共に考える

鈴木氏はコーチングは「引き出す技術」であると言っています。しかし、そうすると「引き出す側と引き出される側」に2分化されてしまい、コラボレーションの雰囲気が消え去ってしまうとも言っています。そのため、コーチングの醍醐味は「一緒に何かを探索することであり、発見すること」ではないかというのです。問いは「上から下に向かって投げる」のではなく、「2人の間に置いて、一緒に共有すべき」なのです。つまり、コーチの側もあくなき興味と関心を持って、その問いの中に入っていくことが重要になってくるのです。多くの企業の管理職の人は、上司の側にすでに答えがあることが多いと言います。しかし、相手に試練を与えようとするのです。それではコーチングの哲学には反します。

 

コーチはあくまでも、相手の問いに対して等しく向かい合う。「この会社の存在意義は何だろう」「この部門はどう変わる必要があるだろう」「そのために我々はどのように変わることを求められているだろう」と、こういった「問いに対して等しく向かい合う」という前提を考えると、コーチングらしい質問というのがあるのではないかと鈴木氏は言っています。

 

このことはよく職員の先生と話していても、感じるところであります。自分自身答えをもっていることが多いのは確かです。「こうしたらいいのに」と思ってしまうのですが、なかなか相手がそこに気づかないとヤキモキします。しかし、これを見る限り、答えを持っているのに話さないのももったいないことなのかもしれません。大切なのは「共に考える」という姿勢を持つことなのでしょう。つまり、上から「こうする」ということをいうのではなく、相手の意見を引き出す必要があり、「頼る」という姿勢を見せることが重要なのかもしれません。そうすることで、相手は自分という存在を認識し、認められたという「承認欲求」が満たされることで、どんどんと前に出るポジティブさがより出てくるようになるのだろ津ことが見えてきます。

 

では、このことを保育として捉えるとどうでしょうか。子どもたちには先生に疑問を投げかけたとき、子どもたちと共に考える姿勢を見せているでしょうか。割と自分も現場で働いていた時には、子どもの問いかけに対して、すぐに答えていたかもしれません。しかし、それでは、子どもたちにとっては主体的に考える機会を失わせていたかもしれません。ともに一緒に考えながら、考え込める環境を作ったり、一緒に不思議がるということを大切にしなければいけないのだろうと思います。そして、そうやって考えている子どもたちの姿を認め、慈しむような心を持っていなければいけないのかもしれません。そして、子どもたちの活動を一緒になって楽しむということが保育士や大人がしなければいけないことなのであって、何も答えをすぐに教えることは子どもにとってすべてが良いわけではないのでしょうね。

 

共に学び、ともに楽しむ。こういった姿勢は、大人にとっても、子どもにとっても、大切なことで、その根底には共感する力が大切であり、相手の人格を認める必要があるのだろうということが分かります。