元々持っている道徳性

ゴプニックは赤ちゃんが利他的な行動をとることを自身の研究とフェリックスの研究を通して紹介していました。それと同時に幼い子どもにも純粋な道徳的判断ができるという事を示すために、ジュディス・スメタナの研究により示しています。彼女は2歳半の子どもに、日常生活の中の二種類の場面を示しました。その一つは、子どもたちが幼稚園のルールを守らないこと。たとえば、上着を決められた場所に置かない。お昼寝の時間におしゃべりをしているといったようなこと。それともう一つ、他の子どもにぶつ、からかう、おやつを盗むなどの身体的、心理的な危害を加えるものといった2つの場面を見せました。その後で、子どもたちにルールを破ることはどうして悪いのか。ルールを違反した子どもには罰が必要かと尋ねました。さらに、もしこういうルールがなかったら、あるいは、こういうルールの無い幼稚園でなら、同じことをしても良いのかと聞きました。先生がいいですよと言ったら、お昼寝の時間に喋ってもよかったり、他の子をぶってもいいのかと質問したのです。

 

すると、一番幼い子どもも含め、子どもたちはみな、ルール違反も他の子に危害を加えることも悪いことであると言ったのです。そのうえ、ルール違反よりも、他の子に危害を加えるほうがずっと悪いとも思っていたのです。ルールは変えられるし、よその幼稚園は同じルールではないかもしれないというのです。そして、どちらにしても、危害を加えるのは悪いことで、それはルールとは関係ないというのです。このことはどの幼稚園でもそれは同じだというのです。

 

これは仮定の話だけではなく、実際に起きた出来事についても、同じように子どもたちは判断しました。他の子に危害を加えることと、ルールを破ることとは違った反応をしたのです。これは実験をしたアメリカだけではなく、どの国でも子どもたちの反応は同じだったようです。そして、国だけではなく、親から虐待した子どもでも、他人を傷つけることは本質的に悪いことだと考えていたのです。そして、それが仮に実の親であっても、悪いことは悪いと判断しました。

 

ゴプニックはこのような判断が起きたのは他人への共感や利他的行動がごく早期から発達することと符合しているからだと言っています。子どもは1歳半から他人の痛みを自分の痛みのように感じ、和らげようとします。だから、この逆の行為である誰かを傷つける行為はどんなことをしてもよくないことだと分かっているのだというのです。

 

幼い子どもでも相手に危害を加えるということはいけないことであると分かっているのですね。この研究は2歳半の研究ということであり、これによると2歳半頃であれば、危害を加えることがいけないことであるということが分かっているという事になります。とするのであれば、2歳頃の子どもたちの関わりにおいて、叩くことや噛みつくということは意図してではなく、衝動的な行動であるのかもしれません。以前、DVを犯す人は叩こうと思っていなくて、気づけば手が出ているということを聞いたことがあります。自分が「叩いてやろう」と思わなくても、気づけば手が出ているというのは恐ろしいことですが、そういった衝動性によってではなく、冷静になるための心持が子どもにも重要な力になってくるのですね。この衝動性は非認知能力とも大きく関わってくるのだろうと思います。