他者の喪失と現実の喪失

門脇氏は1970年代の中頃から東京都の委託調査を引き受け、30年間3年に1度の割合で「東京都青少年基本調査」を行いました。その子とは『現代青年の意識と行動』(NHKブックス)や『子どもと若者の〈異界〉』(東洋館出版社)で紹介しました。そこであった都市部の青少年の変化の特徴は「他者の喪失」と「現実の喪失」であったそうです。

 

「他者の喪失」とは「自分以外の他者への関心が薄くなり、そのため他者と深く関わることが無くなり、結果として、他者を自分の心の内側に取り込むことが出来なくなっている」ことだそうです。これは他の人のことでありながら、その人のことがあたかも我がことのように思えるような状態で頭に思い浮かべることが出来なくなっているということを指しているようです。逆に言うと、関心のあることは自分に直接かかわることだけになることを指すので、自己中心的な人間になるといいます。これは保育でよく使う言葉でいうと「思いやり」ということが育っていないということに見えますね。

 

次に「現実の喪失」です。これは「自分が飲んだり、食べたりして毎日生きている“今ここにある”現実の世界がどのような内実と意味を持っているかがよく理解できなくなっていること」を指しています。これは社会学の専門用語で「状況の定義づけ」というそうで、これが人によってバラバラになると、現実の世界についての共通理解が成り立たなくなり、そうなるとその場で使われている言葉の意味もマチマチになって、コミュニケーションが成り立たなくなるという厄介なことになるのです。いわゆる「共通言語」として、共有された意味を持った言葉が使われているのかということです。学校の定義を先生や一般的には「しっかりと勉強する教育の場」と捉えていても、生徒は「友だちと遊ぶ場」であったり「監獄のようなところ」「いやな先生がいるところ」などと定義づけにズレがあると、言葉の本当の意味が伝わらなくなるのです。これは良く起きている現象であり、今の時代問題となることでもあるように思います。この「現実の喪失」は「志」や「目的意識」「やりがい」といったものの共有においても、大きな影響を与えているように思いますし、今の時代、コーチングやマネジメントにおいても、このことは非常に課題となっている部分であるように思います。

 

こういった「他者の喪失」と「現実の喪失」といった事態が進んでいくと、他者との相互行為(行為や言葉のやりとり)がちぐはぐになったり、その場その場での相応しい適切な行動がとれなくなるのです。そうなると社会力を高める可能性が一層低くなり、社会生活がギクシャクし、大人にとっても、若者にとっても、社会そのものが居心地の悪いものになり、人と人とのつながりが希薄になると門脇氏は言っています。

 

確かに他者との関わりに思いやりがあり、共通言語があるということは同じ方向に向いているとも言えます。こういった関係性が保証されていると、人と人とには信頼関係が築きやすい環境になっているといえるのではないでしょうか。こういった環境を作るためにはどうしたらいいのでしょうか。門脇氏の調査は1970年代から30年という事なので、おそらく2000年までのデータであろうと思います。現在2022年の子どもたちの環境はどうなのかというと、よりこういった傾向は進んでいるようにも思います。

 

ただ、門脇氏は社会力は大人になっても高まることはできるといっています。しかし、そこには「自分の社会力を高めようという自覚や意欲があるか」ということが大きな問題であるといっています。これは私も同意見です。何よりもまず「自覚する」ということが非常に大きな第一歩であると思っています。そうした中で「ヒトと何かを一緒にしたり、やれることを誰かのためにやってあげ、良い関係を作り、お互いの理解を深めるように心がければ社会力は上がるといっています。

有能な存在

最近、様々な研究から赤ちゃんは有能な状態で生まれてくるということが言われるようになりました。では、そもそもなぜ、赤ちゃんはこれまで無能で何もできないと思われていたのでしょうか。これは、人間の特性によります。人間の赤ちゃんは幼形成熟といわれるように母親から生まれて時には他の動物に比べ幼く生まれます。たとえば、馬や牛などは生まれて数時間後には自分の足で立って歩き始めます。しかし、人間の赤ちゃんは1年もの間、立つこともできず、食べることや、排泄することにおいてほとんどすべて一人でできません。このような状態から赤ちゃんは無能で無知な存在であると考えられてきました。

 

しかし、最近の赤ちゃん研究において、赤ちゃんの新しい事実が確認され、ヒトの赤ちゃんは生まれながらにして極めて高度な能力を持っている有能な動物であるということが分かってきたのです。では、ヒトの赤ちゃんはどのような能力を備えているのかというと、①生まれた直後から大人の顔を見分けることができる(大人識別) ②耳に入ってくる音の中からヒトのコトバとして発せられる音を正確に聞き分けることが出来る(音声識別) ③他者の目を見て自分に向けられた視線であるかどうかを察知できる(視線識別) ④他者と目を合わせ(アイコンタクトし)その人の視線が何に向けられているかを確認できる(視線追従) ⑤未知のものを見たり新しいことをするときに母親の顔をみて安全性を確かめる(社会的参照) ⑥自分の興味あるものを指すことで他者の関心を引く(共同注意)などがあります。

