5月2020

肥満と実行機能

実行機能は仕事以外にも健康面にも関わっています。ユトレヒト大学のデ・リッダー博士らの分析によると、実行機能が高い人は、肥満になりにくいことが示されています。自分の体型や体調を維持するためには自分をコントロールする力は必須なのです。

 

肥満が深刻な社会問題になっているアメリカでは、事項機能と肥満の関係が幾度となく記されているそうです。一般に、私たちは高カロリーのものに対しては高い価値を置くことが知られています。これは、私たちが狩猟採集民であった遠い昔までさかのぼります。そのような時代においては、現実とは異なり、なかなか食料を手に入れることができませんでした。

 

生き抜くためには脂肪などを蓄える必要があります。そのため、脂肪分を含む高カロリーのものに価値を高く置いていたのではないかと考えらえています。狩猟採集時代においては、高カロリーのものに価値を置くことは大切なことだったのです。そのため、私たちはどうしても高カロリーのものを選びたがります。もちろん、個人差はあるでしょう。お肉とサラダであればお肉、ケーキと寒天であればケーキのほうに価値を置く人も少なくないのではないでしょうか。

 

しかし、現代の日本のように食料に比較的に恵まれている社会では、高カロリーのものを選択することは必ずしも良いことではありません。高カロリーのものを選びたくなる傾向をコントロールすることで、肥満や栄養の偏りを防ぐ必要があります。実行機能が高ければ、目の前にある食べ物や飲み物などの誘惑に負けないような生活習慣を作ることができるというのです。そして、それを積み重ねることで健康維持ができるようになると森口氏は言っています。

 

人は様々な欲求を持っていますが、その一つが食欲です。面白いのが、こういった欲求衝動はもともと人間が本来必要とした能力です。しかし、その本来の能力が今の時代ではミスマッチしているのです。複雑な判断が今の社会では必要となっているのです。また、このことは食欲だけではなく、性的行動にも実行機能は必要になってくると森口氏は言っています。前回、紹介した「ケーキの切れない不良少年」を書いた宮口氏の著書の中にも「実行機能」という言葉は頻繁に出てきました。森口氏はこの性的行動と実行機能についてはどのような見解を持っているのでしょうか。

実行機能と仕事

実行機能が日常的に必要なこと場面は、何も誘惑や困難に打ち勝つことや欲求に抵抗するだけではありません。実行機能には他にも別の側面もあると森口氏は言います。たとえば、会社であるプロジェクトを任されるところを想像してほしいといいます。

 

プロジェクトの目的が、新商品を企画することだとしましょう。この目的を達成するためには、いろいろな仕事をこなす必要があります。たとえば、人員や予算を確保する必要などです。従来の商品との違いを明確にするために、既製の類似品を調べなければなりません。専門家の意見を聞きに行く必要もあるでしょうし、他にも様々な書類作業業務もこなさなければなりません。このときに大事なのは、プロジェクトをどのように遂行するかのプランを立て、どの仕事からこなすか優先順位をつけることが必要になります。行き当たりばったりで仕事をこなしていては時間がかかってしまいますし、非効率です。何が本質的に必要なことで、何が枝葉であるかを見極めなければならないのです。

 

また、状況に応じて、柔軟に頭を切り替える必要があります。たとえば、企画していた新商品と類似した商品が競合他社から販売されることを知った場合には、プロジェクトの方向性を考え直す必要があるでしょう。自分の企画に自信があったとしても、類似品になってしまっては二番煎じとの評価は免れません。仕事へのこだわりは重要なことですが、いつまでも過去にこだわりすぎると、目標の遂行が困難になってしまいます。

 

このように目標を達成するために、優先順位をつけたり、頭を切り替えたりするのも実行機能における大事に側面となっています。こういったように実行機能は仕事においても、日常の様々な行動とも大きく関わることがわかります。

 

「自分をコントロールする」ということはなかなかに簡単なことではありません。しかし、この自分をコントロールする力、すなわち、実行機能は将来的な仕事の場面に大いに役に立ちます。顧客とのトラブルや同僚や上司といざこざがあったとき、時には自分の気持ちを抑えることが必要になります。先に話した目標達成のために、優先順位をつけることもあります。問題の解決に向かうためには、時として感情や欲求を抑えて、粘り強くやりとりをすることで、問題解決の糸口を探らなければいけないのです。

 

