10月2019

完璧ではないAI

前回、AIによって無くなっていく仕事の内容を紹介しましたが、その多くが比較的単純な作業を中心とする仕事です。実際のところは、人と同等の知能をもつ“万能の機械”というにはほど遠いのが現状だそうです。そして、それはAIにも“弱点”があるからなのです。

 

その一つが「フレーム問題」です。AIは決められた枠組み(フレーム)の中でしか命令をうまく処理できないという問題です。これはアメリカの哲学者ダニエル・デネット(1942~)が思考実験で示した、フレーム問題の実験です。その実験内容ですがAIを搭載したロボットを洞窟に送り出し、時限爆弾が乗ったバッテリーをとってこさせようとするものでした。

 

まず、1号機に「バッテリーを取ってこい」と命令しました。すると、AIが時限爆弾ごと運んできたため爆発が起こりました。そこで今度は2号機に「何か行動するときには、それによって起きる2次的な要素も考慮しろ」と命令を追加します。バッテリーを運べば時限爆弾も一緒についてくるという「2次的要素」が理解できれば、AIがうまくバッテリーだけを持ってくると予想したのです。しかし、AIはバッテリーを前に立ち止まってしまいます。バッテリーを上げたら天井は落ちないか、一歩踏み出したら壁のいろは変わらないか。といった突拍子もないような2次的要素を含めて、ありとあらゆることを延々と考慮してしまったのです。つまり「今回の命令に関係のある要素はどれか」ということがAIにはわからなかったのです。そこで3号機には「命令に関係のあるものと無関係のものを分けてから行動しろ」と命令しました。すると、AIは洞窟に入る前に立ち止まったのです。空気の成分、壁の色、太陽の位置。命令に無関係のことが周囲に無数にあったため、選別が終らなかったのです。AIは人のように「適当に考える」ということができないために、枠組みやルールのない問題ではあらゆる想定をして、無限に志向し続けます。これがフレーム問題と言われるものだそうです。人とちがい「適当」ということがまだAIはできないのですね。

 

ふたつ目の理由が「シンボルグラウンディング問題」です。AIはことばの「本当の意味」を理解していないというのです。これはシマウマを知らない子どもとAIに「シマウマは縞のある馬です」と教えたとき、AIと人の“言葉の理解”において根本的な違いが分かり、AIのもう一つの弱点が浮き彫りになるといいます。

 

子どもの場合、それまでの経験で「ウマ」と「縞」の意味を知っていれば(概念を獲得していれば)、縞のあるウマがどんな動物か、なんとなく想像できるのでしょう。そして、生きているシマウマを動物園で見た際に、「これがあのシマウマなのかな」と思うことができます。こうして、子どもは新しい言葉の意味と概念を獲得していきます。一方、AIはウマのつややかな毛並みも、たくましい筋肉も、大きないななきも実際に見たり聞いたりしているわけではありません。AIは「ウマ」や「縞」という単語を、コンピューター上の記号(文字列)としてのみ認識しています。つまり、「シマウマは縞のあるウマ」と教えられ、記号同士を結び付けたとしても、新たな記号ができるだけです。私たちが生きるこの実世界における「シマウマ」の本当の姿を、人と同じように理解することはできないのです。この“弱点”は記号が実世界の意味に直接結びついていないことから「シンボルグラウンディング問題(記号接地問題)」と呼ばれています。

 

このシンボルグラウンディング問題の解決するためにはAIが“記号の世界”を抜け出さなければいけません。そのためにAIと同程度の大きさの体と人の目や耳などに似たセンサーを与え、人と同じように実世界を経験させることが必要だという研究者もいます。このようにAIに「身体性」をもたせることで、シンボルグラウンディング問題だけでなく、常識も身につけフレーム問題の解決にもつながるという意見も出ているのだそうです。

 

このようにまだまだAIには問題は多々あり、なかなか人と同じような常識や思考方法ができるわけではないのです。そして、それこそが人の強みでもあるのだと思います。「フレーム問題」や「シンボルグラウンディング問題」この二つの思考は人に対する思いやりにもつながり、相手の思考を見通すような考えにもつながります。では、こういった問題を解決したAIは実現してくるのでしょうか。

無くならない仕事と無くなる仕事

前回のブログにも紹介しましたが、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の計算によって「あと10~20年で、49%の職業が機会に代替される可能性がある」(2015)という研究発表がされています。様々なニュースの中でAIによって人間の仕事が奪われるのではないかということが言われています。最近では「へんなホテル」が取り上げられ、そこはロボットによって、ポーターから接客までロボットが行うようなホテルまで出てきています。オズボーン氏の発表は2015年でしたが、はじめに大きな反響を呼んだのは第3次AIブームが来た後の2013年にオックスフォード大学のフレイ博士が発表した論文です。

 

