奉公人教育

寺子屋を出た子どもたちは丁稚から始まり、その預けられたところで学んでいき、出世していくことで社会に向かっていきます。つまり、教育において、寺子屋は基礎となる心得や教えをもち、その先に店に預けられた先でより実践的な物事を学んでいくのです。

 

このような奉公人教育の中心となるものは、越後三井家のことを『近世庶民家訓の研究』を書いた入江宏氏によると「家法と店式目」であったそうです。つまり法規や制度といった「決まり事」ですね。これは丁稚を対象にして「子ども式目」を定め、時間があれば「手習算盤」に励むことが記され、「第一算盤ニ疎キもの在之候は早速暇可申渡候」というように、計算能力の習得が奉公人教育からの脱落に関わるものとして記されていました。このほかにも幕府の法令遵守から始まり、幼児を言いつけられた時の請け返事の作法や、顧客への対応や衣類に関する注意など、生活全般の極めて細かい取り組みが記されていました。こういった教育を通して三井家にとって必要な人材として育てられていくのです。

 

商家は単に商売の方法を教授し、利益を得る利益共同体ではなく、人間形成の教育機能を有したものであったと言います。企業に対する日本人の忠誠心は欧米の労働者からは奇異に見えるであろうが、「企業人間」という表現は企業が人材を育成するという近世の方向教育の伝統が今なお継承されていることを意味すると沖田氏は言っています。

 

こういった日本において職場で人材を育てるといった傾向はこういった時代の文化が残っているからなのですね。それと同時に、日本は海外と比べ、チームワークを取ることに長けているといいます。こういった要素も、若いうちから職場に入り、その職場での働き方をレクチャーするという文化があることで生きてくるのかもしれません。ただ、これは良いことばかりではありませんでした。たとえば、こういった「企業人間」が政治家への贈収賄や企業の社会的責任論、はては家庭を顧みないことで家庭の崩壊の要因となったり、様々な側面から批判されるようになったのです。そのため、日本の企業が伝統として有してきた教育的機能を放棄し、純粋に利潤追求の組織となっていく傾向になってきたのです。そうして、青年を一人前に仕立てあげてきた教育の場というものが、年功序列の廃止と競争の原理による能力主義を採用することによってまた一つ消えようとしているのです。

 

こういった背景があるからか、最近では転職をするということが当たり前になってきているように思います。職場で働く若い人たちもあまり所属意識を持つよりは、自分の環境を変えることの方を優先しているように思います。そのため働き手に取っても働く場にとっても社会にとって貢献する組織なのかどうかや働きがい、そこで働くことへの誇りといったものを伝えるということがあまりされていないように感じます。このことはドラッカーも同様のことを言っていましたね。もちろん、利潤追求によって、働く人たちが不利益を被ることは良いことではありません。しかし、そこで働く思いがなければいい仕事もできないのではないかと思うのです。一体何のためにその場で働き、何のためにこの仕事があるのか、こういったことは昔の寺子屋や奉公人教育の方がはっきりと伝えていたのではないかと感じます。見習わなければいけない、こういった姿勢はたくさんあります。