これは管理職にも必要な能力です。シンガポール国立大学のヤム博士らの研究では、実行機能の低い上司は、顧客とのやりとりにつかれて自分を抑えきれずに部下を罵りやすかったり、仕事の付き合いで消耗しやすかったりして、うまく仕事を管理できないことが報告されているのです。ただ、実行機能は低そうだけど、仕事ができる人もいるかもしれないし、そういった前例があるというのを見ると、あくまで全体的な傾向であるということなのでしょうが、実行機能が高い人の方が仕事でいい成績を残しやすいというのは間違いがなさそうです。

 

その点で、話題に上がってくるのがスティーブ・ジョブズ氏であり、森口氏も彼の名前を挙げています。スティーブ・ジョブズ氏に関しては、以前にもこのブログで取り上げたので、多くは取り上げませんが、彼以外にも、京セラの創業者である稲森和夫氏や、パナソニックの創業者である松下幸之助氏も、自分をコントロールする力の重要性を説いています。優れた経営者には、やはり実行機能が備わっているというのは確かなようです。

実行機能とは

実行機能とはどういったものなのでしょうか。ここでもう一度整理して生きたいと思います。まず、自分にとって、一番のご褒美となる飲み物や食べ物を想像します。ある人にとってはケーキかもしれませんし、それはビールかもしれません。自分が、とてもお腹を空かせている、または、とても喉が渇いているときに、そのご褒美が目の前に置かれていたとします。たとえば、ご褒美がビールだったとしたら、今すぐにでも飲みたくなります。

 

しかし、ここで友人が、次のような選択肢を与えます。今すぐビールを飲むのであれば、小さなコップ一杯だけ。でも、もし荷物を運ぶのを手伝ってくれたら、ジョッキ1杯に増やしてあげるというのです。ここで、荷物を運ぶのにかかる時間は15分だとします。今すぐ喉を潤したいなら、目の前のコップ一杯のビールに手を出すほうが良いかもしれません。でも、コップ一杯だけでは満足できないだろうから、少し我慢して、ジョッキ一杯飲む方が満足度は高いかもしれません。つまり、目の前のコップ一杯のビールという選択は、自分にすぐに小さな喜びや快楽を与えてくれます。一方で、15分後のジョッキ一杯という選択は、少し後により大きな喜びや快楽を与えてくれます。2つの選択肢を与えられたときに、どちらを選ぶのかが、自分をコントロールする力を表しています。

 

こういった誘惑をコントロールすることは男女問わず、世代や立場関係なく、常日頃から起きていることです。そして、こういった誘惑や困難に打ち勝つことについて、シカゴ大学(当時)のホフマン博士の研究では、205人の大人にポケットベルを1週間持たせ、1日の様々な時間にポケベルを鳴らしました。そして、その前後で何らかの欲求を感じているか、その欲求をコントロールしているかどうかを尋ねました。その結果、研究参加者は、ポケベルが鳴った瞬間、半分で何らかの欲求を感じ、その多くの機会でその欲求を抑え込んでいると報告しました。もっとも多いのは食欲や睡眠欲ですが、それ以外にも、性欲やタバコ、はては、ソーシャルネットワーキングシステム(SNS)での承認すら私たちに快楽を与えてくれるので、その種の欲求もあります。

 

こういった欲求に打ち勝つことができなかったらどうなるでしょうか。人間関係にしても、健康にしても、子育てにしても、想像しただけで恐ろしくなります。健康な社会生活を営む上で、自分をコントロールする力が重要な役割を果たしていることが分かりますと森口氏は言っています。

 

このことは昨今のニュースからも読み取れるように思います。新型コロナウィルスでの「自粛警察」といった様々な問題、世界的なポピュリズム、「あおり運転」など、どうも一度、自分を振り返って、検討するというよりも、衝動的に動くことで起きる問題が最近はよくニュースに上がってきているように思います。現在社会において、この「実行機能」を持つということは社会を形成するうえで非常に重要な意味を物語っているように思います。

将来に必要な力

現在、世界の教育機関や研究機関、国際的な組織において、子どもの実行機能が非常に注目されています。実行機能とはポール・タフ氏の著書にも何度も出てきましたが、「目標を達成するために、自分の欲求や考えをコントロールする力」です。ポール・タフ氏の著書では自制心という言葉でよく出てきましたね。この実行機能ですが、子どものときにこの能力が高いと、学力や社会性が高くなり、さらに、大人になったときに経済的に成功し、健康状態も良い可能性が高いことが示されています。逆に言うと、幼い頃に実行機能に問題を抱えると、子ども期だけではなく、将来にも様々な問題を抱える可能性があるのです。

