社会の変化

経済面の変化②

これからの時代における変化の中で経済面での変化には格差などの問題がありますが、雇用のオートメーション化も大きな問題となります。これは以前の内容にもあったように、単調な作業であったり、事務や製造業務といった単純作業のものはコンピューターによって代替されてしまったり、労働力の安い途上国にとってかわられてしまいます。これがルーティン的なタスクの減少です。これとは逆に非ルーティン的なタスクにも変化が見られるといいます。

 

非ルーティン的なタスクとは問題解決能力や説得力、感性、創造性などを要する仕事である「抽象的タスク」と状況に応じて臨機応変に対応したり、対人関係スキル、視覚や言葉を通じて状況を認識する力などを有する「マニュアル的タスク」の二つに分けられます。

 

抽象的タスクは何らかの分析を行うものや人間関係に関するものがあげられ、法律学や医学、科学、マーケティングやデザインなどの分野において特徴的に見られるようです。この抽象的タスクはこういった意味ではコンピューターに代替される脅威にあり、むしろコンピューターを活用した方が恩恵が大きいと考えられます。

 

一方、「マニュアル的タスク」は、食事の準備、トラックの運転、ホテルの部屋の清掃などが挙げられています。このマニュアル的タスクに関しては「抽象的タスク」の需要が増加傾向にあるのにかかわらず、1960年代から減少傾向にあります。その理由はもうすでにコンピューターの代替が始まっているからです。これまで複雑な課題があるとオートメーション化できなかったものが、一つ一つの課題を厳密に定義していくことでそれらの課題を解決できるようになり、オートメーション化が可能になってきているのです。

 

最後に「失業率」です。様々なデジタル化が進んでいる影響もあって、多くのOECD加盟国において労働市場が深刻な現状にあるのです。また、世界的な失業率は2008年尾世界金融危機以降つづいており、製造業や輸出業から金融業に至るまで幅広い業種に広がっている。また、最近は「ギグ・エコノミー」と呼ばれるインターネットなどを介して単発の仕事を請け負う、UberやAirbnbなどの、単発業務を受注する労働者も増えており、簡単に仕事を請け負うこともできる利便性がある一方で、今後も安定的にこういった仕事があるかというとそういった保障はなく、今後の社会においては経済的な変化は今でも起きているといえます。

 

こういった経済における変化は人々のライフスタイルに大きく影響し、「仕事」というもの一つとっても非常に多様化していたり、AIや海外の労働者の雇用などの変化も大きく影響していくことが見込まれているのです。そして、最後に今後の変化としてあげられるのが「個人レベルの変化」です。

経済面の変化

OECDの考えるこれからの社会の変化の二つ目が「経済面の変化」です。

それはどういったことかというと、一つ目が「経済的な格差の拡大」です。この経済的な格差ですが、このことに関しては何も今に始まったことではなく、これまでの歴史の中で経済格差はおきていました。しかし、現在の課題となっているものはこの「富める者」と「そうでない者」の格差が拡大しているということです。とりわけこの「富める者」の中でも「上位1%」となる超富裕層に富が集中しているといっています。この上位1%が急激な拡大が起きている原因としては、金融市場の自由化や限界税率の引き下げ、コンピューター革命の開始などと同時に生じたことによって起きていると考えられています。

 

また、こうした変化の背景には貿易障壁が下がるなど経済のグローバル化が進展するとともに、デジタル化の特徴として、先行企業がマーケット全体を掌握するという事象が合わさり「勝者総どり型」の経済を作り出したことあると考えられています。この「勝者総取り型」の問題は企業のオートメーション化が進んで、生産性が向上しても、その結果が労働者の賃金の上昇につながらず、その利益が資産家に集中していることにあります。これにより格差は拡大していくことになるのです。

 

今後はロボットなどのテクノロジーの価格は、普及するに伴って、下がっていくことが予測されています。しかし、そうなると、GDPシェアに占める労働者の寄与分についても、当面2030年にむけて低下し続けると考えられます。このことの解消には、何らかの新しい変化が起きるか、政策的な介入が行われない限り、GDPが増えた分はそのまま資産家のものとなる可能性があるのです。

 

次に「雇用のオートメーション化」です。これはこれまででも話題に上がることが多かったですが、AIや機械による労働の変革です。明確な傾向が見えるのは「ルーティン的なタスク(仕事)」に対することが人間ではなく、オートメーション化されるというものです。ここであげられる「ルーティン」とは「十分明確に定義されており、プログラムを実行するコンピュータか、あるいは、途上国の比較的教育レベルの低い労働者であって、ほとんど裁量の余地のないタスクを行う者たちによって実施されるもの」としています。要は単純作業といわれるものですね。例としてあげられるのが、簿記や事務、単調な製造業務などであるが、こうしたタスクについては、コンピュータや労働賃金が安い途上国の労働者に代わられてしまうことが予想されます。

 

では、これ以外の仕事についてはどう変化していくのでしょうか。このルーティン的なタスクではない、いわゆる「非ルーティン的なタスク」は大きく2つの「抽象的タスク」、「マニュアル的タスク」があり、それぞれに必要なスキルが求められるといわれています。

