コミュニケーションの質を高めるポイント

企業や組織におけるコミュニケーションとは単に仲が良いことを指すことでもなければ、おしゃべりをすることではありません。松下村塾におけるコミュニケーションとは「意図や意思決定を行っていくなかで良好な共有関係をつくり、課題の発見や問題解決に向けて知恵を集めるプロセスの事である」と紹介されていました。では、このような質の高いコミュニケーションにするためにはどのようなポイントに注視したらよいのでしょうか。ここにおける大切なポイントは8つあります。

 

➀受容 「相手の基本的人権を尊重し、1人の人間としてありのまま受け入れる」

➁傾聴を心掛ける 「自分の価値観や先入観を持って聞かない。結論を急がない。凝視しない程度に自然に視線を向ける。書類などに目を向けながらであると、無視や拒否と取られる。状態や足をゆすらない。足を組まない。腕を組まない」

➂簡単受容 「うなづき、あいづち」

➃要約 「相手の話の用紙をまとめて伝え返し、相手の話を的確に理解できているかを確認

➄質問 「分からないことは、きちんと質問して、共通の理解をしておく」

➅フィードバック 「質問に答えてもらったり、アドバイスを貰ったりしたときは、その解答やアドバイスによって自分の考え方や行動にどういう変化が生じ、それによってどんな結果になるかをフィードバックする」

➆アサーション 「相手の立場や権利を尊重し、対等の人間関係を前提として、自分の意見、感情、権利など、言いたいことを率直に表現する。ただし、冷静におこない、発言することを一度心の中でまとめてから素直に表出するように心がける。」

➇非言語コミュニケーション 「身振り、対人距離、身体接触、声の大きさ、話す速度に気を配る」

 

これらの8つのポイントを心掛けることで質の高いコミュニケーションになると言います。

 

「傾聴」ということが割と私の場合課題であったり、アサーションというのは初耳な言葉でしたが、相手の権利や立場を尊重するということがまだまだできていなかったなと考えると、自分自身のマネジメントにおいて、「相手の立場になる」というよりも、「相手の目線に合わせる」ということに課題があるということが見えてきます。こういった指標をもって自分のコミュニケーションを見直すということはとても参考になるのではないでしょうか。私は割と頭で考えて物事を判断することが多いほうなので、自分の対応をこういった反省する自己評価があると割と関係性を気付くことにおいて、省みることが出来るように思います。

 

まず、重要になってくることが、こういったやり取りを通して、相手がどのように感じ、自分に向き合うようにするかが大切であります。何よりも、自分が変わらなければいけない。変わる必要があると思うためには、今の自分を見つめなおす必要があります。このポイントに関しても、そもそも「謙虚さ」というものがなければ、効率的にこのポイントを抑えることが出来ません。つまりは、こういったポイントを抑えたコミュニケーションが行える環境であったり、気づかせてくれる環境も必要なのでしょう。

コミュニケーションとは

1つめの「コミュニケーション能力の開発」では、どういった考え方を松陰はしていたのでしょうか。吉田松陰の行った松下村塾での教育は徹底した議論や討論でした。それは松下村塾だけではなく、他藩へ遊学や他の塾へ訪れたときも同様で、新しいことを学ぶだけではなく、自分の考えを述べ、他藩の人と議論することで、自分の人的ネットワークを広げていきました。そして、そのために必要だったのが「コミュニケーション能力」です。

 

ただ、一口に「コミュニケーション能力」といってもいくつかのものがある。その一つは「ディベート」です。ディベートはいわゆる討論による試合です。設定されたテーマについて「肯定派」と「否定派」に分かれ、決められた時間・順番によって討論し、第三者が評価を行います。そして、どちらが論理性、分析力、実証力によって第三者を説得できたかを競うのです。しかし、これは優劣を競うものなのでコミュニケーションとは言えません。次に「プレゼンテーション」です。これも自分のペースで話を進め、企業説明や商品紹介などはやりやすいが、一方通行になりがちです。では、どういったものが企業に求められるコミュニケーションなのでしょうか。

 

それは、「気持ち、意図、考え方などを言葉、文書、態度(表情、しぐさ、動作)などを通じて、必要な人や集団に伝え、様々な共有関係をつくり、課題の発見や問題解決に向けて関係者の知恵を集めていくプロセス」のことを指すのではないかというのです。ここにある共有関係というのは「上司と部下、やチームなど」のことを指します。そして、それらの目標や、知識、情報、仕事の進め方、判断の仕方、技術・技能などを共通に理解・認識していることの事を指します。そして、こういった共有関係を通じて、何が問題なのか、解決すべき課題なのかについて議論をして、認識を一致させることが大切になるのです。