 

こういったことができるのは、生まれた直後から生後ほぼ9ヶ月あたりまでですが、人の子がそうした能力を備えているのは「ヒトの子は人間として成長するために大人を見分けて近寄り、出会った大人と応答することが不可欠であり、そのために必要な諸々の能力をあらかじめ備えて生まれてくる」と理解するしかいないということを門脇氏は言っています。そして、こういった能力は赤ちゃんが他の人との相互行為を行うために必要な能力です。社会力を培い高めていくためだけではなく、社会力をベースにまっとうな人間として育つためにも、両親だけではなく、周りにいる大人たちとの相互行為(応答の繰り返し)を多くすることが決定的に重要になるのです。それはこのような赤ちゃんの持って生まれた大人との応答能力をフルに使うことが出来るように努める必要があるのだといいます。

 

門脇氏はこういった子どもの能力において、テレビに子どものお守りをさせることや、赤ちゃんを抱っこして赤ちゃんと目を合わせることもなく、スマホを見ている母親の姿を見て、社会力を育てる上でとても大事なことなのに・・と危惧していました。

 

赤ちゃんは非常に有能な存在であり、他者にコミュニケーションを行う能力が高いことが見えてきます。この能力をいかに発揮させるかということが保育につながっていくのだろうと思います。つまり、それは保育をすることにおいても、子どものこういった本来持っている能力の理解する必要があることも同時に示しているように思います。

脳と社会

人間は言語を利用し、コミュニケーションを効率よく行っていくことによって、ネアンデルタール人と比べ、社会や集団を形成し、様々なトラブルを避けることや、協働できるなどができるようになり、生き抜いていくことにつながっていきました。つまりは社会形成を行うことができたことが人間の生存戦略において非常に重要な意味あいがあったといえるのです。しかし、このような社会行動自体は生物界にも多く見られます。人間の特徴はこの社会形成は他の生物よりも群を抜いて、複雑で大きいものでした。そのうえ、文化を生みだし、知識を伝え、家族を越えたグループ間で分業や経済活動を行い、さらに政治や宗教などの社会制度まで作り出していったように、質においても他の生物とは大きく違っているのです。人間の本質的な特徴というのはこういった社会形成にあるのは間違いないでしょう。しかし、これはある問題を生み出します。

 

人間の特徴が社会であるということは、逆に問題も社会的なものであることが多いのです。たとえば、会社や学校などの社会組織をどう維持していくのか、家庭内問題やいじめ、戦争や差別なども社会的な問題から生まれているとも言えます。それほど、ヒトの生活において「社会」というのは重要であることが分かります。

 

この社会形成において、今の世の中を考えてみると、どんどん人は社会とは離れていっているように感じるのです。また、子育てにおいてはなおの事、その様相は非常に大きな影響となっているように思います。核家族が多くなり、家庭には子どもが一人しかおらず、母子と一対一で見ることになるといったような社会の印象というのは今の時代でも根強くあります。「子どもは母親がみるもの」という意識はこれまでの社会の形成といったことを考えると非常に危険な環境であるようにも思います。

 

社会を形成するために人は脳を大きくし、コミュニケーションを取れるようにカスタマイズしたにもかかわらず、今その唯一無二の能力を捨てようとしています。果たしてこのことが何を示しているのか。それと共に、教育や保育においても、子どもたちの生きる環境というものはどうあるべきなのか、どうやら、このことに関して教育や保育と脳というのは大きく関係しているのだろうと思います。

 

保育という仕事はそれだけ、多岐にわたる学問に通じているのだと改めて感じます。

言葉を介したコミュニケーション

人の脳は進化の過程で大きくなってきましたが、なぜ、エネルギー消費の大きな脳を持つ必要があったのでしょうか。このことには諸説ありますが、20万年前から10万年前にかけて現生人類のルーツとされるネアンデルタール人がアフリカに出現しました。その後、10万年前に現生人類の祖先であるホモ・サピエンスが出現し、ネアンデルタール人としばらくは共存することになります。その後、ネアンデルタール人は3万年前に絶滅。ホモ・サピエンスは6万年前からアフリカを離れ、グレートジャーニーといわれるたびに出て、5万年前ごろには世界に広がっていきます。日本に到着したのは3万8000年前と推定されています。4万年前から1万年前には、現生ヨーロッパ人の祖先とされるホモ・サピエンス種のクロマニヨン人が現われ、言葉など多くの文化を創り出しながら現在に至ります。

 

ネアンデルタール人とホモサピエンスとの交配はなかったようです。しかし、ネアンデルタール人は現在のヒトに比べると脳波100㏄も大きい平均1520㏄の脳を持っていたそうです。そして、それだけ大きな脳を必要としたのは、高度の狩猟技術を生かした肉食中心の食生活をしながら、不自由な仲間を助けるなど、仲間を気遣い、食物を分け合い、火を用いて調理するなど、多くの仲間と協力し、共同で生活するために、高度な社会性を必要としていたからではないかと紹介しています。

