罰と責任

寺子屋の指導においては、厳しい指導もあり、体罰などの「教育的指導」というものもありました。現在の時代ではきっと問題になるでしょうね。では、どういった時にこういった罰というものが行われたのでしょうか。それは「不品行にして他人に妨害を加ふるもの」「怠惰にして学業未熟なるもの」「喧嘩争論するもの」「他人を欺き若しくは盗みするもの」という「罰」があげられています。いずれも子どもたちが成長したときに守るべき最低限度の社会性に最大の注意がむけられ、それを犯した時に罰が加えられていたようです。

 

これらの罪を犯したとき、最も軽いのは叱責または説諭です。つまり、「説教」ですね。次に「留置」です。これは放課後居残りを命じて習字等を課したりします。「補習」のようなものでしょうか。そして、「謹慎」これは師匠のかたわらで正座を命じました。ほかにも教場や便所などの掃除を命じることもありました。体罰としては、右手に線香、左手に水を満たした茶碗をもたせ正座をさせたり、竹竿で手足を打つ「鞭撻」(べんたつ)などがあります。しかし、師匠が手で子どもを殴打することはなく、ほとんどの場合、厚紙で扇子をつくり、打つ音に比べて痛みを感じさせないような工夫がされていたそうです。もし、手におえない子どもであれば、破門を命じて追放することもあったようです。

 

武家の子どもの教育においては体罰は好ましくはなかったようです。それは誇りを重んじる武家社会にあって、武士としての尊厳を否定するような体罰は、武士の尊厳を否定するものとして考えられました。こういった教育的指導としての「罰」は教育的意味をもつために、子どもと師匠との信頼関係において確立されていなければならないとされていました。

 

このようにしてみると、「体罰」とはいえ、極端な殴打が当たり前のようにあったわけではないようです。現在において「体罰」は問題になることが多々あります。どうも最近の体罰のニュースを見ていると先生と子どもの信頼関係というよりは、先生の一方的な感情をぶつけているようにすら見えてきます。また、寺子屋においてでも殴打するといった体罰はあまり好まれなかったのですね。「ハリセン」が寺子屋での子どもに与える罰の中にあったというのも驚かされます。音のわりに痛みが少ないというのは「なるほど」と考えさせられました。それと同時に「破門」という手段が最終的にあるというのも大きな意味合いがあるのだろうと思います。

 

「破門」が行われるというのは最大級の罰であるというのが分かります。しかし、それが罰でありえるというのは、やはり子どもや親にとって寺子屋で勉強することが「自己責任」であるということが言えるのでしょう。最近ではこの生徒の「自己責任」という認識があまり強く言われていないような気がします。以前、旭川での中学生が自殺したニュースがありましたが、そこで校長は「加害者にも人生がある」というように被害者よりも加害者を守るような発言がありました。確かに「人権」という意味では考慮されなければいけないところはあるのはわかります。しかし、だからといって、「責任がない」とは言い切れないのではないかというのも感じます。義務教育や少年法、そのどれもが「加害者の子どもたちを守る」ということや「更生を望む」ものであるのはわかるのですが、そこにある「責任」はやはり伝えることも重要なことであるように思います。

 

そして、それは子ども自身が自身について感じて理解しなければいけないように思います。