社会面での変化

OECDはこれからの社会における様々な予測をしています。そのなかで、これから必要とされるコンピテンシーやそれを養うカリキュラムについての議論をしています。では、OECDはどのような社会の変化になると考えているのでしょうか。これには大きく分けて3つの変化があるといっています。それは①社会における変化 ②経済面での変化 ③個人における変化 と考えています。

 

まず、そのうちの一つ。「社会における変化」ですが、これには5つの変化が挙げられています。一つ目は「移民の変化」です。世界的に見て、過去のデータを見ると中程度の所得水準の国から、より所得水準の高い国への人口移動が見られています。そのため、その国の言語ではなく、他の言語を使う生徒に向けた教育や、教育上の支援が必要になってきています。そのため、こういった様々なバックグラウンドをもつ生徒に対する支援を学校で受け入れていくことが課題になってきています。日本においても、少子高齢化によって、労働人口が少なくなっていくなかで、外国人の意味を受け入れることが見通されています。そのため、日本においても、外国人移民に関する課題は出てきます。また、その場合、移民の生徒の方が、その国で育った生徒よりも成績のスコアが低い割合が出ています。それと同時に、第一世代の移民の生徒の方が、第二世代の移民の生徒よりもスコアは低くなっているということも言えるようです。つまり、その国に長くいる子どもの方がスコアが伸びる傾向にあります。

 

次に、「地球環境の変化」です。温室効果ガスによる地球の変化は社会にも大きな影響を与えます。平均気温が2,3度上がるだけで、激しい水不足の発生、農業生産の減少、栄養失調、生物種の大量絶滅などにつながる可能性があるといわれています。しかし過去20年を見ると世界全体で温室効果ガスは増加の一途をたどっていますし、OECD非加盟国においては今なお増加傾向が続いています。こういった現状の中、温室効果ガスが出る化石燃料の使用の抑制、風力発電や地熱発電などの代替を進めていく必要があるのです。

 

次に「自然災害の増加」です。これは台風や洪水などのものもありますが、環太平洋地域においては地震が重大な問題を引き起こしている。たとえば、東日本大震災においては経済的に被害でいうと16.9兆円と試算されており、これはGDPの4%にも相当します。世界的には干ばつや火山の噴火、竜巻など様々な自然災害による被害が想定されています。これには前述にもあったように地球温暖化が進んだことによる平均気温の上昇が原因であるとも指摘されています。

 

この次は「政府による信頼の低下」です。政府機関においては、従来以上に透明性や説明責任が求められるようになります。政策について、誰が意思決定をおこなったかという情報を示すことは説明責任を果たし、公的機関に対する信頼を維持し、ビジネスを行っていく上で、公平な条件を確保していくために必要となります。他にも情報の透明性や公開性を確保することは、詐欺や汚職、公的資金の流用などを防いだり、各種の公的サービスの質を改善していくことにも繋がります。しかし、2008年以降の世界金融危機(リーマンショック)以降、全体的に政府に対する信頼度は国によって差はあるが全体的に低下傾向にあります。これは政治家や公務員不信ということですむ話ではなく、より深刻な問題をはらんでいるといいます。政府に対する信頼度が欠けているというのは、政府が策定する各種の法令や様々なルールを守ろうとする意識が失われている可能性があるのです。たとえば、投資家や消費者の立場からすると、コンプライアンスの意識に欠ける国において、積極的に投資したり、消費するという意識につながらないというのです。結果として、それはその国の経済にとって大きな打撃となるのです。

 

最後に「テロやサイバー犯罪の増加」です。世界全体において、テロ行為の約60%はイラク、アフガン、パキスタン、ナイジェリア、シリアの5カ国で起きているが、この5カ国以外の国においても、テロは増加しています。インターネットを介してサイバー犯罪も増えており、オンラインでの詐欺や、偽物・違法コンテンツの取引なども活発化しており、実際、EU諸国を対象として調査では、約85%がサイバー犯罪の被害者になるリスクが高まっていることが示されています。

 

このように全世界的に社会的な変化やリスクが高まっているということが言われています。こういった社会的な問題をどのように解消していくのかということが求められます。次に「経済面の変化」です。

VUCA

子どもたちがこれからの社会で生きていく上で必要になってくるといわれている「コンピテンシー」という能力ですが、では、その「これからの社会」というのはどういった社会なのでしょうか。OECDのeducation2030では未来学者を含めた各分野の専門家から寄せられる意見を踏まえて、将来に対する予測を行ったうえで、キーコンピテンシーを特定していくこととしたのです。そして、そのうえでこれからの社会は「VUCA」な時代になるといわれています。

 

この「VUCA」ですが、これはvolatile,uncertain,complex,ambiguousの頭文字をとった言葉であり、2030年から世の中は今より「予測困難で、不確実、複雑で曖昧」な時代になるということを意味して使われます。2015年にEducation2030が始まったころに、OECD事務局によって示されたプロジェクトの提案書においても、このプロジェクトの目的として「2030年より予測困難で不確実、複雑で曖昧となる世界に向けて、生徒が準備していくためのコンピテンシーをよりよく理解するための枠組みを構築する」と明記されています。