 

ではなぜ、それほど大きな脳を持っており、共同するくらい社会性もあったネアンデルタール人であるにもかかわらず、絶滅してしまったのでしょうか。諸説ありますが、門脇氏はこのことに対して、言葉のコミュニケーション能力が不足していたからではないかといっています。そして、このちょっとした差によって絶滅したというのです。

 

「心の先史時代」を著した考古学者瑞マンはヒトの脳の知識には➀博物的知能:道具やシンボルを用いる能力 ②技術的知能:仲間の行動や心の動きを解釈し理解する能力 ③社会的知能 といった3つのモジュールがあり、状況に応じて、瞬時に作動し、適切に行動し、問題を解決できるようになるといっています。そのため、情報処理装置ともいえる脳が、それぞれの部位をいかに連結させ迅速に作動させるかが生き抜いていくためには必要になってきます。そして、それらを効率よく使うことでコトバが使えるようになります。ネアンデルタール人はこういった能力差が厳しい環境を生き抜いてく中で問題となり、絶滅に至ったのです。

 

裏を返せば、血縁者であれ、仲間であれ、社会や集団を形成し、食料の確保や性交渉などに伴うトラブルを回避し、協働を持続するための意思疎通をしっかり行うためには、コミュニケーション能力は決定的に重要なのです。結果、言葉の常習化、文化の学習、社会組織の拡張、社会性の洗練(高度化)、社会脳の性能アップといった生存を支える循環が人の進化を支えてきたといえると門脇氏は言います。

 

言葉の発達というのはヒトの生存戦略に大きな影響を与えたのですね。それは逆に捉えると、言葉を使ったコミュニケーションが人間の一番の特徴とも言えます。今の時代はどうでしょうか。高度でよりグローバルになった世の中において、こういったコミュニケーションはどれほど起きているのでしょうか。特に最近は新型コロナウィルス感染症による人との接触が制限されたことは人に大きな影響を与えることになったかもしれません。事実、最近、園に入園してくる子ども多くが言葉に何らかの問題を抱えている子どもが多いように思います。このことを考えると、特に人と関わることというのはなによりもの教育になるのかもしれませんね。

脳の発達と実体験

門脇氏の話の内容は非常に考えさせられるものがあります。社会力というのは今の日本の世の中に対しては非常に問題となる内容であると私は思っています。特に勉強や学習によって得ることが出来る認知的な能力ではないだけに、体験や経験といったものがいかに重要なのかということが分かりますし、このことにおいて乳幼児教育はどうあるべきなのか、どのような活動を経験や体験できるように環境を整えていかなければいけないのかが問われているように思います。

 

また、こういった非認知能力を得ることに対しては、脳が大きく影響しています。これまでも森口氏の本にもあったように脳とスキルというのは密接にかかわっています。そして、その脳の大きさは現在の人間も太古の昔に生きた人間においても、それほど大きくは変わっていないそうです。こういったことを踏まえあらためて、門脇氏の内容から脳の仕組みについて見ていこうと思います。

 

そもそも、ヒトの脳はゾウやキリンなどの大きな動物に比べても大きいということが知られています。特に新皮質に関してはさらに大きいことが知られています。また、面白いのは脳はヒトの体重2%ほどの容量しかないにも関わらず、エネルギーの基礎代謝量にすると20%も消費するといわれています。成長期の子どもでは40%~85%ものエネルギーを消費するといわれています。また、ヒトの脳は思春期の15、6歳ころまでに成人と同じ大きさになります。このように体の成長以上に脳の成長にエネルギーを割いているのも人間の特徴といえます。

 

また、ヒトの脳は約一千億個の神経細胞(ニューロン)から出来ていて、その数は生まれたばかりの赤ちゃんが最も多いといわれています。そして、このニューロンはシナプスといわれる神経線維によって繋がれています。この神経線維は脳を使う回数、つまり実体験がおおくなるほど、増えるといわれています。逆に、使われない神経細胞は消去されます。これが刈り込みです。そのため、脳の働きのよしあしは、神経細胞の数ではなく、どれだけ多くの神経線維が脳に張り巡らされ、脳のそれぞれの部位をつないで情報交換しているかということによって決まるのです。そして、門脇氏は脳の機能をよくするために、生まれた直後からどのような人間環境の中で、どれほど多くの実体験を重ねるかが重要といっているのです。

 

これは乳児期から入園した子どもたちと幼児期から入園してきた子どもたちの様子からもうかがえるように思います。最近ではコロナのために家庭で隔離され、社会から断絶状態になっている現在ではその弊害というのはより顕著に出ているように思います。というのも、コロナ禍で入ってきた子どもたちは多くが言葉の発達が遅れているということが自分の園を見ていても見えてくるのです。これは脳の実体験の差であるのではないかと感じることは多くあります。