教育

ラーニング・コンパス

DeSeCoでの概念の整理を通じて、2030年の未来に求められるコンピテンシーとして「新たな価値を創造する力」「対立やジレンマに対処する力」「責任ある行動をとる力」と三つのコンピテンシーが具体的に示されました。そして、それらのコンピテンシーを得るために「知識」「スキル」「態度及び価値観」を組み合わされることで、コンピテンシーが発揮されると示したのです。これらの3つのコンピテンシーは「変革をもたらすコンピテンシー」とされたのです。

 

次にコンピテンシーの発達・育成はどうすればいいのでしょうか。このことについて、Education2030では「変革をもたらすコンピテンシー」の獲得のために「AARサイクル」が示されました。これは「新たな価値を創造する力」「責任ある行動をとる力」「対立やジレンマに対処する力」といったこれから必要とされるコンピテンシ―を中心にコンパスの外周を沿うように、「見通し→行動→振り返り」といったサイクルを通すことを示しています。そして、コンパスをラーニングコンパスとして、「2030年のウェルビーイング」に向かったものと明示しました。

 

この「ラーニング・コンパス」ですが、なぜ、コンパスと表現したのでしょうか。「ラーニング・コンパス」は直訳すると「学びの羅針盤」です。これはこれからのAiの発達や移民の増加、サイバー・セキュリティなど新しい課題が登場する時代において「生徒が、単に決まりきった指導を受けたり、教師から方向性を指示されるだけでなく、未知の状況においても自分たちの進むべき方向を見つけ、自分たちを舵取りしていくための学習の必要性を強調する」ことが目的にされたからです。こういった時代に向き合うには学生たちは「時間的なコンテクスト(文脈):過去、現在、未来」と「空間的コンテクスト:家族、コミュニティ、地域、国家、デジタル空間などの社会的空間」といった人生の様々な場面に積極的に行動していく必要があります。そして、人災の様々な場面で積極的に行動していくために、こういったコンテクストを縦横無尽に動かなければいけないと考えられました。そのために自分のアイデンティティをもち、自分のしたいこと、すべきことを考えること、行動に移すことが必要になります。大切なのは「誰かの行動の結果を受けとめるよりも、自分で行動することである。形づくられるものを待つよりも、自分で形づくることである。誰かが決めたり、選んだことを受け入れることよりも、自分で決定したり、選択すること」であるとされたのです。このようなことを背景にして、「ラーニング・コンパス」として、「私たちが実現したい未来」を方向付けるものを象徴するものとしてもちいられたのです。

 

OECDが示すものとして「ラーニング・コンパス」はOECDのコンセプトノートにおいて、「OECDのThe Future of Education and Skills 2030プロジェクトの成果物であり、教育の未来について意欲的な展望を設定する、進化する学習枠組みです。ラーニングコンパスは、幅広い教育の目標を支え、『私たちが実現したい未来』すなわち個人及び集団としてのウェルビーイングの実現に進んでいくための方向性を示すもの」と述べられました。それは何か特定の方策を設定するものではなく、ウェルビーイングという目標を含めた学習の枠組みを示すことで、政策立案者、教師、政治家、保護者など様々な関係者が目標を共有したり、自分たちの取り組みを関係づけたり、推進するのに使っていくことが想定されているのです。

 

つまり、ラーニングコンパスは教育の方向性を示したものであると同時に、子どもたちが自ら考え、自ら行動に移すことが出来るための方策としてOECDがつくった学習的な枠組みなのですね。今の教育はこういった子どもの未来に思いをはせたものなのでしょうか。成績や学歴を追うことがこれからの未来につながるものなのでしょうか。大学や高校に行くことが当たり前になってきた世の中で、「何のために高校や大学に行くのか」を考えたことはあったのでしょうか。大学に行くと働くことの給与や有利さというものが保証されるというのが現状ではないでしょうか。しかし、だからといって、目的泣く大学に行くのはもったいないように思います。しっかりと未来を見据えて教育を選択できるだけの受け皿としての社会を作ることがこれからの社会には必要であり、それにおいて職業選択においてももっと多様性があったり、夢や目的が持てるような社会に変えていきたいものですね。

VUCA

子どもたちがこれからの社会で生きていく上で必要になってくるといわれている「コンピテンシー」という能力ですが、では、その「これからの社会」というのはどういった社会なのでしょうか。OECDのeducation2030では未来学者を含めた各分野の専門家から寄せられる意見を踏まえて、将来に対する予測を行ったうえで、キーコンピテンシーを特定していくこととしたのです。そして、そのうえでこれからの社会は「VUCA」な時代になるといわれています。

 

この「VUCA」ですが、これはvolatile,uncertain,complex,ambiguousの頭文字をとった言葉であり、2030年から世の中は今より「予測困難で、不確実、複雑で曖昧」な時代になるということを意味して使われます。2015年にEducation2030が始まったころに、OECD事務局によって示されたプロジェクトの提案書においても、このプロジェクトの目的として「2030年より予測困難で不確実、複雑で曖昧となる世界に向けて、生徒が準備していくためのコンピテンシーをよりよく理解するための枠組みを構築する」と明記されています。