 

こういった集団において必要とされるのはディベートやプレゼンテーションといった一方的であったり、勝ち負けといったやり取りではなく、新しい価値をつくるイノベーションが起こるやり取りの事をコミュニケーションというのだろうと思います。そして、そのためには統一された目的や目標意識が無ければ考えられませんし、それらが共通認識されていなければ、整理するものさしがなくなり、価値観をぶつかり合わされてしまいかねず、結果話を聞き入れるということも困難になってしまうかもしれません。そのため、周りの環境に対して、課題解決に向けて知恵を集めていくプロセスをコミュニケーションというです。

 

組織や集団におけるコミュニケーションとはただ会話やおしゃべりをするということではなく、課題解決に向けて知恵を集めていくことを指しているということはとても大きな意図であると言えます。そして、いまいち定義化されておらず、霧が覚めるかのようなすっきりとしたまとめ方をされているように感じます。このことはよく整理し、今の現状が正しいコミュニケーションが起きているかということを見ていきたいと思います。

7つの特徴

「松下村塾 人の育て方」を書いた 桐村晋次さんは松下村塾には7つの特徴があると言っています。

1,生涯を通じて学習を続けたこと。

今の時代は教育機関が終わると勉強も終わりという傾向があるが本来は終わりではなく、続いていくものであり、学んだものもかつようしていかなければいけない。

2,師弟がともに学び合う「師弟同行」が、村塾の基本姿勢であった。

どんな人でもすべて優れているわけではない、他の人に学ぶことは多く、互いに師となる必要がある。そのうえで、リーダーたる人は高い身分の保持に伴う義務を努める必要があり、自らを厳しく律することを考えていた。

3,少人数グループの議論を通じて、情報や知恵を集積し、一人ではできなくても、グループでやり遂げられることを体得させた。

答えの見つかりにくい課題を数人で討議させたり、難しい問題への対応を数人の弟子を指名して一緒に取り組ませた。

4,封建時代の身分制度を廃止、庶民の力を高く評価した「草莽崛起」の思想を根付かせた。

今の時代で言うと、学歴や学校の評価、男女差、雇用形態などの様々な利害があるが、そういった関係性を無くし、適材適所で関り合いながら関係性をよくしていく必要がある。

5,社会発展のために、若者に期待し、彼らを育てるという基本的な方針が村塾にはあった。

若者の自立を辛抱強く待ち、答えの無い問題を仲間と議論して考える習慣を持たせる。教え急がず、自分自身についての理解を深めさせることを進めた。

6,専門性を高めるには基礎を形成する教養を積むことが大切だということが認識されていた。

多様性を理解し、それぞれが得意な分野の習得に努め、視野を広げることの大切を求めた。

7,現場現実にふれ、情報と実践を重視するという心構えであった。

社会に目を向け、情報と実践をしっかりと結びつけたのです。

 

これらの特徴を抑えて考えると、松下村塾の塾生は「『集団啓発の場』を活用して“自力で”育っていった」ということが言えるのです。そして、この「集団啓発の場」のために大切なのは➀集団討議の中で、問題意識を共有し、問題解決に向けて知恵を集めていくコミュニケーション能力 ➁有用な人的ネットワークの構築 ➂小集団活動における集団啓発と自己開発 であると桐村さんは分析しています。

 

この三つの活用点はなるほどと思います。しかし、それと同時にこの内容に皆困っているというのも事実であり、悩ましい問題点であると思います。では、これらの3つの視点はどのように考えていけばよいのでしょうか。

志を持つ

松陰は常々「志に根差さない知識は人をあやまる」や「勇気のともなわない知識は曇る」と弟子に行っていたそうです。変革者に求められる第一条件は“志”であり、「志なくして始めた学問は進むほど、その弊は大きい。真理を軽んずばかりか、無識のものを惑わせるし、大事にのぞんでは進退をあやまり、節操を欠き、権力と利欲の前に屈する」と考えていました。このことに関して、私も同感です。「知識を得る」ということに対して、知識を生かすためには「何のために」するのかを考えなければいけませんし、そのためには大局を見るための志が必要になるのだと思います。

 

そして、この志を支えるために松陰は、気力、気迫が大切であり、優れた人物に会って話を聞くこと、様々な名著に親しみ、偉人の伝記を読むことで、絶えず心を引き締めるように心掛けなければいけないというのです。そして、この気迫をみせるためには「平時は用事のほかは一言も言わず。一言するときは温和な婦人のように静かに語る。これは気迫をつくるもとである。言葉や行動を慎み、低い声で語るぐらいでなくては、いざというときに大気迫はでてくるものではない」と説いています。

