ファシリテーション

最近、マネジメントに対して悩むことが多くあります。特に職員に対して、どうあるべきなのか、以前ここでも紹介した吉田松陰の松下村塾の塾生のように自分たちで議論をし、意識を高く持つような集団をつくるにはどうしたらいいのかと思うことがたびたびあります。以前の話の中でも、松陰の的確なやりとりには自分自身感じることが沢山ありました。

そんな中、最近よく聞くワードに「ファシリテーター」という言葉をたびたび聞きます。ファシリテーターとは「促進」を意味する言葉であり、会議などの進行を司る役割もこれに含まれます。つまりは、様々な会議や研修などにおいて参加者の発言を促したり流れをまとめる人のことを指します。このファシリテーションについて、新宿せいがこども園の藤森先生のブログ「臥龍塾」で「ファシリテーター」についてこんなことが書かれていました。

『子どもの参画を助けるファシリテーターが備えているべき資質は、教師や子どもとともに活動するための訓練を受けてきた人の多くが従来持っている資質と同じでないことは明らかだとハート氏は言います。ファシリテーターは、知識を伝える人として働くのではなく、子どもが自分たちで活動できるよう舞台を整え、そのことによって子どもたちを助ける人っだというのです。これはファシリテーターが、自分の知識や技術を隠すべきであるという意味ではないといいます。子どもたちが自分自身で問題を発見し、その答えを見つけ出すようにするためにこそ、ファシリテーターは知識や技術を使うべきなのだろうというのです。ファシリテーターは子どもと同じレベルにあるのではなく、いろいろなリソース〔材料、人材、資金、参考資料など〕があることを知らせて、子どもたちを助ける人だというのです』と書かれてありました。

つまりは、従来の教科を教えたり、子どもに知識や技術を伝えたりするということではなく、子どもたちが自ら活動する場所を整え、援助する人であるということを意味しているのです。そして、子どもたちが自分で問題を発見し、その答えを見つけるようにするために知識や技術を使う必要があるのです。これは子どもに対するファシリテーションであるのですが、私はこのような距離感を持つことは大人においても必要なことであり、組織における部下との関係性においても同様のことが言えるのではないかと思うのです。

「伝えなければいけない」ことの「伝えかた」というものは非常に難しいと思うことがよくあります。「伝えなければ伝わらない」ですし、「注意を伝えると、モチベーションがさがってしまうこともあります」そのため、いささか集団において、モチベーションを下げず、当事者意識をもって、職員が主体性をもって自ら進めていくことが出来る場をどうやったら作ることができるのかと考えることがたびたびありました。その実現を考えると管理者がやらなければいけないのは「ファシリテーション」をする役割になることになるのだろうと思うのです。ただ、「援助」という距離感が意外と難しい。相手に責任を持たせることや、自分で考えさせるためには、自分たちでコントロールできているという状況を作らなければいけません。そういったどこで出て、どこは任せなければいけなのかという行動における取捨選択が求められるのであろうと思います。そして、そのためにはどういった職場を作ることが理想なのかという大局を見たビジョンを持つことが必要なのでしょうね。なかなか、そこに域に至るほどの器を持つのは難しいものです。