 

では、このそれぞれの単語の内容を見ていきましょう。

・Volatile(変化しやすさ)

技術の発展など、我々を取り巻く変化のスピードや範囲が、常に加速していること

・Uncertain(不確実さ)

物事や状況が恒常的に変化し、将来何が起きるかを予測することも難しくなっていること。

・Complex(複雑さ)

移民の増加など、さまざまな物事が、単一の要因ではなく、相互に絡み合っている多数の要因によって生じるため、より複雑化したり、解決策を見つけるのが難しくなっていること。

・Ambiguous(曖昧さ)

物事の意味や帰結が曖昧になり、明快な意思決定を行うのが難しくなっていること。

 

といったこれからの社会が「VUCA」と言われる時代であるといっています。具体的には「Aiや3Dプリンター、バイオテクノロジーなどの技術革新、グローバル化や多様性の増大、生態系の不安定化、生物的多様性の喪失、国際的な不平等の拡大、人口動態の変化、環境変化、資源の枯渇、生物学的多様性の喪失、新しいコミュニケーションの形態の登場、大規模な価値の変化、規範の揺らぎ、紛争や新しい形の暴力、貧困、人口移動、不均衡な形での経済面・社会面・環境面での開発」などがあげられています。特にAIや移民などの多様性、社会的な格差といったものは特に重大な問題といえます。

 

こういった非常に複雑に変化が起きる時代の中で、これからの子どもたちは生活していくことになるのです。その中で、最近よく言われる「ゲームチェンジャー」としての人材が今後は最も必要な人材となっていますし、そのために教育や保育は人材を育成するためのことをしていかなければいけません。今何のために保育が必要なのか、どういったことが今の時代求められているのか、DeSeCoの中で定義づけられているコンピテンシーというのはこういった時代において必要な力であるというのです。

コンピテンスの概念の特徴から、未来の能力

コンピテンスの概念の特徴の二つ目は文脈に即したアプローチです。これは「ある状況の中で求められていることに呼応した行動を重視する能力」と捉えられています。どういうことかと言うと、これから先AIなど社会の変容が予想されています。しかし、そんな社会と、例えば、無人島とでは、当然その環境は大きく違います。無人島ではAIの知識やリテラシーはまったくもって役に立つものではありません。これと同じように日本社会とアメリカ社会の比較でも同じようなことが言えます。日本社会においては「空気を読む」といったことや「他者に合わせる」と言ったことが重視されます。しかし、アメリカ社会では「自らの意見を明確に伝える」ことこそが重視されます。つまり、文化や社会の違いによって、必要とされる知識や技能といったコンピテンシーは変わってくるのです。

 

そこでコンピテンスからキー(鍵)となるものを抽出するということがDeSeCoプロジェクトの中で行われ、一定の基準が設定されました。

 

・学習可能であること(一定程度、教育可能である)

・様々な文脈(環境や文化)における重要で複雑なニーズを満たすために役立つこと

・誰にとっても重要であること

・メタ認知(認知していることを認知する。自己評価や自己分析)など高次のスキルを含むこと

・社会的に高い価値が認められる結果につながること

Ex、「個人のレベルでは、雇用、健康、安全、政治参加、知的な資源の獲得、社会的ネットワーク、文化的活動への参画など。」「社会レベルでは、経済的な生産性、民主主義的プロセス、社会的連帯・結束、人権、安全、公平、平等、持続的な環境など」

 

これらは、どのような文脈においても、適応できる汎用性の高いコンピテンシーを特定しようとしたものです。つまり、行動や活動の「そもそも」といったところでしょうか。ここでは木工やプログラミングを例に出しています。「木工で椅子を作る」といった具体的なコンピテンシ―ではなく、創造的思考力(どんなものを作るのか)や批判的思考力(どうやったらうまくいくのか)といったより抽象的なコンピテンシ―の方がどのような状況であっても能力を発揮することにおいて生かされる力となるのです。こういった汎用性の高い力を重視しています。

 

このような基準を作るにあたっては、国際的に受け入れられている規範として、国際人権宣言やリオ環境宣言などの国際的な取り決めの協定などが参考となっています。こういったプロジェクトにおいて、各方面・各分野からの意見をもとに理論的な貢献をふまえ、最終的にキー・コンピテンシーと特定されたものが「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合う力」「自律的に行動する力」「道具を相互作用的に用いる力」の三つとされました。

 

そして、このキー・コンピテンシーの枠組みには「省察・振り返り」がおかれており、これは「メタ認知的な技能(考えることを考える)、批判的なスタンスを取ることや創造的な能力の活用である」と考えられ、複雑化する世界において、「自律と連帯」「多様性と普遍性」「変革と継続」といった相反する問題や考えを乗り越えていくといった「総合的なつながりや相互関係を配慮して、いっそう統合的な考えで考え、振る舞う」といったことを必要としています。

 