 

では、このそれぞれの単語の内容を見ていきましょう。

・Volatile(変化しやすさ)

技術の発展など、我々を取り巻く変化のスピードや範囲が、常に加速していること

・Uncertain(不確実さ)

物事や状況が恒常的に変化し、将来何が起きるかを予測することも難しくなっていること。

・Complex(複雑さ)

移民の増加など、さまざまな物事が、単一の要因ではなく、相互に絡み合っている多数の要因によって生じるため、より複雑化したり、解決策を見つけるのが難しくなっていること。

・Ambiguous(曖昧さ)

物事の意味や帰結が曖昧になり、明快な意思決定を行うのが難しくなっていること。

 

といったこれからの社会が「VUCA」と言われる時代であるといっています。具体的には「Aiや3Dプリンター、バイオテクノロジーなどの技術革新、グローバル化や多様性の増大、生態系の不安定化、生物的多様性の喪失、国際的な不平等の拡大、人口動態の変化、環境変化、資源の枯渇、生物学的多様性の喪失、新しいコミュニケーションの形態の登場、大規模な価値の変化、規範の揺らぎ、紛争や新しい形の暴力、貧困、人口移動、不均衡な形での経済面・社会面・環境面での開発」などがあげられています。特にAIや移民などの多様性、社会的な格差といったものは特に重大な問題といえます。

 

こういった非常に複雑に変化が起きる時代の中で、これからの子どもたちは生活していくことになるのです。その中で、最近よく言われる「ゲームチェンジャー」としての人材が今後は最も必要な人材となっていますし、そのために教育や保育は人材を育成するためのことをしていかなければいけません。今何のために保育が必要なのか、どういったことが今の時代求められているのか、DeSeCoの中で定義づけられているコンピテンシーというのはこういった時代において必要な力であるというのです。

成人までの期間

10月に私に初めて娘ができました。赤ちゃんを観察しているととてもかわいくもありますが、それと同時にその赤ちゃんのする行動一つ一つがとても興味深く感じます。まず、私の妻が気が付いたのが生後数週間でまつ毛が伸びてきたことです。その頃、私はまつ毛が伸びるのは当然であり、それほど驚くことでもなかったのですが、その時、ある先生から、「それは目が見えてきたからだね」と言われました。「目が見えるようになることで、注視するようになる。注視するようになると瞬きが少なくなり、そのため、目にゴミが入らないようにするためにまつ毛が長くなってくるんだよ。つまり、よく周りを見ているんだろうね」と言われ、非常に人間の発育というのは無駄がなく起きているのだということを感じました。

 

この発育に関しては人間の何が関係しているのかを考えるとおそらくは遺伝子だと思います。しかし、さっきの話だと、環境の問題もそこにはあるかもしれません。このように遺伝子だけではなく、環境要因にもよって、変化することつまり「可塑性」が人間の脳の組織や心、社会にまであらゆるレベルで人間性の根幹をなしていると言っている人がいます。それが「哲学する赤ちゃん」を書いたアリソン・ゴプニックです。

 

ゴプニックは「子どもと大人は、同じホモ・サピエンスでありながら、形態のまるで違う生物だと考えるほうが適切です」と言っています。そのため、子どもも大人も、複雑で優れた心と脳と意識形態を持っています。だからこそ、幼児期は人間の子どもが大人に独特の依存の仕方をして過ごす、そして、他の時期からはっきりと区別される発達期間だと言っています。では、なぜそのような時期を人間は必要なのでしょうか。なぜなら幼児期は養育者なしでは生きていけないのです。

 

ここでゴプニックはほかの種と人間を比べると人間は未成熟なまま依存した生活を送る期間は各段に長いことを示しています。そして、さらに歴史と共にその期間はさらに延長されていると話しています。確かに考えてみると日本で成人とみなされた「元服」は12~15歳の年齢が成人とみなされていました。しかし、今でいう「成人」は日本では20歳になっています。ゴプニックの言うように、その期間は時代と共に遅くなってきているのが分かります。では、なぜ、子どもが大人になる期間が他の種よりも長いのでしょうか。

 

このことについて、この守られた未成熟機関こそが、人間の変革能力と分かちがた関係を持っているとゴプニックは言います。人間の優れた創造力や学習能力は進化的に大きな利点で、人間はこれらのおかげで、どんな動物よりも多様な環境に適応し、どんな動物にもできないような環境に適応し、どんな動物にもできないような方法で、自分のいる環境を変えることができるようになったというのです。

 

つまり、他と違い大人に守られた環境の中で「学んでいる」時間が長いために、環境に適応することができるようになったというのです。確かに、元服があった時代よりは今の時代はより複雑になり、テクノロジーも発達しています。それは時代とにより多様になってきています。これが元服にあった時代と今の時代の成人と言われるまでの期間の違いにつながっているのだと言います。しかし、そんな学習により、より環境に適応し、環境を変えるまでに至った人間の生存戦略も不利な部分があると言います。

 

では、それはどういったところなのでしょうか。