教員

これまではテストの在り方について、PISAから見るとどうかということを紹介していました。では、つぎに「教員」についてはどうでしょうか。当然、教育においても質が良くなっていくにあたって、教員の質というのも求められてきます。

 

アンドレアス氏は「教員は学習成果につながる学習環境を作り出すことができるような専門的な知識(例えば、学問的な知識やその学問におけるカリキュラムへの知識、その学問を生徒がどのように学ぶかに関する知識など)そして、それは時代と共に変わってきたりするので、ある意味で、生涯学習者として職業的な専門性を伸ばすための探求や研究のスキルも含んだものを期待されている」といっています。そして、教員が生涯学習者にならない限り、生徒もそのようにならないといっています。しかし、実際教員は仕事として今あげた定義以上のことを期待されていると言っています。

 

それはどういったことかというと「教員には、情熱的で思いやりがあり、思慮深いことも期待している。」というのです。それはすなわち、「生徒が何かに参加し責任を持つように促したり、異なる背景と多様なニーズを持つ生徒に対して、寛容さや社会的結束を促すこと、さらに生徒への継続的な評価とフィードバックをおこない、生徒が自尊感情と仲間意識を感じられるようにし、協同学習を促すことである。そして、教員自身がチームとなる、他校や保護者と一緒に共通目標を設定し、目標達成のための計画を立てて行動することを期待している」ことというのです。確かに、教員に対しては、単純に教科について教えるだけではなく、生徒への人間性や感性といってものにおいても求めているのです。日本ではこれを「学習指導」と「生徒指導」というように定義づけていますね。

 

シンガポールの国立教育研究所のウン・タン・セン局長はこのことについて「教員は同時に様々な学習者のニーズに答えるため、マルチタスクの専門家である必要がある」と述べています。教育現場は常に流動的に動いていますし、予想不可能なところがあり、どのように反応するかを考える時間もありません。様々な状況の中で、生徒との関わりにおいても、学習指導においても柔軟でなければいけないのです。これは保育においても、言えることです。しかし、保育においては学校教育よりもより「生徒指導」の方に比重が大きくなるのは言うまでもありません。このように教員というのは非常に高度なスキルを求められるのです。

 

ここからは私の主観なのですが、だからこそ、「何のために教育をするのか」や「今何が社会に必要とされているのか」ということを現場レベルにおいても、意識されることが質に大きく関わってくるのではないかと思っています。以前、自分が実習に行ったとき、そのころは『ゆとり教育』が始まったころでしたが、その頃は「なぜゆとり教育が必要なのか?これからの受験は変わっていないのに」というように、理想と現状が違いすぎ、目的が現場まで降りていないことや、教科にばかり目的が言っている現状が目に見えました。そのため、ゆとり教育というものの本来の理想とは結果的に大きな違いが生まれ、先日アンドレアス氏が言っていたように、「浸透しなかった」ということになったのです。テクニックだけではなく、本質としての理解というのも大切ですし、アンドレアス氏が言うように「教員こそ生涯学習者でなければいけない」というのは教員だけではなく、保育者自体もその意識を持っていないければいけないのだと思うのです。