この論文では702の仕事に対して、あと10~20年でAIに奪われる確率が独自の指標で推定されていました。AIに奪われる仕事Top30には電話販売員や銀行の窓口係など、マニュアルにのっとった比較的単純な業務の仕事が多く含まれています。こういったルールに基づいた処理はAIの得意とするところです。一方でAIに奪われない仕事Top30にはカウンセラーや心理学者などのヒトの心に関わる仕事や医師や教師など人と対話が必要な仕事が多く含まれています。こういった分野はまだまだAIが苦手とするところです。

 

これまでの「ニュートン 人工知能のすべて」(2019)に紹介されているAIの未来についてはいわれていることは新しい職業が生まれるということです。18世紀にはじまった産業革命では同じようにたくさんの仕事が機械に代替されましたが、同時に機会を作ったり、整備したりするなどの新たな仕事も生まれました。現在の“AI革命”も産業革命時と同じように仕事の総量は変わらないという研究者もいるといっています。一方、やはり多くの仕事が減り、社会構造が大きく変わると考える研究者もいます。つまり、まだ、人とAIとの関係においてはっきりと共生できるかということはわからないのです。

 

万能と思われているAIでもできないことはたくさんあり、AIにとって代わられることがない職業はどうやら「人と関わる」といったことはAIには苦手な分野なのでしょう。それと同時に、これまでなかった仕事がこれから生まれてくるというのも、実際のところはそのとおりなのだと思います。AIやロボットと人の共生というのは遠い未来ではなく、近い将来起こりうる時代になってくるのです。おそらく、現在幼稚園やこども園に来ている子どもたちは、まさにその時代に社会で働き、AIを使う側の人間にならなければいけない人材であるということはよく考えていなければいけません。つまり、「人と関われ」「新しい仕事につけるだけの発想力と柔軟性」をもった人材でなければ、活躍できる社会ではないのでしょう。私たちは先の社会を知ったうえで、保育を考える必要があるということをよくかんがえなければいけませんね。

シンギュラリティ

ディープラーニングは脳のしくみをまねたニュートラルネットワークの中で、人工ニューロンの層を「多層化」した(深くした)ものがディープラーニングだというのです。ニュートラルネットワークであれば3層のネットワークがディープラーニングでは10層・20層とたくさん重ねていくわけになるのです。これが「深層学習」と言われるゆえんです。

 

こういったAIの進化の中でAIがAI自身を進化させる「シンギュラリティ」ということが言われています。このことについては研究者はそれぞれに未来を予想しているようです。進化しすぎたAIが人類を滅ぼすことになると悲観する人もいれば、AIがあらゆる仕事を代替してくれる幸福な時代になると楽観する人もいます。こういった未来予想の中でたびたび取り上げられるのが「シンギュラリティ(技術的特異点)」です。シンギュラリティとはAIが自分よりも賢いAIをつくれるようになる時点のこと、または、その結果、急速に進化したAIが予想ができないほどの社会変化を引き起こすということを考えのことを指しています。AI自身がAIを進化させることで、人を越えた圧倒的な知能を持つ存在になりえるのではないかというのです。

 

このシンギュラリティはアメリカの実業家で人口知能研究者のレイ・カーツワイル博士(1948~)が2005年に発表した著書「シンギュラリティは近い」(原題:The Singularity Is Near)によって広く知られるようになりました。カーツワイル博士は、人の脳と“融合”したAIが2045年に生まれ、シンギュラリティがおきると予想しました。しかし、AIがより賢いAIがつくるには、ディープラーニングとはことなるブレイクスルーが必要がであり、あと数十年ではそのような技術は生まれだろうという意見がAI研究者の中では一般的です。また、AIみずからの意思をもって行動することも現在の技術では夢物語であり、「シンギュラリティがおきて、人がAIに支配される」というSF映画のようなおそろしい未来は現実的ではないと考えられています。

 

その一方で、AIが今後も進化し続けていくことで、人の知能を超えるであろうことは、多くの研究者が同意しています。高度な知能を持つAIをどのように利用するのか。それは結局、未来を決めていくのはAIを使う側の人類であるということだといいます。

 

ベネッセの「2020年教育改革」の中でオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の計算によって「あと10~20年で、49%の職業が機会に代替される可能性がある」(2015)という研究発表がありました。この機械のほとんどがAIを搭載した機械なのでしょう。それをどう使うのか、どう利用するのか。便利な世の中になっている反面、こういった心配もしていかなければいけないのですね。今までも、メールやSNSなど様々な技術革新があったなかで、人への影響や社会問題が起きています。そのほとんどは「人の生きる力」に関わるものであるように思います。これまでの藤森平司氏の「保育の起源」にあったような社会脳などが育っていないといけないような気がいます。いまこそ、改めて本来の「生きる力」を育てるようにしないと、AIに振り回される社会になりかねないのかもしれませんね。

ニュートラルネットワーク

1960年代から起きた第1次AIブームが起き、第2次AIブームは1980年代~1990年代のはじめにありました。この第2次AIブームでは、AIに知識やルールを教え込ませる「エキスパートシステム」と呼ばれるしくみの研究が進みました。

