5月2020

気付かれない

障害を持っている子どもたちが学校でも、子どもたちの問題行動の背景まで気づいてもらわれず、「手のかかる厄介な子」といったような見方をされ、結果として問題が深刻化することがある子もある中で、保護者にも気づかれることがない場合もあるそうです。これは保育現場においてもあることなのですが、保護者に子どもの問題行動を話していてもなかなか理解してもらうのは困難なのです。これでは適切な支援を受けることがありません。

 

その後、少年たちが社会に出たときに やる気はあっても、認知機能の弱さ、対人スキルの乏しさ、身体的不器用さなどが原因となって、言われた仕事がうまくできない・覚えられない、職場の人間関係がうまくいかない、時間通りに仕事に行けない、などの問題を起こし、非行に理解はあっても発達障害や知的障害についての十分な知識がない雇用主から叱責を受け、嫌になってやめてしまうことになるのです。

 

では、特別な支援が必要ながら、気付かれていない子どもたちは、どのくらいいるのでしょうか。現在、知的障害はIQが70未満と定義されており、これは1970年代以降のものです。1950年代の一時期には「知的障害はIQ85未満」とされていたことがありました。IQ70~84 は、現在では「境界知能」と言われる範囲にあたります。とすると「知的障害は85未満」とすると、知的障害と判定される人はどれくらいいるのでしょうか。実際でいうと全体の16%くらいが知的障害扱いになり、それではあまりに人数が多すぎることになり、支援現場の実態に合わないことになります。そのため、さまざまな理由から「IQ85 未満」から「IQ70未満」に下げられたのです。しかし、実際のところ、IQ70~85 の子どもたちは減ったのでしょうか。そんなことはなく、時代によって知的障害の定義は変わっても、境界知能の子どもたちは依然としているのです。つまり、この範囲内の子どもたちは知的障害者と同じくしんどさを感じており、支援を必要としているかもしれません。

 

では、そういった境界知能の子どもたちはどのくらいいるのでしょうか。知能分布から算定するとおよそ14%いることになるそうです。それは1クラス35名のうち、約5人いることになります。つまり、クラスで下から5名程度は、かつての定義なら場合によって、知的障害に相当していた可能性があるのです。

 

ただ、そもそも知的障害自体は病院の治療対象ではありませんので、軽度知的障害であっても気づかれる場合は少なく、診断がつくことも少ないのです。平成30年度の内閣府の障害者白書によると、知的障害者は108万人程度いるとされていますが、5年前の平成25年は54・7万人でした。5年間で倍に増えたのです。当然、このように急激に知的障害者が増えることはありません。これは知的障害に対する認知度が高まって、療育手帳取得者が増えた結果なのです。これは「支援が必要なのに気づかれていない知的障害者がまだかなりの割合いる」ということが言えます。境界知能になるとますます気づかれないでしょう。病院に行っても適切に診断され、支援を受けられるようになることは、通常ないと宮口氏は言っています。

 

しかし、このように急激に知的障害者が増えたことに反して、支援の現状を用意するのが難しくなっているのですね。その結果、境界知能や軽度知的障害を持っている子どもたちは適切に支援されず、結果問題行動を起こしてしまう。悪い連鎖が起きているのですね。それだけ、今の教育現場において一人一人にフォーカスが当たりずらい現状があるのだということがわかります。私の園では今チーム保育で4人一組で子どもたちにあたっています。そのため、気になる子どもに一対一で関わる時間も作ることができます。これまでの保育や学校教育の現場では、周囲に合わせることが重要視されるあまり、個々の要望にはそれほど重きが置かれていないように思います。では、個々の要望に重きを置くとやりたい放題なのではないかという話が出てくるでしょうが、そうではありません。あくまで、「その子自身が」周囲にアンテナを張り、「自分から合わせよう」とする主体性が求められるのです。そのための援助が大人には必要になってくるのだと思います。そして、そういったことはなにも学校現場だけでは起きることではなく、乳幼児からの積み重ねは大きいように思います。

共通点と違い

宮口氏は幼稚園や、小学校、中学校と様々なところで学校コンサルテーションや教育相談、発達相談を行っているそうです。そこでは生徒や子どもたちの頭を悩ませる行動の相談も多く寄せられてきます。もちろん、その問題は発達相談から始まり、イジメ、不登校、非行、親の不適切養育と様々です。また、そこで上がってくる子どもたちの特徴や振る舞いは相談ケースとして挙がってくることが多いのですが、よく見てくと、その子どもたちの特徴や振る舞いは非行少年たちの小学校での様子とほぼ一緒だったということが見えてきたそうです。

 

それまで、宮口氏は少年院に入ってくる少年たちの生活歴は特別にひどいものだと思っていたそうですが、もちろん、親の非虐待や親の刑務所入所などはありますが、それは全員に共通したものではないと言います。むしろ、前記にある子どもの特徴のほうが共通していたのです。では、普通の子どもたちと非行少年たちとの差はどこにあるのでしょうか。

 

非行少年たちの調書や成育歴を見ていると、大人が頭を抱える共通の特徴は小学校2年生くらいから少しずつ見え始めてくるようになるそうです。その中には知的障害や発達障害といったその子に固有の問題や家庭内での不適切養育や虐待といった環境の問題を背景とした問題がありますが、それとは別に友だちから馬鹿にされ、イジメにあったり、親や先生から「手がかかるどうしようもない子」と思われることで、単に問題児として扱われることもあります。そして、その問題の背景まで気づいてもらえない場合があります。

 

そういった場合、学校にいる間は大人の目が届きますが、学校を卒業してしまうと支援の枠から外れてしまいます。本人が困っていなければ本人から支援を申し出ることはほとんどないのです。そのため、仕事は続かず、人間関係もうまくいかず、ひきこもったりして社会から忘れ去られていきます。もし、そういった子どもたちが小学校で特別支援教育につながっていたら、少年院に行くことも、被害者を作らなかった可能性もあるのです。

 

最近、療育の子育てセンターに行くことがありました。そこには多くの療育を必要とする子どもたちが来ていましたが、実際、自分の感覚から言うと「それほど問題を抱えているのだろうか」と思う子どもが多かったです。しかし、実際保育現場においては大変なのでしょう。確かに最近は発達障害にも当たらない、いわゆる「グレー」と言われる子どもたちが多くなっていることに気づきます。集団内において見ることができず、一対一での対応を求める子どもたちが多くなってきています。宮口氏は小学校2年生から現れると言っていますが、逆にこのことが意味していることに疑問を感じます。なぜなら、幼児期においてもここで挙げられていた特徴は見えてくるからです。乳幼児においても、押さえておく必要がある部分は多くあるように思います。