりも0~3歳くらいまでの時期が最も重要だとコーンヘイバーは言っています。この段階は赤ちゃんが想像力豊かな子どもに育つうえで大切な時期です。その過程で祖父母にできることは、「遊び心と想像力の持ち主として孫に接すること。」共働きの両親に比べ、祖父母は時間的に余裕があります。だから子どもが新しい経験をし、それを消化し、記憶に刻み込むまで、じっくり待ってあげられるのです。つまり、祖父母は子どの想像力を養う良き「魔法使い」の役割を果たせるのです。

 

もう一つの役割として、「無償のインストラクター」としての役割です。子どもにとって、祖父母は自分(子ども)の両親の生い立ちや先祖の歴史を知っている人です。そのため、子どもが両親から自立したがる年齢になると祖父母は孫の「大切な秘密」を守ってくれる信頼できる友、あるいは共犯者の役を担うようになれるのです。ほかにも孫が釣りや編み物など趣味を見つけるようになると忙しい両親に変わって、関わることができます。これが「無償のインストラクター」ということになるのです。

これらのように祖父母ができることはたくさんあります。とはいえ、子育ての中心は両親であり、子育ての中核に手を出すのは控えたほうが良いとコーンヘイバーは言います。

 

子どものケアにはいくつもの「層」があり、それぞれが別な役割を果たしている。だから、その層を突き破ることは望ましくないというのです。親が不在でない限り、祖父母は親の層を侵害するべきではない。祖父母に親の代わりをしてほしいと願う子はいない。むしろ(親に内緒で)冒険の仲間になってほしいと思っている」というのです。

 

確かに、考えてみると祖父母は親の代わりになることはありません。しかし、親に秘密でおもちゃを買ってもらったり、特別な役割として祖父母の存在は子どもにとってはありがたい存在でもあります。逆に両親とだけ一緒であると、それはそれで窮屈な部分はあるのかもしれません。

育児と高齢者

少子高齢化は今の社会において、かなり大きな問題になっています。子どもが少なくなってくるというのは非常に問題です。それは社会を維持できなくなってくるからです。増えていく高齢者、その人たちを支えるためにある年金制度、今でもこれから社会に出ていく若者たちは年金がもらえるのだろうかということが先を見た問題として挙がってきていますが、その一方で、高齢者が孫と関わる機会というものに大きな意味があるということも言われています。このことについて「News Week 3月号」に紹介されていました。

 

まず、これまでの祖父母の役割といえば、家族の「長老」としての役割です。一族の歴史を語り、処世術を教え、小さな子に楽しい時間を過ごさせ、時には内緒ばなしを聞いてあげる、一方で、孫の親(自分の子ども)に対しては頼れる相談役となり、子育てを応援するといった役割です。それと同時に、孫の世話をするということは、乳幼児のケアから育児全般にわたって知識を更新しなければいけないのです。安全、しつけ、栄養、テレビやゲームの制限などなど。今の時代はこれまでの時代より、社会の変化も大きく、孫と関わることにおいても学ぶことも多ければ、アップデートしなければいけない部分も多くあるといいます。

 

しかし、医学の進歩や生活スタイルが昔とは異なり、今の時代の高齢者は元気な方が多いです。そのため、これらすべての役を元気にこなせる賢い高齢世代が多くこれは人類史上初の時代ではないだろうかと言われています。今の高齢者は孫とサッカーに興じれる人もいれば、たいていは親世代より裕福だから、我が子の住宅購入を援助することもできる。孫のピアノ教室代も払えるかもしれない。今の時代だと離れていても、インターネット通信アプリを使い、子どもたちとリアルタイムにつながることにも繋がることすらできます。

 

初めて孫を持つ年齢は年々上昇しているが、退職年齢を過ぎても仕事を続ける人が増える一方で、単身家庭の子育てを献身的に支える人も増えています。とはいえ、祖父母の立場は千差万別で、フルタイムで孫の面倒を見る人もいれば、すっかり疎遠になって孫と顔を併せない人もいるのです。

 

保育の現場を見ていても、お迎えは保護者ではなく祖父母を頼る保護者は多くいます。女性の社会進出が進められていく中で、祖父母の協力というのは大きな余裕とゆとりを家庭にもたらしてくれているのを感じます。そして、これは保護者側だけではないようです。孫の世話をすることは、祖父母世代にとっても、孫との交流は非常に意味のあることが分かってきているそうです。