「怒る」と「叱る」

武神氏は「怒る」ということに目を向けます。同じ組織の中におり、一緒に仕事をしていく中で、「怒る」というコミュニケーションは当然でてきます。しかし、この「怒る」という行為は「叱る」という行為とは違います。いくら「怒る」という行為のテクニックを学んでも、その根底にあるマインドを学ばなければ、職場のハラスメントをはじめとする人間関係のストレスはなくならないのです。では、そもそも「怒る」と「叱る」というのはどういった違いがあるのでしょうか。

 

「自分の価値観と相手の価値観が異なったとき、それが譲れないとき、それは怒るべきときだから怒っていい」と考えている管理職は意外と多いと言います。しかし、こういった人がメンタルヘルス不調者の上司であったというパターンは多くあったそうです。この上司たちは「部下が間違えた」「部下はこうあるべきだった」と丁寧に説明してくれることがあり、決して感情に任せて起こったのではないことが伝わってくる人もいるのですが、結局はメンタルヘルス不調者を出すことになってしまいます。それは「価値観の相違にあるからだ」と武神氏は言います。いくら冷静に怒ったとしても、価値観の相違を理由として怒ることは、あくまで上司の価値観と部下の価値観の相違であるからであり、その場合、どちらが正しいのかが分からない場合もありえてしまいます。なぜなら、当事者はみんな自分の価値観でやっていますし、各々が自分が正しいと考えているからです。

 

では、リーダーシップのある上司やメンタルヘルス不調者を出さない上司、ハラスメント被害者を出さない上司は、滅多なことで起こらないと言います。というのも、こういった人たちは部下を「怒る」のではなく、「叱る」と言います。つまり、この違いに職場のあり方が見えてくるというのです。この違いはどういったことなのでしょうか。

 

武神氏は「怒る」と「叱る」の違いは、「怒る」は自分本位、「叱る」は相手がいるということだと言っています。「怒る」ということは自分で自分に「怒る」こともあります。その場合誰にも迷惑はかけません。しかし、「叱る」ことには相手がいます。そのため、相手を必要とする行為である「叱る」には、その分、他人に対する責任をしっかりと認識して行う必要があります。このことについて元プロテニスプレーヤーの松岡修造の話を武神氏は紹介していますが、松岡修造氏は「叱る」のなかには「期待」があるというメッセージを掲げ、「『怒る』とは自分の感情を相手にぶつけること。『叱る』とは相手のことを思い、注意することだ」と言っています。つまり、「怒る」ときに相手を“承認”すると、それは「叱る」になるのです。逆に相手を承認してない状態、つまり、相手に対して「期待」がない場合は一方的に怒りをぶつけているというようになってしまうでしょうね。

 

相手の価値観と自分の価値観をすり合わせるということが大切なのです。メンタルヘルス不調者を出す上司はこういったところにズレがあるのかもしれません。そのため、相手の価値観を受け入れるというよりも自分の価値観を相手に押し付けることによって相手は納得できないところが出てくることになりかねず、それが結果としてメンタルヘルス不調につながっていくのだろうと思います。