あいさつ

トップパフォーマー

クリスティーン氏は人に感謝の意を表すことは、礼節ある人間になるためには必要なことですが、特に「先頭に立って何か成果を上げた人だけでなく、その人を後押しするために動いた人たち、つまり、陰で会社を前進させる力となった人たちも正当に評価でき、その働きに報いることができないといけない」と言っています。組織の中で働く人たちは、自分の仕事だけでなく、他人と協力し合うための仕事にも時間を使う必要があります。ところが、「社員同士のやり取り」がどのように行われているかを把握する仕組みを持っている企業は少ないと言っています。アイオワ大学のニン・リーらの研究によると、自分の仕事とは関係ない「付加価値のなる仕事」というのは周囲の同僚たちを助けます。こういった「スター社員」はほかの社員すべてを合わせたよりも、会社の業績に大きな影響を与えると言っています。しかし、こういったスター社員の貢献を多くの企業は認識していないと言っています。

 

ある調査によると、他の社員に対して非常に協力的な人たちのうち、社内で「トップパフォーマー」だと認識されているのはわずか50%だと言います。そして、「スター」とされている社員の中には、他人にあまり協力的でない人が20%もいるという。自分の数字をあげ、手柄を立てることばかり熱心で、同僚の成功に貢献しようという人たちなのです。残りの30%の人たちこそ、真のトップパフォーマーといえるのです。

 

しかし、この真のトップパフォーマ―には、どこかで燃え尽きてしまう危険性があると言っています。なぜなら、そういった「縁の下の力もち」として優秀であるというと、それだけみんながその人に対して過剰な要求をしてしまいかねないからです。そのため、20社における企業への調査で、他人と進んで協力する姿勢のある人ほど、最終的には企業に対する帰属意識が下がり、自分のキャリアに対する満足度も低くなる傾向にあると言います。そして、非常に貴重な存在であるにもかかわらず、結局は勤務していた企業を去ってしまい。その人がやめてしまうと、持っていた知識も、人脈も、すべて失われてしまうことになります。また仮に辞めずに会社に残ったとしても、次第に無気力になり、不満を募らせ、それを同僚たちにも広めてしまう恐れがあります。

 

このように他人と協力する態度を評価できる体制になっているかを確認するべきであるが、こういった他人を助けられる人こそ最高とみなし、その努力に感謝できる会社になっているかを確認するべきだと言っています。保育施設においても、こういった「トップパフォーマー」といわれる人はいます。そういう人ほど、よく話をし、聞きに来るのも特徴として挙げられます。そう思うと、「礼節」というのはリーダーには最も必要でしょう。保育の業界は企業と違い、はっきりした業績が見えるわけでもなく、成果が見えにくいです。だからこそ、より人との関係性がよりはっきりしているようにも思います。「礼節」を主題にしているこのクリスティーン・ポラス氏の本は企業だけではなく、保育施設においても、同様に重要なことを挙げているように思います。

信念を持つ

私は「志」や「誇り」という言葉に強い意志を感じます。そして、この言葉はどの仕事においても、重要なことであると思っています。先日、テレビ番組「半沢直樹」を見ていても、それを感じることがありました。

 

そこでは主人公の半沢直樹が「私は勝ち組、負け組という言葉が大嫌いだ」というセリフがあったのです。そして、「子会社だから、親会社だからといって、遠慮することはない。」ということも言っていました。ほかにも「信念を持って事に当たる。真に顧客のお客様の利益になるために」と言葉は正確ではないですが、そういったニュアンスのことを言っていました。

 

この言葉も、どの職業にとって、重要な意味合いがあるように思います。私は保育の話を職員にするときに必ず「理念を持って保育をしよう」と話すことがあります。一体自分たちが何のために保育をし、何のために今の仕事があるのかを考えてほしいと思っています。そして、この言葉を話しながら、自分にも言い聞かせるようにも戒めています。

 

今回の新型コロナウィルスでもありましたが、この仕事は比較的に国に守られた仕事です。コロナ禍でも仕事は休業要請からも外れ、仕事はありました。飲食業やその他の仕事は今の時代非常に苦しい時代でもあると思います。しかし、こういった社会インフラの仕事というのはそれだけ社会において重要であるということも言えるから確保された現状があるのです。この意味をよく考えなければいけないとふとドラマを見ていて改めて感じました。

 

「保育」というのは人を育てる仕事です。つまり、その先の社会に「生きる人材」を作ることが仕事です。そういった意味のある仕事であり、ただ子どもを預かっている仕事ではないのです。そのため、私の師である先生がいつも言うのですが「保育は子どもたちが社会に出た時に活躍するためには、未来のことを予測して保育しなければいけない」とおっしゃっていました。それほどまで、高い理想があるということをいわれなければ感じない私もまだまだ未熟であると思いましたが、それが実際のところ真に考えなければいけないことであり、こういったマインドを持って保育を組み立てていかなければいけないのだろうと思います。

