社会面への支援

ここ宮口氏は日本の教育現場における一番重要なところを指摘しています。まず、初めに子どもへの支援は大きく分けて、学習面、身体面(運動面)、社会面(対人関係など)の3つになると言っています。ほかにも保護者支援などもありますが、子どもたちへの直接的支援としては、これら3つです。宮口氏は自身の講演会で学校の先生方にこれら3つのなかで最終的に子どもに身につけてほしいためにために行う支援は何かを時々質問するそうです。そうするとほとんどの先生は「社会面」と答えます。そこで続けて「では、もっとも大切と思われる社会面の支援について、今の学校では系統的にどんなことをされていますか?」と質問すると、ほとんどの先生が「何もしていない」と答えます。中には「子ども同士の間でトラブルになったとき、その都度指導している」と答える先生もいます。

 

しかし、ここで考えてみると小学校なら、国語、算数、理科、社会といった学科教育でびっしりと時間割が埋められ、週にわずか1週間、道徳の時間があるだけです。では、道徳の時間で社会面の支援をしているか?というとこれも否です。また、「トラブルがあったとき、その都度指導している」だけでは、社会面の支援は偶然に必要性があって生じた程度にすぎません。つまり、今の学校教育には系統だった社会面への教育というものが全くないのです。

 

では、社会面の支援とはどういったものなのかというと、対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決能力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身につけさせることです。これらのどれ1つでもできていなければ、社会ではうまく生活していけないのです。そういった最も大切な社会面の支援が、学校教育で系統立ててほとんど何もされていないということが、どうも理解できないと宮口氏は言います。そのため、学校教育で何もなされていないので、少年院に入ってきた少年には、1から社会面について支援していかないといけないのです。

 

これらの社会面は、集団生活をとおして自然に身につけられる子どもも多いですが、発達障害や知的障害を持った子どもが自然に身につけるのはなかなか難しく、やはり学校で系統的に学ぶしか方法がないというのです。それが学べないと、多くの問題行動につながりやすく、非行化していくリスクも高まるのだと言います。

 

学校教育においてはこういった社会面への支援が少ないというのは私も同感です。どうしても、画一的に先生から子どもへの投げかけが多いのです。これは乳幼児教育においても同様のことが言えるでしょう。非行少年たちに限らず、最近の若者たちはコミュニケーション能力や問題解決能力に問題を抱えているひとが多いというのは度々注目されています。それはこういった大人から子どもへの関わりばかりが重要視される教育のあり方に問題があるように思います。子どもたちが自分で考え、自分で選択することの重要性は保育をしていく中でとても考えさせられます。また、発達における幅を持たせることも重要であるのではないかと思います。どうしても4月で区切られた年齢別での教育では4月と3月生まれでは1年のハンデを持ったまま、教育を受けることになります。しかも、先生からの一方的な教育においてであり、それではついていけないこどもや分からないまま進んでいってしまう子どもが出てくるのも容易に想像がつきます。ある一定の幅のある発達によって子どもたちを見ていく必要があるのではないかと私は思います。自分の発達にあった子ども集団の中で、生まれてくる関わりが社会面を培うことにつながるのではないかと私は思うのです。

自尊感情

宮口氏はほめる教育ともう一つ「困っている子どもたちは自尊感情が低い」と言われることにも違和感を覚えると言っています。なぜなら、まず第一にいろんな問題行動を起している子どもたちは、それまでに親や先生から叱られ続けているので、自尊感情が高いはずがないのです。「自尊感情が低い」とのは当たり前ですし、そう書いておけば外れることはないというのです。確かに、問題行動を起こす子どもたちが自尊感情が低いことがほとんどですし、当たり前といえば当たり前です。

 

そして、それと第二に、そもそも「自尊感情が低い」ことは問題なのか、ということです。ここで宮口氏は「実際、我々大人はどうでしょう。自尊感情が高いのでしょうか?」と言っています。仕事がうまくいかず、自信を失って自尊感情が低いことはあるでしょう。逆に仕事が軌道に乗り、社会的に成功すれば、自尊感情が高くなることもあるでしょう。それでも、社会の荒波にもまれながら思った通りの仕事ができない、職場の対人関係がうまくいかない、理想の家庭が築けないなど、自信がなかなか持てず、自尊感情が低くなってしまっている大人のほうが多いのではないかというのです。だからといって、ほとんどの人が社会で犯罪を行っている、不適応を起こしているわけでもありません。つまり、自尊感情が低くても社会人として何とか生活できているのです。逆に、自尊感情が高すぎると自己愛が強く、自己中のように見えてしまうかもしれません。大人でもなかなか高く保てない自尊感情を、子どもだけ「低いから問題だ」と言っている支援者は矛盾しているというのです。

 

問題なのは自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していることにあるのです。何もできないのにえらく自信を持っている。逆に何でもできるのに全然自信が持てない。要は等身大の自分を分かっていないことから問題が生じるというのです。無理に上げる必要もなく、低いままでもいい、ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要なのです。もういい加減「自尊感情が・・・」といった表現からは卒業してほしいと宮口氏は言っています。

 

この言葉にはなるほどと思ってしまいます。保育においても「自信」や「自尊感情」「自己肯定感」という言葉がよく使われます。しかし、その根底には「自分は自分でいいんだ」という感覚が持てるかが大切なのだと思っています。今、宮口氏が言っている支援者にとっての「自尊感情」はそういったこととは少し違うニュアンスを感じます。そこにはただ「自信を持てばいい」というニュアンスを感じます。以前、私の園にフランスの教育学者が見学に来たのですが、そのとき私も「今の日本にはもっと自尊感情を持った人間を育てることが必要だ」と話したときに「本当に自尊感情は必要なのでしょうか。アメリカを見てください。自分に自信を持つがあまり、周りを考えていないではないですか」と言われたときに、少し言葉に窮しました。確かにその通りなのです。自信をただ持てばいいわけではないのです。私はその時に「社会に還元や貢献できるようになるためには、自分はできるという自信はなければいけなく、今の日本にはそういった感覚を持つ人は少ない」といったのですが、社会というのも一つの集団です。集団は個が生かされてより良い集団になるというのを考えると、「自分の役割」を知っていることの方が大切なのかもしれません。各々のアイデンティティが生かされる社会にならなければ人社会としてはうまく回っていかないのです。そう考えると今の日本は、そういった社会ではないのかもしれません。