日々思うこと

人の立場を理解する

今後論文の口頭試問があるのですが、それに向けた話し合いの中で、私を担当される副査が割と厳しい見解を持っているという話を聞きました。そして、その先生が一言「もう少し書けるかと思っていました」とこれまたかなり手厳しいことを言われたと聞き、少し意気消沈していました。「さて、どうしたものか」ただ凹んでばかりでは、話が進まないので、今後のことを整理しながらこれからの口頭試問について覚悟を決めていました。

 

そんな折、家に帰って、妻とそのことについて話をしている中で、今回の口頭試問で堪能の先生に割と手厳しいことを言われたと話をしたのです。その言葉に私の妻は一言「先生たちの気持ちもわかったんじゃない?」。おみそれしました。これまた手厳しい一言です。しかし、この言葉に対して、これまでの私であったら「そうか、やはり自分はできていないのか」とか「ダメだな」と単純に凹んでいたでしょうが。今回はなぜかその言葉に対して、「なるほど、先生たちとはこういう気持ちだったんだ」とふと感じることに至りました。そして、じゃ、こういった時にどういった言葉が欲しかったのだろう。なんて言ったらいいのだろうと冷静に考えることにもなったのです。おそらく、今の自分と照らし合わせてみると、「よく頑張ってたじゃない、でも、これがゴールと思わずに今回の内容を改めてみて、ブラッシュアップして、今後より良くなるようにもっと頑張っていこうね」と言われたいと思いました。そうすると、これまでの自分自身のがんばりやとりあえず一つのことが出来たことに対する一定の満足感はえれていたと思います。しかし、今回の担当の先生のように「もっとできたんじゃない?」とか「これぐらいかぁ」と言われると、意識の高い人間は「なるほど、もっと頑張らなければな」となるでしょうが、「こんなに頑張ったのに・・・」と思う人の方が多いのではないかとも思います。

 

マネジメントについてこれまで吉田松陰やそのほかの本も読んでいましたが、共通するのが相手を立てることや傾聴するということでした。そして、相手を認めるということです。この点に関して、自分自身頑張っているつもりであったり、やっているつもりであったのですが、自分がいざその立場になったときに「できていない」ことがあったということを理解しました。なるほど、「今の職員はこういった気持ちで感じていたんだ。そりゃしんどくもなるわな」と思いました。

 

特に最近は相手に対して、どのようにアドバイスをすることができるのか、どう声を掛けたら主体的になるのかと思っていました。そして、相手を認めている言葉がけとは何なのかと思っていたのですが、なるほど、「こういったことなのだな、自分に足りないのは」と素直に感じたのです。

 

今でも、どう考えて、どう話をしていけばいいのか。明確な答えは見つかってはいないのですが、こういった小さなやり取りの中で、どのようにして相手を認めていくことが出来るのかを考えた時に、自分が一度言われる立場になることで、改めて職員の立場であったり、感じ方であったりを体験したのはとても出来事であったと思います。また、感じ方がこれまでと違い、ただ凹むのではなく、自己分析し、活路を見たようになったのはこれまでマネジメントの本を読んだりしていたのが生きたのかもしれません。問題は実践です。これからどういった変化を起こすのかは自分自身なので、今回の事はよく考えて、これからにつなげていきたいと思います。

「有用な」人的ネットワーク

コミュニケーションの次に松下村塾で吉田松陰が塾生に求めたものを「人的ネットワーク」です。しかも、それは「有用な」人的ネットワークの創造を求めたのです。では、「有用」というのはどういったものなのかというと、「『自分たちが目指すことをやり遂げるために必要なものとはなにか』を考え、仕事や学問の環境や仕組み(組織)をどうやってつくっていくか、師や友人を求める基準をどこに置くかを考えて行動していた」とあります。大切なことは「めざすことをやり遂げるために必要な」ことを遂行するためのネットワークを作ることです。紹介している「松下村塾 人の育て方」はあくまでビジネス書ですので、保育や教育とは違った切り口で書かれていますが、教育や保育においても切り口を変えてみるとこの考えは利用できるものになります。

 

ただ、ビジネスとは違うのは結果がすぐに出るものではないというのが教育や保育にいわれるものであり、より強い動機を求められるということにもあるように思います。また、成績や業績といった目に見える成果があるわけでもないので、抽象的なものを追う形になるのもこういった教育における一つの課題であるかもしれません。ただ、ビジネスにおいて、様々な部署との関わり、営業や製造などの関わりと同じように、保育や教育においても、上司や職員、主任、保護者関係と人との関わりは求められます。そういった人との関わりにおいて、信頼関係を通して人的ネットワークというのはとても重要なものです。

 

