認知的発達

心理学が一つの研究として始まっていく中で、子どもの発達は遺伝から起きているものなのか、それとも環境による影響が大きいのかというどちらか一方が子どもの発達に影響するという議論が多くなされていました。20世紀においても、乳幼児は無能な存在であり、受動的な存在だとみなされていました。そういった時代の中、ボードウィンは、知能の発達を生物の進化が環境への適応だと考えられるのと同様に、個体発生も環境への適応過程だと捉えました。そして、ピアジェが登場します。

 

ピアジェも個体と環境を切り離す理論に疑問をもち、個体と環境の相互作用こそが人間の認識発生において重要だと考えました。ピアジェの乳幼児観は一言でいうと子どもを「科学者」であり、「活動的な学習者」であるとみなしていました(この場合の子どもは、乳幼児を含んだ幅広い年齢の子どもを指す)。ピアジェは乳幼児の行動を入念に観察することによって、乳幼児は活動的な存在であり、自ら積極的に知識を構築している存在だとみなしたのです。しかし、彼は乳児は活動的な存在であるということは認めていた反面、だからといって幼児期から豊富な知識を持っていたかというとそうではないという見解を持っています。乳児が豊富な知識を持たない無能な存在であるという見解においてはピアジェも変わらなかったのです。しかし、無能ではあっても、自ら世界に働きかけ、自らの力で知識を構築していくという考えを持っていました。

 

ピアジェは、主体が環境にいかに適応していくかという、適応過程は「同化」と「調節」という2つの過程から構成されていると考えました。「同化」とは生物学の概念で、有機体が食物を摂取し、環境を自ら取り込むことであり、「調節」とは有機体が自分の既存の知識の構造を新しい経験に合わせて変化させていくことを言います。つまりは新しい経験に応じて、自分の知識や認識を環境や経験に合わせて変化させていくということで、人はこういった同化と調節を繰り返す中で、新しい認識を獲得するというのです。このように乳幼児は環境との相互作用によって認識を構成する活動的な存在としたのです。

 

また、ピアジェは認知発達のどの段階においても変わらないもの(機能的不変項)があるとし、それを「適応」と「体制化」であるとしました。適応とは、同化と調節を含めた主体と環境との相互作用の過程のことをいい、体制化とは、子どもの持つ各独立した枠組みが互いに結びつき(これを協応という)機能的にひとつの全体としてまとまりをつくることとしました。人は外の環境を経験する中で同化や調節を繰り返す中で適応していきます。そして、その適応していく中で新しい概念や認識をまとめていく体制化をしていきます。こういった適応と体制化によって認識は発達していくと考えたのです。

 

子どもの発達する過程において、持って生まれた知識とそれをアップデートするために環境を通して、経験し、新たな知識を身につけていくということをピアジェは考えていたのですね。赤ちゃんは受動的な存在ではなく、能動的な活動をしているというのはこの頃にも言われていたことなのです。ピアジェの考えは今でも言われていることが数多くあり、現在の乳幼児期の発達心理学にも大きな影響を与えているということがよくわかります。その後、この理論を中心に認知発達における段階をピアジェは発信していきますが、それはどういったものだったのでしょうか?