日々思うこと
「保育の内容をどう発信するのか?」これは悩むことが多いです。私は割と頭で考えるほうなので、なかなか行動に移すことが出来ずにいるのですが、周囲の人に背中を押され、何か行動に起こすことにしました。最近では、できるだけ園であったことを園のブログを利用して、発信していくことを心掛けています。
こういったことを進めていくと、色々な事に気付かされます。当然、ブログに園の内容を書くことになるのですから、当然ネタを探さなければいけません。そして、そのためにはクラスや子どもの様子を見にいかなければいけません。そうしていくと当然課題が見えてきます。しかし、それと同時に、「こんなことも頑張っていたんだ」と見えていなかった現場の取り組みも見えてくるようになりました。
ここでこれまでのマネジメントの自分の課題がパチッと解消されていったように思います。知らずこういった活動が「良いとこ探しになってきたのです」。これまで保育の内容を話だけで聞くことが多く、そのほとんどは「相談」か「決断」です。しかも、多くはネガティブな内容です。情報もないまま、こういった採択をしなければいけないので、「現場はどうなの?」「できているの?」と疑ってしまうことが多く、できていないのではないかと思ってしまうことが多々ありました。
こういったことを繰り返していくと、園の雰囲気はどんどん悪くなり、職員同士も疑心暗鬼になるような人間関係になっていったように思います。この解消のため、最近マネジメントやコーチングの話を勉強していたのですが、私の心持だけではなかなかうまくいっていませんでした。
そんなときに妻に相談をしたのです。「何かしなければいけなのだけど、何をしたらいいんだろう」。すると妻は「とりあえず、できることから行動に移してみたら?」「たとえば、なにができそう?」と聞かれて、「ブログが止まってるんだよね~」と言うと、「じゃ、それからはじめたら」。本当にこれくらいのやり取りです。前述した通り、私は頭で考えてしまうので、頭の中は「でもな~」と二の足を踏みたがります。しかし、この妻とのやり取りで、まずはやってみるかと思い動いてみると、わりと良いことが多く見つけられました。
よくよく考えるとこの妻とのやり取りは正に「コーチング」であり、自分自身がそれを妻に自然とコーチングされていたのだとここで文字を起こしながら感じています。それと同時に「何か行動を起こす」というのは面倒で、時には勇気のいることです。しかし、無駄かもとおもう行動でも、動いてみることで見えてくる発見はたくさんあるのだということを改めて感じました。今後も「何が出来そう?」と自分に問いながら、それを行動に起こすことを面倒くさがらず行動していこうと思います。そして、他の人に対しても、こういった感情や背中を押すことが出来る自分になっていけたら良いなと改めて感じる機会になりました。
2022年2月2日 4:50 PM |
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投稿者名:Tomoki Murahashi
今後論文の口頭試問があるのですが、それに向けた話し合いの中で、私を担当される副査が割と厳しい見解を持っているという話を聞きました。そして、その先生が一言「もう少し書けるかと思っていました」とこれまたかなり手厳しいことを言われたと聞き、少し意気消沈していました。「さて、どうしたものか」ただ凹んでばかりでは、話が進まないので、今後のことを整理しながらこれからの口頭試問について覚悟を決めていました。
そんな折、家に帰って、妻とそのことについて話をしている中で、今回の口頭試問で堪能の先生に割と手厳しいことを言われたと話をしたのです。その言葉に私の妻は一言「先生たちの気持ちもわかったんじゃない?」。おみそれしました。これまた手厳しい一言です。しかし、この言葉に対して、これまでの私であったら「そうか、やはり自分はできていないのか」とか「ダメだな」と単純に凹んでいたでしょうが。今回はなぜかその言葉に対して、「なるほど、先生たちとはこういう気持ちだったんだ」とふと感じることに至りました。そして、じゃ、こういった時にどういった言葉が欲しかったのだろう。なんて言ったらいいのだろうと冷静に考えることにもなったのです。おそらく、今の自分と照らし合わせてみると、「よく頑張ってたじゃない、でも、これがゴールと思わずに今回の内容を改めてみて、ブラッシュアップして、今後より良くなるようにもっと頑張っていこうね」と言われたいと思いました。そうすると、これまでの自分自身のがんばりやとりあえず一つのことが出来たことに対する一定の満足感はえれていたと思います。しかし、今回の担当の先生のように「もっとできたんじゃない?」とか「これぐらいかぁ」と言われると、意識の高い人間は「なるほど、もっと頑張らなければな」となるでしょうが、「こんなに頑張ったのに・・・」と思う人の方が多いのではないかとも思います。
マネジメントについてこれまで吉田松陰やそのほかの本も読んでいましたが、共通するのが相手を立てることや傾聴するということでした。そして、相手を認めるということです。この点に関して、自分自身頑張っているつもりであったり、やっているつもりであったのですが、自分がいざその立場になったときに「できていない」ことがあったということを理解しました。なるほど、「今の職員はこういった気持ちで感じていたんだ。そりゃしんどくもなるわな」と思いました。