 

今の保育の現状は「職場の人間関係」や「保護者との関係」で1年もたたずやめていく職員がいるという話を聞きますし、保育士不足も深刻です。しかし、こういった時代だからこそ、この仕事が一体、社会にどれだけ貢献し、どれだけやりがいのある仕事かということを改めて感じることが大事なのだろうと思います。でないと、仕事の意味ややりがいを感じません。なによりもそういった気持ちが持てるような保育士施設にしていくことが大切なのだと思います。

 

しかし、こういった思いを持たせるということはなかなか簡単なことではないというのは身をもって感じています。だからこそ、自分はもっとより高い信念を持たなければいけないのだろうなと感じました。変な話ですが、こういったドラマを見ると改めて奮い立たされるところは多くありますね。

青年期の実行機能

青年期の感情の実行機能はギャンブルテストで調べられます。子どものテストの場合は前回紹介したようにシールを活用していましたが、若者を対象にしたテストでは、お金が使われます。なぜなら、子どもにおいてもお金は価値のあるものなのですが、青年期になるとそのお金の重要性は格段に増してきます。洋服や食事代、アクセサリーや化粧品など、欲しいものばかりとなり、どうしてもお金が必要になるからです。

 

ロンドンの大学のブレークモア博士らの研究では、9~11歳の子ども、12~15歳の中学生、15~18歳の高校生、25歳以上の成人を対象に、お金を使ったギャンブルテストで、どの年齢層がハイリスクハイリターンの選択をする傾向にあるかを調べました。このテストでは、参加者はお金をたくさんもらえるかもしれないが、たくさん失うかもしれない選択肢(ハイリスクハイリターン)と、お金を少ししかもらえないが失うリスクが低い選択肢、(ローリスクローリターン)を与えられ、どちらを選びやすいかが調べられました。

 

この思考の実行機能の研究結果をみてみると脳がまだ発達の過程にある9~11歳が予想されると思いきや、ハイリスクハイリターンの選択をしたのは子どもよりも、成人よりも中学生や高校生のほうが多く、中でも中学生がもっともハイリスクハイリターンな選択を市がちだったのです。どうやら青年は、子供よりも、目の前のお金があるとお金に対する欲求を止めることができず、ハイリスクハイリターンの選択をしてしまうようだと森口氏は言っています。

 

ここであることが見えてきます。幼児期から児童期にかけて同じようなタイミングで思考の実行機能と感情の実行機能が発達しますが、青年期においては違った発達過程を示しているということです。このことを確かめるために、ウェイル・コーネル医科大学のケーシー博士らは、両者の発達過程を直接比較し、違いがあるかを調べました。この研究では、ほとんど同じようなテストで感情・思考の実行機能を比較するために、簡単なテストを行います。

 

どちらのテストも真顔の写真と笑顔の写真を使いました。一つ目のテストでは、モニター上に笑顔の写真が出たらボタンを押し、真顔の写真が出たらボタンを押してはいけません。笑顔の写真の枚数が多いので、真顔の写真のときにもついついボタンを「押してしまいそう」になります。その行動を制御する必要があるのです。こちらは思考の実行機能です。もう一つのテストはこのテストとは逆に、真顔の写真が出たときにはボタンを押し、笑顔の写真が出たときにはボタンを押しません。

 

一見、二つとも同じようなテストに思えますが、森口氏は笑顔を見ると人はつい嬉しい気持ちになり、ボタンを押したくなってしまうことが知られており、「押したくなる」ボタンを押さないという意味で、こちらは感情の実行機能のテストになると言っています。

 

このテストを小学生、中高生、大人にやってもらったところ、思考の実行機能のテストは年齢が上がるとともに成績が良くなったことに対して、感情の実行機能のテストでは中高生が最も成績が悪いという結果がでました。2つの実行機能の発達は異なっており、思考の実行機能は右肩上がりであるのに対して、感情の実行機能は青年期に一時的に悪くなってしまうことが確認されたのです。

 

なぜ、青年期には衝動的な行動を抑制することができないのでしょうか。

親子関係と成功

ポール・タフ氏が息子エリントンが生まれた当時は「知能至上主義」がまだまだ強い時代でした。そのため、彼自身も他の親同様の心配を持っていました。もし脳の力を育成する教育用のカードを使わなかったら、あるいは分娩室でモーツァルトのCDをかけることや、曽於語も幼稚園の入学テストで満点をとるまでモーツァルトを浴びせ続けることを怠ったせいで、息子が成功者になれなかったらどうしようと考えたそうです。しかし、彼はその後読み始めた様々な脳科学者たちの研究は違う方向を示していました。確かに、最初の数年は子どもの脳の発達にとって決定的に重要ではあるのですが、その間に子どもが獲得する寛容なスキルは教育用カードで教えられるものではないと科学者たちは言います。