確かにこれから多様化し、複雑化し、今の世の中で当たり前のものが変わってきたり、今ないものが当たり前になってくる社会に適応していくことにおいては、これまで以上に柔軟な能力がなければ活躍する人材にはなっていけません。つまり、21世紀型の教育というものはこういった目に見えない想像もしえない未来に向かっていく力といえるのです。

コンピテンスの定義と概念

OECDはDeSeCo(コンピテンシーの定義と選択)プロジェクトにおいて、PISA(生徒の学習到達度調査)やPIAAC(国際成人力調査)といった国際的な調査の理論的な根拠となることも期待していました。つまりPISA型の学力観にはどういった理論的根拠に基づいているかということが疑問になってきたのです。そのため、DeSeCoプロジェクトのテーマは「豊かで責任ある人生につなげ、現在や将来の課題に対応していくためには、どのようなコンピテンシーが必要とされるか」とされた。そしてそれは、「コンピテンシーとは何か」「どのようなコンピテンシーがより重要か」という課題ではなく、もっと大局的な視点が必要とされ、学校教育だけではなく、生涯学習の視点も含めて、コンピテンシーの枠組みを示すことが期待されていたのです。

 

では、実際、コンピテンシーとはどのような考え方が定義されたのでしょうか。まず、DeSeCoでのコンピテンスについての定義は「知識(認知的、メタ認知的、社会・情動、実用的)スキル、態度及び価値観を結集することを通じて、特定の文脈における複雑な要求に適切に対応してく能力」としています。つまり、これは以前にも書いた通り、コンピテンスとは、知識やスキルをつけることではなく、それらの考えを結集し、どのように駆使してこれからの複雑な社会に向けて「対応していく力」とするかという点にあるのです。

 

そして、その概念の特徴として①統合的な視点に立つこと ②文脈に即して捉えること といった二つのアプローチをコンピテンシーの概念の特徴として挙げています。

 

➀統合的なアプローチというのは個々の知識やスキルを必要な場面で結集して、発揮していくことです。自分が持っている知識をただ持っているものをただ持っているだけではなく、発揮していくためには、それをどう使うのかということが求められます。たとえば、自分自身が特定の知識を持っていて、それを発表するとしたとします。しかし、そこでPCを駆使して、資料を作れなければいけません。そのために、文章をタイピングできなければいけません。文章の構成や知識を説明するための下調べをするために論文を収集する能力やインターネットを駆使した情報収集能力も必要になってくるでしょう。ただ一つ「知識を外に出す」と言っても様々な能力を必要とします。それぞれの活動において、それに適した能力を必要に応じて活用していくことが重要になってきます。このように必要な力を組み合わせて活用していくというコンピテンシーの統合的な性格が一つ目の統合的なアプローチです。

 

次に②文脈に即したアプローチがあります。これは「ある状況の中で求められていることに呼応した行動を重視する能力」と言われてるものです。

コンピテンシーの概念

マクレランドは国務省職員の選好基準から伝統的な認知スキルという枠組みには収まりきることのない能力があり、新しい能力類型についての認識からコンピテンシーに関する本格的な議論を始めていきました。そして、協同研究者でもあるスペンサー夫妻と共にコンピテンシーのより詳細な定義づけを行っていきました。

 

そこにはコンピテンシーについて「ある職務または状況に対し、基準に照らして効果的、あるいは卓越した業績を生む原因として関わっている個人の根源的特性」とされていた。具体的には ・動因(ある個人が行動を起こす際に常に顧慮≪気遣い、考慮≫し、願望する様々な要因) ・特性(身体的特徴あるいは様々な状況や情報に対する一貫した反応) ・自己イメージ(個人の態度、価値観、自我像) ・知識(特定の内容領域について個人が保持する情報) ・スキル(身体的、心理的タスクを遂行する能力) から構成される複合的なものとして位置付けられました。ここで挙げられる能力は確かに職務であったり、何か目的があって動いたりするにあたって、物事を遂行するために必要な能力であることが分かります。また、これらの内容は自分を省みることや省みたうえで効果的な選択肢を取ることができる能力としても必要なものであるとも言えます。

 

しかし、このコンピテンシーの定義は論者によって異なるという危険性が指摘されています。というのも、このコンピテンシーがスキル(技能)やリテラシー(読み書きの能力)、クオリフィケーション(資格・能力)と区別なく用いられるといった状況があり、その中でもとりわけスキルについてはコンピテンシーと同義的に用いられる場合も見られるそうです。しかし、これはコンピテンシーの構成要素としての「知識」が含まれないという理解につながるという危険性もあるということが指摘されています。

 

確かにこの分類の理解というのは難しいですね。知識に対しても、スキルにしてもコンピテンシーは構成要素を考えていくとそれぞれのではなく、統合された内容のものでといえるのです。しかし、文脈としては「コンピテンシーというスキル」というような言い方を私も言っていました。このことの定義は未だ、まだまだ議論しているようです。それゆえに、このコンピテンシーの概念を整理する必要が出てきました。それがDoSeCo(Definition and Selections of Competencies :コンピテンシーの定義と選択)というプロジェクトです。このプロジェクトにおいて、上記のようなコンピテンシーの概念の様々な解釈や定義を整理することが行われていきました。