特に最近は相手に対して、どのようにアドバイスをすることができるのか、どう声を掛けたら主体的になるのかと思っていました。そして、相手を認めている言葉がけとは何なのかと思っていたのですが、なるほど、「こういったことなのだな、自分に足りないのは」と素直に感じたのです。
今でも、どう考えて、どう話をしていけばいいのか。明確な答えは見つかってはいないのですが、こういった小さなやり取りの中で、どのようにして相手を認めていくことが出来るのかを考えた時に、自分が一度言われる立場になることで、改めて職員の立場であったり、感じ方であったりを体験したのはとても出来事であったと思います。また、感じ方がこれまでと違い、ただ凹むのではなく、自己分析し、活路を見たようになったのはこれまでマネジメントの本を読んだりしていたのが生きたのかもしれません。問題は実践です。これからどういった変化を起こすのかは自分自身なので、今回の事はよく考えて、これからにつなげていきたいと思います。
2022年1月27日 9:57 PM |
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投稿者名:Tomoki Murahashi
コミュニケーションの次に松下村塾で吉田松陰が塾生に求めたものを「人的ネットワーク」です。しかも、それは「有用な」人的ネットワークの創造を求めたのです。では、「有用」というのはどういったものなのかというと、「『自分たちが目指すことをやり遂げるために必要なものとはなにか』を考え、仕事や学問の環境や仕組み(組織)をどうやってつくっていくか、師や友人を求める基準をどこに置くかを考えて行動していた」とあります。大切なことは「めざすことをやり遂げるために必要な」ことを遂行するためのネットワークを作ることです。紹介している「松下村塾 人の育て方」はあくまでビジネス書ですので、保育や教育とは違った切り口で書かれていますが、教育や保育においても切り口を変えてみるとこの考えは利用できるものになります。
ただ、ビジネスとは違うのは結果がすぐに出るものではないというのが教育や保育にいわれるものであり、より強い動機を求められるということにもあるように思います。また、成績や業績といった目に見える成果があるわけでもないので、抽象的なものを追う形になるのもこういった教育における一つの課題であるかもしれません。ただ、ビジネスにおいて、様々な部署との関わり、営業や製造などの関わりと同じように、保育や教育においても、上司や職員、主任、保護者関係と人との関わりは求められます。そういった人との関わりにおいて、信頼関係を通して人的ネットワークというのはとても重要なものです。
松陰にとって人的ネットワークをつくる過程で重要なことは「有用性」であり、こういった視点で仕事の組織図をつくることを進めています。そして、仕事を進めていくなかで起きる小集団をうまく作っていくことの重要性を述べています。それは「自分の仕事を遂行するためにその都度必要な小集団をつくる」ということです。こういった自分の仕事を遂行するために必要な小集団をつくることで、高い生産性をあげることが出来るという言います。保育で言うと、子どもたちにとっていい環境が作ることが出来るということです。
保育の中でも様々な小集団は作られます。例えば行事の係であったり、複数担任制の職員関係です。何か新しいことを始めるにあたって、コミュニケーションを取りながら、小集団を絶えず作り課題に向かわなければいけません。
ただ、ここで言えるのは何においても「自分が目指すこと」が見えていなければいけません。つまり目的意識がなければ、ただの「作業」になってしまうのです。ここにマネジメントをする側の大きな意味があります。目的意識をはっきりと示す必要があるのです。でなければ組織は与えられたものでしかなくなります。仕事の質を高めるにはこういった目的意識を持たせた集団をつくっていくことが重要になるのです。リーダー自身はこういった有用な人的ネットワークを創造するために、組織全体にそのような考え方を持つように共通認識を持たせることが必要になります。
2022年1月20日 5:00 PM |
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投稿者名:Tomoki Murahashi
企業や組織におけるコミュニケーションとは単に仲が良いことを指すことでもなければ、おしゃべりをすることではありません。松下村塾におけるコミュニケーションとは「意図や意思決定を行っていくなかで良好な共有関係をつくり、課題の発見や問題解決に向けて知恵を集めるプロセスの事である」と紹介されていました。では、このような質の高いコミュニケーションにするためにはどのようなポイントに注視したらよいのでしょうか。ここにおける大切なポイントは8つあります。
➀受容 「相手の基本的人権を尊重し、1人の人間としてありのまま受け入れる」
➁傾聴を心掛ける 「自分の価値観や先入観を持って聞かない。結論を急がない。凝視しない程度に自然に視線を向ける。書類などに目を向けながらであると、無視や拒否と取られる。状態や足をゆすらない。足を組まない。腕を組まない」