 

タフ氏は息子が読み書きができるようになるかどうかは、これを知ったからといって、突如心配もしなくなったというわけではないが、そうした特定のスキルは私が何をしようと遅かれ早かれ身につくだろうと思うようになった。なぜなら、本に囲まれ、読書が好きで計算も容易にできる両親と暮らしているのだからというのです。それよりもタフ氏が自信が持てなかったのは、性格についてでした。

 

もちろん、個人の性格は文化や家族、遺伝子、自由意志、運などのあいだで起こります。はっきりとは特定できないあらゆる種類の相互作用によって発達するのです。しかし、新世代の神経科学者たちが成し遂げた最も深遠な発見は、子どもの脳の化学作用と成人の心理の間に強力につながることなのです。私たちが性格と呼ぶ崇高で複雑な人間の性質の奥底にあるものは、科学者たちの発見によれば、発達段階にある幼児の脳内、胎内の特定の化学物質による平凡で機械的な相互作用です。もちろん、化学作用は運命ではありません。しかし、勇敢で好奇心が強く親切で賢明な成人を生み出す一番確かな方法は、幼児の頃にHPA軸(ストレス対応システム)をうまく機能させることであると実証されています。

 

では、このHPA軸をうまく機能させるにはどうしたらいいのでしょうか?まず、深刻な心的外傷と慢性的なストレスから可能な限り子どもを守ること。次に、これがさらに重要だが、少なくとも一人の親(理想的には2人)と安定した、愛情深い関係を築くこと、これが成功の秘訣のすべてではないが、とても大きな一部であると言われています。

 

そして、タフ氏はマイケル・ミニーのラットの研究を息子に当てはめて、実践していく中で一つのことを見つけていきます。そこには親と子ども、大人と子どもの関係性において一つの大切なことを示しており、このことはまさに「見守る保育」においても通じるものであるように思います。

 

それはいったいどういったところなのでしょうか。

悲観と楽観

人は先入観をもって物事を見てしまいます。自分が思っている通りの答えを探してしまうのは「確証バイアス」が働くからであり、この確証バイアスを除いて、お気に入りの仮説が間違っていることを証明することを「反証」と言います。そして、この確証バイアスはチェスのプレーヤーにとっては非常に問題になります。

 

そこでプレーヤーにゲームの最中の盤面を見せ、次の一手として最良のものを考えてもらい。そして、「フリッツ」と呼ばれるチェスの分析プログラムを使って、それぞれのプレーヤーの思考がどれだけ正しかったかを確認しました。すると、当然、ベテランのグループは初心者のグループよりも正確に状況を分析していました。問題は「どのように違ったか」です。一言でいうと、上級者のほうが悲観的だったのです。初級者は気に入った手を見つけると確証バイアスの罠に陥りやすいというのです。つまり。勝利につながる可能性だけを見て、落とし穴は見過ごしてしまうのです。これに比べ、ベテランは隅にひそむ恐ろしい結果を見過ごしません。上級者は自分の仮説を反証することができ、その結果、致命的な罠を避けることができるのです。

 

スピーゲルはどんな動きの結果についても少し悲観的であるくらいのほうがいいという考えには同意するといっています。ただし、チェスの能力全般については楽観するほうがいいと言っています。というのも、どんなに上達しても、死にたくなるほど馬鹿げた間違いをすることは絶対になくならないからであり、自分には勝てるだけの力があると自信を持つこともチェスの上達の一部なのだと言うのです。

 

ネガティブな考えを持つことはあまりよく思われないことが多くありますが、実際のところは必要なことでもあるのです。「反証」というのは「リスクヘッジ」とも言えます。問題点をあぶり出すためにはネガティブな目線は不可欠になります。「確証バイアス」がかかった状態の目線では一つの答えしか見えません。それだけリスクの幅は狭くなってしまうのです。チェスのベテランが悲観的な人が多いのはこういった一手に対するリスクヘッジが多様に見えているからなのでしょうね。また、最後のスピーゲルの「チェスの能力全般については楽観するほうがいい」というのも様々なところで重要になってきます。

 

ここでいう「楽観」というのは「自己有能感」や「自尊感情」がなければ持つことができません。結局のところ、自分自身が悲観的に多様な物事見て、物事に向き合う楽観性と自信を持つバランスが必要になってくるというのです。

 

スピーゲルは生徒たちとチェスクラブに行ったときにその様子を目の当たりにします。その生徒はじぶんより格上の相手と組まされるとき、「終わった」と思った生徒と、「インターナショナル・マスターを破ることだって不可能ではない」と完全に信じ込んでいる生徒を紹介しています。結局は後者の生徒は信念は無謀で馬鹿げたものだったが結局のところ実現したというのです。

 

物事は決して、良いことだけではありません。しかし、思いを遂げるためには信念を持つことはある一定の楽観性を持たせます。