自己評価の向上

少年院に来ている少年たちは自己評価が低いことが多くあります。そういった子どもたちは何をやるにしても否定的で、「どうせやっても無駄」と言って、最初から何もやろうとしません。なぜなら学校の勉強で何度も挫折して、すっかりやる気をなくしているからです。しかし、宮口氏はそういった少年たちが劇的にやる気を出すように変化した様子を目の当たりにします。

 

当初、宮口氏は少年院に来ている子どもたちは勉強が苦手で、認知機能も低い子どもたちということはわかっていたので、認知機能向上を目指したトレーニングのグループにいれて、トレーニングをしようとしました。賢くなれるトレーニングだから、きっと少年たちも前向きに取り組むだろうと思っていたのですが、その予想は大きく覆されます。少年たちのなかには宮口氏の指導を無視したり、中には妨害するような少年も出てきました。もちろん、その中には真剣に取り組む子どもたちもいたのですが、やはりそういった雰囲気になると白けてしまうのです。

 

もともとが勉強嫌いの少年たちです、宮口氏も半ば「やはりだめなのだ」と思い、指導するのも嫌になり、投げやりになったそうです。そして、とうとう教えたり問題を出したりするのをやめ、文句を言っていた生徒に「では、代わりにやってくれ」と彼らを前に出させ、宮口氏は生徒側の席に移りました。その時は、彼らに自分の苦労を体験させようと思ったそうです。ところが、予想は宮口氏の思いに反して、「僕にやらせてください」「僕が教えます」と先を争って前に出てきたそうです。そして、とても楽しそうに問題を出したり、答えを求めたりしたそうです。前に出ていない少年らも、同じ立場の少年から出された問題に答えられなくては恥ずかしいし、自分が前に出たときに無視されたらいやなので、双方どちらも皆真剣にトレーニングに参加するようになってきたそうです。結果、少年たちはその時間を楽しみにするようになり、全体の雰囲気もがらりと変わりました。

 

宮口氏はその時に、少年たちに「教えるんだ」という視点ではダメなんだと思ったそうです。特に、少年院にいる少年たちは「こんなのも分からないの?」と言われ馬鹿にされてきた子どもたちです。自分たちも「人に教えてみたい」「人から頼りにされたい」「人から認められたい」という気持ちを強く持っていること知ったと言います。そして、それが自己評価の向上につながっていくのです。そして、その意識があることで、次第に勉強へのやる気っも出てくる可能性があるのです。

 

「人は教えてあげたくなる性質がある」そうです。もしかすると、私たち人類はそういった普段からの情報共有をすることで情報を「知識として得る」ということだけではなく、こういったやり取りを通して「自信をつける」ということをコミュニケーションの中でもおこなっているのかもしれませんね。そう考えると昨今の、一方的に情報が伝達される今の学校現場における形態は限界にきているのかもしれません。それよりもお互いが教え合ったり、見あうといった勉強の形態を作ることの方がより充実した教育形態になっていくのかもしれません。非行少年たちの事例は決して特別なことではなく、今求められている学校現場の環境においての問題提起になっているようにも思います。