➂簡単受容 「うなづき、あいづち」
➃要約 「相手の話の用紙をまとめて伝え返し、相手の話を的確に理解できているかを確認
➄質問 「分からないことは、きちんと質問して、共通の理解をしておく」
➅フィードバック 「質問に答えてもらったり、アドバイスを貰ったりしたときは、その解答やアドバイスによって自分の考え方や行動にどういう変化が生じ、それによってどんな結果になるかをフィードバックする」
➆アサーション 「相手の立場や権利を尊重し、対等の人間関係を前提として、自分の意見、感情、権利など、言いたいことを率直に表現する。ただし、冷静におこない、発言することを一度心の中でまとめてから素直に表出するように心がける。」
➇非言語コミュニケーション 「身振り、対人距離、身体接触、声の大きさ、話す速度に気を配る」
これらの8つのポイントを心掛けることで質の高いコミュニケーションになると言います。
「傾聴」ということが割と私の場合課題であったり、アサーションというのは初耳な言葉でしたが、相手の権利や立場を尊重するということがまだまだできていなかったなと考えると、自分自身のマネジメントにおいて、「相手の立場になる」というよりも、「相手の目線に合わせる」ということに課題があるということが見えてきます。こういった指標をもって自分のコミュニケーションを見直すということはとても参考になるのではないでしょうか。私は割と頭で考えて物事を判断することが多いほうなので、自分の対応をこういった反省する自己評価があると割と関係性を気付くことにおいて、省みることが出来るように思います。
まず、重要になってくることが、こういったやり取りを通して、相手がどのように感じ、自分に向き合うようにするかが大切であります。何よりも、自分が変わらなければいけない。変わる必要があると思うためには、今の自分を見つめなおす必要があります。このポイントに関しても、そもそも「謙虚さ」というものがなければ、効率的にこのポイントを抑えることが出来ません。つまりは、こういったポイントを抑えたコミュニケーションが行える環境であったり、気づかせてくれる環境も必要なのでしょう。
2022年1月19日 5:00 PM |
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投稿者名:Tomoki Murahashi
吉田松陰の師弟関係は「師弟同行」と言われるほど他の塾生と同じ立場で議論することを大切にしていました。それは松陰亡き後、弟子たちも同じように他の塾生に関わっていきます。松下村塾において松陰亡き後をまとめた久坂玄瑞のリーダーとしての役割は「真理を追究し、時代の改革者たろうとする建学の志を高く掲げ、進むべき道を明らかにすること」を求められました。その中で他の塾生と同じ立場で議論し、悩み、行動し、しかもリーダーたらねばならぬ認識から、一時の感情によってではなく、冷静に進むべく道を求め続けたというのです。
この姿勢はリーダーとしての志として見習うべきところが多くあります。しかし、そのためには同じ立場での議論ができるだけ周りの人を認め、信頼する関係性をつくらなければいけなかったり、進むべく道を求めるためには、自分自身の私欲や顕示欲を捨てたりする必要があります。また、それと同時に周りの意見からも学ぶことができるだけの度量や器がなければいけません。真の志に向き合う誠実さとそれに応じた謙虚さがリーダーには必要とされます。「型」にこだわりすぎると「実」を見抜けないこともあります。そのために、普段からアンテナを張り、知識を得て、裏付けをもとにした選択を行える準備をしていなければいけないのでしょうね。
また、久坂玄瑞は入江杉蔵に向けた手紙を送りますが、そこには命令口調はありません。「〇〇は読まれましたか。お読みになるなら送ります」「○○を学ぶのが良いと思います」とか「(あなたの)識見は相当なもの。到底僕などが及ぶところではない。(ムダな本を読んで)いたづらに、歳月をもてあそぶことはやめてほしいと思う」というような書き方がされており、そこにも師弟同行といった姿勢が貫かれていました。
この文章を見ていても、相手の技量を認めるところはしっかりと認めていたうえで、より良くなるための「提案」をしています。ある先生に「無いとこねだりではなく、あるとこ探しをしなさい」と言われたことがあります。それと同様に相手の素晴らしいところをしっかりと「認める」ということの重要性がこの文章から見えてきます。そして、「あるとこ探し」をする姿勢というのは、逆に「短所を言い換えて長所として見る」ということでも言えます。この姿勢が無ければ、同じ立場になるということが出来ませんし、議論においても発言は無くなっていくのだろうと思います。
こういった松下村塾のリーダーシップがあることで、松陰の死後においても、塾生たちは成長を続けていくような組織風土になっていき“同行の連鎖”として脈々と伝承されていったのだろうということが分かります。
2022年1月15日 5:00 PM |
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投稿者名:Tomoki Murahashi
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