模倣と遊び

これまでの実験を通してわかることは、子どもは赤ちゃんと言われるころから、他の人や養育者の行動を見て、因果学習をしているということが分かります。つまり、幼児に何かして見せたり、真似をさせることが、因果学習を促しているというのです。これは様々な文化特有の技術や道具の使い方もこうした「実演」によって受け継がれてきたというのです。

 

この「実演」による教育は何も工業化された現代だけに言えるものではありません。例えば、グアテマラのマヤ族の母子を研究したバーバラ・ロゴフは、マヤの子どもたちがごく幼いうちから複雑で危険な道具を使いこなす点に注目しました。すると、マヤの子どもたちは赤ん坊のときからいつも道具を使う大人たちと一緒です。それは村の広場が仕事場であり、保育園でもあるからで、そういった環境の中においては、子どもたちは常に大人のすることを見ながら育ちます。そして、この種の実演は、伝えるためだけではなく、変革の手段としてもとても有効だと言います。なぜなら、時としてたまたま発想か運に恵まれた人が思いついた技術によって、集落全体や子どもたちに伝わると、次世代ではそれが半ば天性のようになっているかもしれません。こういった技術革新は今の時代でも数多く起きています。

 

子どもは人のする特定の行動が何をもたらすか、他の人のする実験や介入が何をもたらすかを観察し、それを因果マップにして取り込みます。こうして頭の中に描かれた因果マップは、同じ結果を何度も出せるだけでなく、それとは違う可能性を検討したり、計画を立てたり、色々なことに応用できるのです。大人が歯車オモチャを操るのを見た子どもはそれを真似しているうちに、歯車の仕組みを覚えました。子どもは真似をしながら道具の仕組みを覚えます。基本的な仕組みさえ押さえてしまえば、初めての作業にも応用が利くのだとゴプニックは言っています。

 

こういった子どもの学習のプロセスを見ているとやはりモデルの存在というのは大切ですね。現在、自分が勤務する園では異年齢での保育を行っています。乳児においても、クラスで別れるというよりは子どもの発達によって分けることや、遊びによってクラスを行き来することがあります。幼児になると3~5歳児までを一つの教室で見るので、その中ででも真似をすることや遊びが広がることが多々あります。その中で起きる真似はよく見ると発達にあったものであるということが伺えます。いくら真似をすると言っても、自分が全くできないものはすぐに飽きてしまいます。子どもたちにとっては「もう少しでできそう」というものに一番楽しみ集中する様子を考えると、その答えは、近くに居る大人の環境もあるでしょうが、少し先の発達を見せる年齢の友だちの重要性もあるように思います。大人においても、子どもにおいても、憧れを持つことが真似の意欲にもなるのではないでしょうか。

 

また、遊びの中で、いろんなことを試し、不思議なことを自分なりに検証しつくせるような環境も必要なのだろうと思います。ゴプニックは「時としてたまたま発想か運に恵まれた人が思いついた技術」とありますが、このようにふとした瞬間に遊びの幅が広がる姿はよく見られます。子どもの遊びにおいて、こういったちょっとした発見をたくさんすることが、その先の学習意識や動機にもつながっていくのでしょうね。そう思うと、乳幼児期にしっかりと遊び込む経験というのが後に学習意欲につながるというのも分かる気がします。