共感の影響

子どもがもつ共感や模倣を通して、自分の心も他人の心も仕組みは同じであるということを理解していきます。そして、そういった関係性の中で、道徳性も得ることになっていくとても重要な能力です。しかし、この共感や模倣は好ましい反応ばかりではなく、困った反応を呼び起こともあるとゴプニックは言います。「自分の心も他人の心も仕組みは同じである」ということは、喜びは喜びを生むというポジティブな反応もあれば、それとは逆に、悲しみが悲しみをよび、怒りは怒りを呼び起こすことにも繋がってしまうのです。喜びを分かち合うのが博愛への道なら、怒りの連鎖は暴力への道です。幼児期の攻撃性のほとんどは、このような「反応的攻撃性」であり、他人から受けた脅威に対抗して起こる攻撃や怒りであると言っています。それは時に暴力の形をとることもあるのです。

 

ゴプニックは攻撃的な子は、他人の怒りに非常に敏感だと言っています。混みあった運動場で子ども同士がぶつかっても、平均的な子どもは不運な事故だと思います。ところが、反応的攻撃性の強い子は、相手が自分をつけようとしてわざとぶつかったと思いがちです。このような子は相手から怒りをぶつけられたと考え、自分も怒りや威嚇で応じます。しかし、当人からすれば、自分は何も悪くなく、悪い相手に対抗しているにすぎないのです。

 

こうした相互作用はたちまち悪循環を生みます。怒りに怒りで答えるのは、幼児に近い共感反応のようです。小学生の研究で、ある子どもが意地悪かどうかをものの数分で判断することを示した研究があります。その子どもが意地悪であると判断されたら仲間からイジメられる傾向があるようです。その理由は「あっちがひどいことをするから、こっちはそれに対抗しているだけ」という、攻撃的な子どもの言い分と同じことが起きていました。それでも幼いうちはまだ、物理的に大きな危害を加えることはできないのですが、子どもが青年期を迎え、反応的攻撃性に大きな体、不安定なホルモン分泌、未完成の前頭葉、そして簡単に手に入る武器が加われば、自己破壊的な暴力衝動の爆発が起こりかねないというのです。このことはアメリカのハイスクールにおいても起きていることのようです。また、こういった行為の先にたとえば、バルカン半島から中東に及ぶ恨みと報復の連鎖まで、そう遠い距離ではないというのです。道徳的に最善の衝動が、相手の情緒を真似ることから始まるなら、最悪の衝動も同じなのだろうとゴプニックは言います。まさに「目には目を、歯には歯を」ですね。

 

こういった衝動は誰しも経験したことであると思いますし、どこかでそれだけの痛みを与えないと事の重大さを伝えることはできないと思っているかもしれません。これは保育において、保護者のクレームにおいて、最近感じるところでもあります。園長と保育者の関係、保育者同士の関係と同じようなことが保護者関係にもつながっていたり、影響していたりするように思います。園の文化や雰囲気、風土といったものは保護者にも伝わってしまっているように思います。特に保育というものは人間関係でなりたっています。人と人との関係が非常に重要でもある仕事です。だからこそ、マネージメントする側はそのことに気を配らなければいけません。どういった環境でどのように関わりをもつことが出来るのか、それは結果として、様々なところに影響が出る内容であると感じられます。