 

たとえば、医療診断のシステムでは、病名や症状、治療法などの知識を医者から集め、コンピューターに覚えさせます。そうすることで患者の症状から病名を特定し、治療法や薬を提示することができるようになりました。しかし、知識やルールを漏れがないように完全に覚えさせたり、管理したりすることの困難さや、データがない“守備範囲外”の問題に対応でいないことなどが、次第に判明してきました。こういったエキスパートシステムの限界が見えたことで、世間の注目は薄れていき、AIは2度目の冬の時代に突入していきます。

 

第3次AIブームは2000年代なかばごろから始まります。ここで初めて「ディープラーニング」というシステムがはじまり、現在でもこのAI研究の中心となっています。ディープラーニングはAIにものごとを学習させるための手法のことです。脳の神経細胞(ニューロン)のネットワークをまねて、情報を処理する手法の一つと言われています。この脳のしくみをまねてAIを学習させる方法をニュートルネットワークと言い、この手法を発展させているそうです。

 

では、そもそも脳のしくみはどうなっているのでしょうか。

これはこれまでのブログにも書かれていますが、脳の神経細胞(ニューロン)からできており、その神経細胞同士がつながってネットワークを形成していきます。1つの神経細胞は「シナプス」と呼ばれる接続部分を通じて、他の多数の神経細胞から信号を受け取ります。そして、受け取った信号が一定の総量を越えると他の神経細胞へ信号を送ります。こういった信号を神経細胞につなげていくことで脳は情報を処理していくのがわかっています。

 

これに対して、人工知能でのニュートラルネットワークでは脳の神経細胞の働きをコンピューター上のプログラムで、人工的なニューロン(人工ニューロン)として再現します。人工ニューロンは複数の数値(入力値)を受け取って、その入力値に応じた別の数値(出力値)を出力する「関数」です。ニュートラルネットワークでは多数の人工ニューロンを複数の層に分けてつなげてきて、初めの入力値を(データ)をつぎつぎと変換していくことで情報を処理するのです。

 

脳はその神経細胞が信号の強さに応じて次の神経細胞へ信号を伝えていくことに対して、ニュートラルネットワークの場合はそれぞれの人工ニューロンがそれぞれに数値を割り出し、多数のニューロンと複数の層に分けてつなぐことで情報を処理するのです。

 

人工知能はまさに人間の脳の働きそのものを真似て作られているのですね。そして、このディープラーニングができたことによってさまざまなことがこの人工知能でできるようになってきてといいます。

AIの始まり

これまでは社会脳についての話をしてきました。そして、それがヒトの社会の中でいかに重要な意味合いを持ち、この力がヒトの社会を作ることにつながっていくかということを藤森平司氏の「保育の起源」から考察してきました。

 

こういった内容がなぜ改めて考えていく必要があるのかというと、これからの社会、様々な変化が起きていく時代になっていきます。よく言われるAIが社会を大きく変えていくことや、少子高齢化社会において労働人口の減少が起こり、海外からの労働力を受け入れることはこれから起きてくるでしょう。そういった社会で活躍するために一体どういった力が必要になってくるのでしょうか。つまり、AIが持っていないもので、海外の方とうまくやっていく力が必要になってきます。そのために、本来の「本来のヒト」というものを知らなければいけないのではないかと感じます。

 

では、その反対にAI「人工知能」というものはどういうものなのでしょうか。ここ最近、有名になった「ディープラーニング」はAIの技術を飛躍的に変化させていったといわれています。そもそも、人工知能が誕生したのは1956年アメリカのダートマス大学で開かれた研究会議で、「人と同じように考える知的なコンピューター」を人工知能(Artificial Intelligence :AI)と呼ぶことから始まったのです。なので厳密にいうとまだ、実現はしていないことになります。そういった意味ではまだその定義はあいまいで実際のところははっきりとして決まりは無いようなのです。「人の知能に近づけた人工的な知能(機械)」を現在はAIと呼んでいます。

 

ドラえもんや鉄腕アトムなどのイメージもあり、AIというとロボットをイメージする人がいるかもしれません。しかし、AIは結局のところ「人の知能に近づけた人工的な知能(機械)」なのでコンピューターとプログラムのことを指してるので、ロボットそのものを指す言葉ではないのです。ただし、AIが真に人のような知能を獲得するためには、身体をもつ必要があると考える研究者も少なくないようです。

 

そんな研究が進められているAI研究ですが、過去には2度のブームを通して、何度も限界を迎えていました。AIの研究が始まったのは70年も前からはじまりました。そして、第1次AIブームが1950年代後半~1960年代にかけておきます。この時期はコンピューターを使って「推論や探索」を行い特定の問題を解くという研究が進みました。パズルや迷路ができたり、チェスをさしたりできるようになったのです。しかし、当時のAIはルールとゴールが厳密に決まっているものしか扱えず、現実的な問題解決には歯が立たなかったのです。当時のコンピューターでは人間に勝つこと実現できませんでした。