 

こういった志と気力を重視した松陰の教育は集団の啓発つながります。集団の中で鍛えられ、高められてきます。志が共有された集団であれば、そこには大義に向けて力を合わせ、共に育っていく集団ができると松陰は考えていたのです。そのため、松陰は「集団を規律あらしめるのは、“管理・統制”ではなく、“相互の厳しい切磋琢磨”である。この集団啓発さえあれば、若者はその力を伸ばしていける」と考えていました。誰かから統制された他律で行われる集団ではなく、相互に関係しあい、切磋琢磨していくなかでお互いに高め合うことで規律は生まれ、誰かが決めた規律ではなく、自分たちにとって意味のある規律になっていくのだというのです。今現在、様々なところで様々なルール作りが行われています。ドローンや少年法、コンプライアンスなどが厳しくなっていますが、世の中の人を見ていると「ルールがないことが問題」とルールがないことばかりに気が向いているように思います。本来あるべきルールは「お互いが気持ちよく生きるため」にあるべきものであり、「思いやる」ということをベースにしなければいけません。「ルールを知っているかいないか」や「ルールがあるかないか」というものではそもそもないのだと思います。このように考えると今の社会は国民それぞれが当事者意識をもって社会を担っているとはいいがたく、政治のせいであったり、自治体のせい、上司のせい、部下のせいなどと誰かのせいにしてばかりの社会なのかもしれません。もしこれが、松陰の言うように「志」というものを今の時代の人が無いというのであれば、それは教育や保育のせいなのかもしれません。。

 

「志」というはある意味で「夢を持つ」ということや「目標を持つ」ということでもあります。今の時代こういったことを持ちづらい時代なのかもしれません。それでは生き方において楽観的にもならないでしょうし、ポジティブな雰囲気にもならないのでしょう。そういった集団が多くなるようなときに、吉田松陰の集団作りというのは今の時代だからこそ学ぶ必要があるように思います。

リーダーシップとしての関わり

吉田松陰の師弟関係は「師弟同行」と言われるほど他の塾生と同じ立場で議論することを大切にしていました。それは松陰亡き後、弟子たちも同じように他の塾生に関わっていきます。松下村塾において松陰亡き後をまとめた久坂玄瑞のリーダーとしての役割は「真理を追究し、時代の改革者たろうとする建学の志を高く掲げ、進むべき道を明らかにすること」を求められました。その中で他の塾生と同じ立場で議論し、悩み、行動し、しかもリーダーたらねばならぬ認識から、一時の感情によってではなく、冷静に進むべく道を求め続けたというのです。

 

この姿勢はリーダーとしての志として見習うべきところが多くあります。しかし、そのためには同じ立場での議論ができるだけ周りの人を認め、信頼する関係性をつくらなければいけなかったり、進むべく道を求めるためには、自分自身の私欲や顕示欲を捨てたりする必要があります。また、それと同時に周りの意見からも学ぶことができるだけの度量や器がなければいけません。真の志に向き合う誠実さとそれに応じた謙虚さがリーダーには必要とされます。「型」にこだわりすぎると「実」を見抜けないこともあります。そのために、普段からアンテナを張り、知識を得て、裏付けをもとにした選択を行える準備をしていなければいけないのでしょうね。

 

また、久坂玄瑞は入江杉蔵に向けた手紙を送りますが、そこには命令口調はありません。「〇〇は読まれましたか。お読みになるなら送ります」「○○を学ぶのが良いと思います」とか「(あなたの)識見は相当なもの。到底僕などが及ぶところではない。(ムダな本を読んで)いたづらに、歳月をもてあそぶことはやめてほしいと思う」というような書き方がされており、そこにも師弟同行といった姿勢が貫かれていました。

 

この文章を見ていても、相手の技量を認めるところはしっかりと認めていたうえで、より良くなるための「提案」をしています。ある先生に「無いとこねだりではなく、あるとこ探しをしなさい」と言われたことがあります。それと同様に相手の素晴らしいところをしっかりと「認める」ということの重要性がこの文章から見えてきます。そして、「あるとこ探し」をする姿勢というのは、逆に「短所を言い換えて長所として見る」ということでも言えます。この姿勢が無ければ、同じ立場になるということが出来ませんし、議論においても発言は無くなっていくのだろうと思います。

 

こういった松下村塾のリーダーシップがあることで、松陰の死後においても、塾生たちは成長を続けていくような組織風土になっていき“同行の連鎖”として脈々と伝承されていったのだろうということが分かります。