 

実行機能は、子供の将来を占ううえで、極めて重要な能力なのですが、日本では、実行機能という言葉自体ほとんど知られていません。実際、実行機能が子どもの将来に重要だといわれても、「実行機能なんて聞いたことがない」とか「IQのほうが大事でしょ」と思われる人が多いのではないかと森口氏は言っています。もちろん、IQは重要です。しかし、最近の研究では、実行機能は、IQよりも子どもの将来に影響を与える可能性があることが示されているのです。さらに、より重要なこととして、実行機能は、IQよりも、良くも悪くも家庭環境や教育の影響を受けやすいのです。もちろん、一つの能力だけで子どもの将来が決まるわけではありません。しかし、一貫して実行機能や自制心が子どもの将来に影響を与えることが示されていることは事実であり、その重要性も明らかになっています。

 

では、人間は実行機能をどのように身につけるでしょうか。森口氏は実行機能は人間を特徴づける能力の一つではないかと考えています。とはいえ、実行機能が生まれてきたばかりの赤ちゃんにこの能力が備わっているとは思えませんし、赤ちゃんどころか、若者ですらこの能力は十分に発達していないように思ったそうです。なぜなら、20世紀末に若者がキレやすいという社会問題がマスコミを賑わしました。1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件をはじめ、未成年者によるさまざまな凶悪犯罪が起き、当時未成年だった森口氏たちの世代は、マスコミから「キレる若者」といるレッテルを貼られたのです。ここで言われている「キレる」ということは、誘惑や困難に打ち勝つ力が足りないことを意味しています。実際のところは、マスコミが過剰に騒いだだけであり、直接の因果関係があるかどうかは分かりませんが、このことと実行機能は繋がって見えます。

 

以前紹介したポール・タフ氏の著書では、対象は中学生や高校生から社会人につながるないようでした。森口氏の著書においてはこの実行機能の始まり、幼稚園や保育園、そして小学校において、どのように身につけていくかが紹介されています。

必要な資質

以前、ポール・タフ氏の「失敗する子・成功する子」を取り上げました。そこにはマシュマロ実験などをはじめ、非認知的能力を中心に、実行機能や自制心を持っていることが、社会にIQ以上に必要な力になるということが言われていました。非認知的能力というのは最近の保育の研修では非常にホットな話題でもあります。そして、保育という教育の分野では、この非認知能力というものに焦点を当てることが大切なことなのではないかと私は思いっています。なぜなら、保育においては、小学校などの学校教育とは違い、成績目標というものがまずないということが言えます。つまり、成績がつくような教育形態ではないのです。

 

保育園や幼稚園においても、重要とされるものがあります。幼保連携型認定こども園においては教育及び保育の基本が書かれています。そこには「乳幼児期の教育及び保育は、子どもの健全な心身の発達を図りつつ生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの」とあります。「人格形成」というものに重きが置かれています。そして、そのために「乳幼児期を通して、その特性および保護者や地域の実態を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とし、家庭や地域での生活を含めた園児の生活全体が豊かなものとなるように努めなければならない」と書いています。

 

しかし、未だに画一的に子どもたちに一斉の保育をしていると、子どもたちは主体的に動くことをしなくなり、他律になっていきます。以前、このブログでも取り上げましたが、麴町中学校の工藤先生は指示されて動いていた子どもたちは、自分で考えることをしないので、何か失敗したときにその指示をした人のせいにする、いわば「他責」になると言っていました。果たして、それがグローバルになっていくこれからの社会で通用していくのでしょうか。

 

他責にならないためには、自分で考えるようになる必要があります。そして、そのためには「主体性」が保たれる環境でなければいけません。また、主体的に活動するにあたって、自分の感情や情動をコントロールしていくことも求められています。この感情のコントロールができなければ、他の仲間と関わっていくことができません。社会で生きるためには他者と関わることは非常に重要なことです。しかし、このコミュニケーション能力が低下しているのではないかと最近では言われています。

 

今回、自分をコントロールする力を非認知スキルの心理学に合わせて書いている森口佑介氏の本をもとに、どのように実行機能を持ち、非認知スキルを得ていくのかを見ていこうと思います。