松陰にとって人的ネットワークをつくる過程で重要なことは「有用性」であり、こういった視点で仕事の組織図をつくることを進めています。そして、仕事を進めていくなかで起きる小集団をうまく作っていくことの重要性を述べています。それは「自分の仕事を遂行するためにその都度必要な小集団をつくる」ということです。こういった自分の仕事を遂行するために必要な小集団をつくることで、高い生産性をあげることが出来るという言います。保育で言うと、子どもたちにとっていい環境が作ることが出来るということです。

 

保育の中でも様々な小集団は作られます。例えば行事の係であったり、複数担任制の職員関係です。何か新しいことを始めるにあたって、コミュニケーションを取りながら、小集団を絶えず作り課題に向かわなければいけません。

 

ただ、ここで言えるのは何においても「自分が目指すこと」が見えていなければいけません。つまり目的意識がなければ、ただの「作業」になってしまうのです。ここにマネジメントをする側の大きな意味があります。目的意識をはっきりと示す必要があるのです。でなければ組織は与えられたものでしかなくなります。仕事の質を高めるにはこういった目的意識を持たせた集団をつくっていくことが重要になるのです。リーダー自身はこういった有用な人的ネットワークを創造するために、組織全体にそのような考え方を持つように共通認識を持たせることが必要になります。

コミュニケーションの質を高めるポイント

企業や組織におけるコミュニケーションとは単に仲が良いことを指すことでもなければ、おしゃべりをすることではありません。松下村塾におけるコミュニケーションとは「意図や意思決定を行っていくなかで良好な共有関係をつくり、課題の発見や問題解決に向けて知恵を集めるプロセスの事である」と紹介されていました。では、このような質の高いコミュニケーションにするためにはどのようなポイントに注視したらよいのでしょうか。ここにおける大切なポイントは8つあります。

 

➀受容 「相手の基本的人権を尊重し、1人の人間としてありのまま受け入れる」

➁傾聴を心掛ける 「自分の価値観や先入観を持って聞かない。結論を急がない。凝視しない程度に自然に視線を向ける。書類などに目を向けながらであると、無視や拒否と取られる。状態や足をゆすらない。足を組まない。腕を組まない」

➂簡単受容 「うなづき、あいづち」

➃要約 「相手の話の用紙をまとめて伝え返し、相手の話を的確に理解できているかを確認

➄質問 「分からないことは、きちんと質問して、共通の理解をしておく」

➅フィードバック 「質問に答えてもらったり、アドバイスを貰ったりしたときは、その解答やアドバイスによって自分の考え方や行動にどういう変化が生じ、それによってどんな結果になるかをフィードバックする」

➆アサーション 「相手の立場や権利を尊重し、対等の人間関係を前提として、自分の意見、感情、権利など、言いたいことを率直に表現する。ただし、冷静におこない、発言することを一度心の中でまとめてから素直に表出するように心がける。」

➇非言語コミュニケーション 「身振り、対人距離、身体接触、声の大きさ、話す速度に気を配る」

 

これらの8つのポイントを心掛けることで質の高いコミュニケーションになると言います。

 

「傾聴」ということが割と私の場合課題であったり、アサーションというのは初耳な言葉でしたが、相手の権利や立場を尊重するということがまだまだできていなかったなと考えると、自分自身のマネジメントにおいて、「相手の立場になる」というよりも、「相手の目線に合わせる」ということに課題があるということが見えてきます。こういった指標をもって自分のコミュニケーションを見直すということはとても参考になるのではないでしょうか。私は割と頭で考えて物事を判断することが多いほうなので、自分の対応をこういった反省する自己評価があると割と関係性を気付くことにおいて、省みることが出来るように思います。

 

まず、重要になってくることが、こういったやり取りを通して、相手がどのように感じ、自分に向き合うようにするかが大切であります。何よりも、自分が変わらなければいけない。変わる必要があると思うためには、今の自分を見つめなおす必要があります。このポイントに関しても、そもそも「謙虚さ」というものがなければ、効率的にこのポイントを抑えることが出来ません。つまりは、こういったポイントを抑えたコミュニケーションが行える環境であったり、気づかせてくれる環境も必要なのでしょう。

リーダーシップとしての関わり

吉田松陰の師弟関係は「師弟同行」と言われるほど他の塾生と同じ立場で議論することを大切にしていました。それは松陰亡き後、弟子たちも同じように他の塾生に関わっていきます。松下村塾において松陰亡き後をまとめた久坂玄瑞のリーダーとしての役割は「真理を追究し、時代の改革者たろうとする建学の志を高く掲げ、進むべき道を明らかにすること」を求められました。その中で他の塾生と同じ立場で議論し、悩み、行動し、しかもリーダーたらねばならぬ認識から、一時の感情によってではなく、冷静に進むべく道を求め続けたというのです。

 

