子どもの道徳観②

最近の発達研究では、子どもにも多少の道徳観があることが示されています。ただ、生得的な知識をもってはいるものの、成長につれて世界を学習し、世界と自分を変革する能力を持っています。世界を知ることとその変革を思い描くことは車の両輪のように行われていることはこれまでのブログでも紹介しました。最近の研究ではごく幼い子ども、早い例では新生児でも基本的な道徳感がみとめられることが分かっています。生得的で不変の「道徳文法」、固定的な情緒反応もあります。ただ、それだけに限らず、子どもでも大人でも、世界や自分自身についての知識が深まるにつれ、道徳的思考も修正されていきます。特に子どもは、世界についての理論の変革能力が高いように、道徳的な判断や行為の変革能力も高いと見られます。

 

では、そもそも「道徳」というものはどういったものを指すのでしょうか。私たちの道徳観というものは「他人と自分の関係についての基本的な考え方です」。「他人にしてほしいと思うことは何でも同じように他人にしてあげなさい」や、「自分がされて嫌なことは人にはしない」とよく言われますが、この道徳的要請は、考えてみると人が他人の立場に立つことができるという想定に基づいています。さらに「犯罪」で考えてみると、悪いことをした罪や責任を問えるかどうかは、「それが意図的だったか」それとも「偶然起きたか」がその分かれ目になります。これが法原理における「犯意」という考え方です。法制度も、法より前に道徳的に守るべきルールがあることを前提に作られています。

 

このことを踏まえたとき、ピアジェが、子どもは純粋な道徳的知識を持たないといった背後には、子どもは他人の立場に立ったり、他人の意図を推察したり、抽象的なルールに従うことはできないというところにありました。しかし、ピアジェの子の想定は現在の科学では否定されています。なぜならば、子どもには生まれつきの共感能力があることが分かったからです。新生児は他人に共感できるだけではなく、自分が相手と感覚を共有でしている子とも認識できます。相手の感情を自分に取り込めるのです。1歳児は、意図的な行為と偶然の行為を区別できますし、純粋に利他的な行動もとれます。3歳児は愛と思いやりという基本的な道徳観を身につけています。こ

 

ゴプニックはこういった幼児期の研究は、人間がお互いをいたわり合う理由を解明する手掛かりをくれると言っています。そして、それとは逆に互いにひどい仕打ちをし合うのはなぜかということへのヒントも与えてくれます。それは人間の道徳的な成功だけではなく、失敗や弱点にも新たな光を投げかけます。ごく幼い子どもでも、おとなと同じように怒りや復讐の衝動を持つことや、人を社会集団に切り分け、自分のグループをひいきしたり、一見無意味なルールでも、決められた以上はしたがうなどということが分かってきているといいます。

 

こういった子どもたちの行動は保育をしていると当たり前のように行っています。怒りや復讐の衝動などは、1歳児でも見えてきます。これらを道徳観とつなぎ合わせて見ることができるかということが重要なことで、研究を通して、子どもの新しい見方を得ることはとても勉強になります。こういった一つ一つの行動は親と子どもだけでは得ることができません。子ども集団での関りは道徳観においても、とても重要な環境なのだろうということが見えてきます。