子どもの学習の競争

寺子屋では現在のように成績や試験というものを意識する必要がありませんでした。そのため、他人と成績を競うこともありませんでした。そのため、そこでは個人の興味と生まれ持った才能に任せて学ぶことになります。あるものは他人よりも学びの速度が速くなり、学ぶことに強い関心を抱くことにもつながります。しかし、だからといって寺子屋の学習で試験に類されたものや競争の原理は全くなかったかというと、決してそうではなかったようです。

 

毎月一回、寺子屋の学習において、それまで学習してきた手本を復習する「小浚」(こさらい)と一年に一回同じく一年間学習してきた手本を暗唱や暗書する「大浚」(おおさらい)が行われました。そして、これが「おさらい」として現在にも言葉として残っています。しかし、このような制度は必ずしもすべての寺子屋で実施されたものではないようです。また、このような試験を通じて、進級するというのも、当時等級制といった制度を取っていなかった寺子屋においては、成績は必要とはされていませんでした。あったとしても、成績優秀者に筆や紙、書物といったものくらいの賞品はあったようですが、これくらいの子どもの素朴な競争意識以外に競争へ子どもを追い立てる客観的なシステムは存在しませんでした。あくまで、「小浚」や「大浚」は子どもたちを選別するものではなく、個々の到達度を見るという極めて教育的配慮の行き届いたものだったのです。

 

寺子屋では、子どもの競争意識を向上心へとつながる工夫が行われていました。その一つが「角力書き」(すもうがき)や「数習い」(かずならい)でした。「角力書」は相撲のように東西に分かれた子どもたちが、行司役の師匠の呼び出しとともに本当の相撲のように登場し、見合って席につき、決められた文字を書きそれを師匠が判定するような取り組みです。「数習い」は選考に火をつけて、それが燃え尽きるまでどれほど多くの文字を正確に書くかを競う行事でした。

 

ほかにも毎年4月と8月の2回行われる「席書」では当日、師匠は裃(かみしも)の礼装用の着物を身にまとい、寺子も身分に応じて羽織袴などをきて、席について決められた文字を書き、それを寺子屋の四方の壁に貼り付けてお互いに品評し合うというものでした。これは現在の小学校でも行われるものですが、競争というより、子どもたち自身の評価する能力とそれに伴う向上心を発達させるという教育的効果を発揮するものでした。

 

これに似た行事が「書初」です。これは今でも行われている通り、正月に一年の計にふさわしい言葉を選んで字を書くことです。また1月25日には「天神講」が行われていました。この天神講ですが、これは学神として信仰の対象ともなっている菅原道真を祭り、「奉納天満天神」と書いて、学業の成就を願いました。7月7日の「七夕祭り」も、文字の品評のような要素があり、寺子たちが五色の色紙で様々な形をつくり、そこに師匠の徳を讃える言葉を記すとともに、学業成就の願いも書き添えて竹の枝に結び、その下で遊戯をしたりして過ごすという者でした。

 

こういった行事は子どもの能力を評価することやその能力の向上心を発達させるという教育効果だけではなく、師匠との親睦をはかる意味合いもあったそうです。それと共に、文字学習だけではなく、文字の背後にある社会観や倫理観もしくは宗教観を養い、それらを共有する場でもあったのです。