この姿勢はリーダーとしての志として見習うべきところが多くあります。しかし、そのためには同じ立場での議論ができるだけ周りの人を認め、信頼する関係性をつくらなければいけなかったり、進むべく道を求めるためには、自分自身の私欲や顕示欲を捨てたりする必要があります。また、それと同時に周りの意見からも学ぶことができるだけの度量や器がなければいけません。真の志に向き合う誠実さとそれに応じた謙虚さがリーダーには必要とされます。「型」にこだわりすぎると「実」を見抜けないこともあります。そのために、普段からアンテナを張り、知識を得て、裏付けをもとにした選択を行える準備をしていなければいけないのでしょうね。

 

また、久坂玄瑞は入江杉蔵に向けた手紙を送りますが、そこには命令口調はありません。「〇〇は読まれましたか。お読みになるなら送ります」「○○を学ぶのが良いと思います」とか「(あなたの)識見は相当なもの。到底僕などが及ぶところではない。(ムダな本を読んで)いたづらに、歳月をもてあそぶことはやめてほしいと思う」というような書き方がされており、そこにも師弟同行といった姿勢が貫かれていました。

 

この文章を見ていても、相手の技量を認めるところはしっかりと認めていたうえで、より良くなるための「提案」をしています。ある先生に「無いとこねだりではなく、あるとこ探しをしなさい」と言われたことがあります。それと同様に相手の素晴らしいところをしっかりと「認める」ということの重要性がこの文章から見えてきます。そして、「あるとこ探し」をする姿勢というのは、逆に「短所を言い換えて長所として見る」ということでも言えます。この姿勢が無ければ、同じ立場になるということが出来ませんし、議論においても発言は無くなっていくのだろうと思います。

 

こういった松下村塾のリーダーシップがあることで、松陰の死後においても、塾生たちは成長を続けていくような組織風土になっていき“同行の連鎖”として脈々と伝承されていったのだろうということが分かります。

実践者

松陰は「実践を第一とし、知ることは手段であって目的ではない」と考えていたようです。そして、「実践に結びつかない学問や読書には何の価値も置かなかった」というのです。この姿勢は我々も心掛けていかなければいけないものです。保育の中でも様々な研修が行われています。しかし、その研修をただの知識を得ることであるのであればその知識はあまり意味のあるものではなくなってしまいます。それらの知識の中からどういった実践を導けるのか、必要な知識なのかを考えていくためには実践を伴った姿勢で聞くことが重要になってきます。実践を伴った姿勢、つまり「こういった場合、自園ではどう考えられるだろう」と考えることがなければ学ぶ意味がないのです。松陰は「誰かが考えたり、言ったことを鵜呑みにすることや自分の意見として主張することを戒めた」と言います。「鵜呑み」というのはそこに「自分の考えはない」とも言えます。松陰はそういった「自分の意見」がないことをいさめたのだろうと思います。あくまで、個々人が「自分で考える」ということに価値を置いたのです。

「物事を知る」というのは単に知ればいいというものではありません。その知った知識をどうこれからの実践につなげていくのかということがとても重要です。松陰は「何もしないで失敗がないよりは、何かをして失敗を誤ったほうがよい」とあくまで実践を求めました。その根底には「知は行の本、行は知の実、二つのものは離れることはできない」と、その実践の重要性を説いたのです。「知(知識)」と「行(行為・じっせん)」は結びついているものであって、切り離されているものではないと考えているのです。そんな実践に重きを落ちていた松陰ですが、その一方で、「知識の裏付けなしには、志が正しいものにはならない」と知識の重要性も十分に理解していました。

この考え方は『「知識」は「行(実践)」の一部であって分けることはできない』といった「知行合一」の考えで、こういった考えは保育や教育の世界においても非常に大切な姿勢です。こういった知識と実践の結びつきを理解しているかどうかで研修の意味が大きく変わってきます。あくまでも知識を得ることは実践における「学ぶ意味」を知る重要性があるのです。そして、このことを体現していたのがなによりも吉田松陰本人であったのです。

常々、私は職員を研修に出すにあたって、自分自身がしっかりと理解しているように心がけています。帰ってきた職員とできれば議論が出来ればと思うのですが、そういった責任が管理者にも必要でもあるように思います。そして、知らなくても積極的に理解しようと貪欲でいるべきであろうと思っています。そのためのアンテナは張っているべきなのだろうと思います。ただ、松陰の言うように、理論ばかりが先行していても実践がついていきません。必要な実践のために知識を入れる必要があるのだということを考えると、それぞれが今の現場における「分からない」を理解していなければいけませんし、課題意識を持っていなければいけません。そのためには、いかにそこに所属するそれぞれが自分事として当事者意識を持っていなければいけないのだと思います。

松陰の場合はこれらのことにおいて、非常に貪欲的でした。そして、実践者であるがゆえに、実践からの疑問の解決にとても比重を高く置いていたように思います。世界への密出国にしても、日本の知識人のもとを伺っていたのも、すべては自分の中の疑問であったり、課題を解決することにどん欲であったのだと思います。そういった意味で吉田松陰は非常に知識欲に貪欲で、探求心であったり、興味関心が高く、かつそれを実現化する実践者でもあったのですね。