褒められる教育

宮口氏は非行少年たちの教育環境についても問題提起を行っています。特に昨今の「褒める教育」については特に大きな違和感を持っています。そして、褒める教育だけでは問題は解決しないと言っています。これについては私も同様に感じるところです。「ただ、褒めるだけでは、子どもの発達は伸びない」と思っています。では、宮口氏はどういった視点において、そう感じるのでしょうか。

 

宮口氏は勉強が苦手、運動も苦手、対人関係も苦手で、褒められるところはそう簡単には見つからない子どもに対して、少しでもいいところを見つけてあげようと、通常なら社会で褒められるほどのことでもないようなことを褒めることで自信をつけようとすることを学校現場の先生方はよくしていると言っています。それが今の支援案の定番なのです。問題行動を起こす子どもに対して悪い面ばかりに目を向きがちなので、良い面を見つけてあげて、褒めてあげるのです。もちろん、褒めることを否定はしてはいませんが、そういったことをしたところで、長くは続かないと言います。根本的な問題が解決しない限り、すぐに元に戻ってしまうことが多いのだそうです。

 

また、「褒める」と同じくよく出てくるのが、「話を聞いてあげる」です。これも子どもの気持ちを受けとめ落ち着かせるには効果がありますが、根本的な解決策にはなりえないので、効果はいずれ薄くなってきます。

 

「褒める」「話を聞いてあげる」は、その場を取り繕うにはいいのですが、長い目で見た場合、根本的な解決策にはなっていなく、逆にこどもにとって問題を先送りにしているだけになってしまっていると宮口氏は言っています。例えば、勉強ができなくて、自信を無くしイライラしている子どもに対して、「走るのは早いよ」とほめたり、「勉強できなくてイライラしているんだね」と話を聞いてあげたりしても、勉強ができない事実は変わらないのです。根本的な解決は勉強への直接的な支援によって、勉強ができるようにすること以外ないのです。そして、小学校でうまく乗り切れたとしても、中学校や高校でもうまくいかず、社会ではさらにうまくいかなくなったとき、「誰もほめてくれない」「誰も話を聞いてくれない」といったところで何の問題にもならないのです。

 

まさにここで行われているのは「外発的動機づけ」といったものであり、子どもたちにとっては「褒められるために行動する」という思考になっているのかもしれません。この話を見ていると、確かにここで出てきている学校現場での先生方は問題の表面を見ているばかりで、根本的な解決の部分へのアプローチを避けているように感じます。確かにこういった本質へのアプローチは非常に時間のかかることです。しかし、これでは「ただ褒める」「ただ話を聞く」以前に、その子にたいて「どうなってほしいか」といったことが抜け落ちて島ているように思います。当然、教育現場における先生方でそんなことを考えない先生方はいないでしょう。しかし、そうであるならば、そもそもの信頼関係を築くところから難しくなっているのを感じます。保育をしていても、問題行動を起こす子どもたちがいます。そういった子どもたちは「何かを抱えているからこそ、そういった問題を起こす」だと思っています。その気持ちを受け入れて、「共感する」ことが重要なのだと思います。こういったことを繰り返し、信頼関係という土台を作ることが必要で、そこから初めて関わることにつながっていくのです。そして、そのためには、先生と子どもといった構図ではなく、一人の人格者として子どもたちを見なければ、その子本来の姿は見えてこないと思います。「真心を持って接する」ということは「褒める」や「話を聞く」以前に持っておかなければいけない、教師や保育士としての信条であるのではないかと思います。