空想と現実

2,3歳児になると、ごっこ遊びはかなりしっかりとしたイメージを共有するものになります。ごっこ遊びに費やす時間も長くなってきます。かつて、幼児のごっこ遊びは、認知能力の高さでなく、低さを示すものと考えられていました。フロイトもピアジェも、フィクションと真実、お芝居と現実、幻想と事実の区別がついていない証拠だと言っていました。これは大人に当てはめて見ると分かります。もし大人で髪を振り乱して「わらわは妖精の銃王じゃ」と宣言したら、あの人は頭がどうかしたのかしらと思われます。ゴプニックはこういったことと幼児のごっこ遊びは性質が異なると言っています。フロイトもピアジェもそのことをきちんと研究してこなかったというのです。ところが最近になって認知科学者がこの問題に取り組んだところ、2,3歳の幼児でも、空想やごっこ遊びを現実とはっきり区別していることが分かったというのです。

 

それは初期のごっこ遊びの特徴の一つに、お芝居しながらクスクス笑うことがあります。クスクス笑ったり、訳知り顔だったり、大げさな身振りだったり、これらの表情はすべて「これはただのお芝居だよ」というサインだと言います。オモチャのクッキーや携帯電話で遊ぶ子は、本当にそれを食べたり、本気でママに電話を掛けようとすることはないのです。よく、ごっこ遊びの子どもの様子を見ていると、普段の会話では方言が出てくることが多いが、ごっこ遊びの中では標準語で話していることが多いことがいわれます。それはサザエさんなど、テレビの影響ではないかといったようなところがクローズアップされることが多いですが、そもそも、そういった言語の形が変わるということ自体、子どもたちが「演じている」ということに他ならないのでしょう。また、オモチャの食べ物を食べた「ふり」をするというのも、もちろん、実際におもちゃを口に入れる子どももいますが、発達によっては何も2,3歳に限らず、1歳児でも「ふり」をすることがあります。それだけ、子どもたちは現実を理解しており、フロイトやピアジェが言っているように空想の中で生きているというわけでもないのでしょう。

 

しかし、そんな様子の中でも、現実と空想をごっちゃにしているとしか思えない行動があるとゴプニックは言います。それは全くの作り話だと頭でわかっていても、気持ちの方がついていかないときに反応が起きるのです。たとえば、ポール・ハリスは箱の中に鉛筆ならぬ怪物がいるという想像を子どもにしてもらう実験をしました。子どもたちは箱の中に怪物がいるわけないと分かっています。口でもそういっています。しかし、実験者が部屋から出ていってしまうと、こわごわ箱から遠ざかる子がたくさんいたのです。

 

これは大人でもあることです。心理学者のポール・ロージンは大人に対して、瓶に水道水を組んでもらいます。そして、「青酸カリ」と書いたラベルを瓶に貼ってもらいます。すると参加者たちは本当は毒ではないと分かっているのに飲むのをやめたのです。まさに疑心暗鬼になってしまうのは大人でも起きることです。

このことを踏まえ考えてみると、やはり幼児でも現実と空想とを切り話して考えていたり、逆に想像するがゆえにリスクを避けるという行動も大人と同様に想像力を働かせ現実の行動に生かしているということが見えてきます。