人形文化

宮本は人形にも注目しています。「近頃、都会の玩具店や、土産店にたくさん並べて、人気のあるこけしは、もともと東北地方の木地師たちがつくって温泉地の土産として売ったものである。木地師たちは椀や盆を作るのがその主業であったが、その余った木屑で、人形をつくったのである。コケシというのは、木屑を意味する言葉のようであり、西日本にもあった。つまりロクロをつかって木地ものをつくるところでは、そうした人形を子どもたちのためにつくる風習があったのであろう。その人形をオボコともネブリコともいっている」

 

日本における「人形」というものを考えると一番にコケシが出てきます。このことを受けて藤森氏は「子どものころ、コケシは旅行のお土産の定番で、家には日本各地の大小さまざまなこけしがケースの中に所狭しと並べられていました。そして、その形は、顔が少しずつ違っていました。今の子どもたちは(コケシではなく)人形をもって遊ぶことが多いようです。子どもが人形をもって遊ぶというのは世界共通なのでしょうか。ドイツでも人気です。」と言っています。

 

柳田国男氏の「こども風土記」には「買うて与える玩具、これが現今の玩具流行のもとで、形には奇抜なモノがおおく、小児の想像力を養うには十分であったが、いかんせん、そういう喜びを味わう折が以前は極めて少なかったのである」つまり買い与える玩具の一つが「おみやげ」だったのですね。そして、「あんなオシャブリのような小さな玩具でも、やはり最初は、御宮笥(おみやげ)であり、すなわち日本人の信仰からうまれて、発達したものだったということである。」とあります。そして、コケシもその一つであったのでしょう。

 

この人形の信仰について、宮本氏は「もともと人形は神の依代(よりしろ)としてつくられたり、人間の災厄をはらうときに用いる。形代としてつくられたのが起源であろうが、こういうものが子どものモチアソビになっていた歴史は極めて古いと思われ、ヒイナ遊びのごときは、平安時代以来の文献にしばしば見えるところであり、それが3月3日に行われるもとは決まっていなかった。そして、今日ではヒイナ遊びとよばず、ヒナ祭りというようになってしまって、モチアソビとは違ったものにまでなっている」元々のお雛様も子どもたちのモチアソビやネブリコといった弄びものから始まったのが、いつのまにか高価になり、見るだけのものになってきたのですね。