物事の因果関係から、過去や未来における見通しを赤ちゃんがもてるようになることや愛の理論を持つことの次にゴプニックは赤ちゃんの持つ道徳性について紹介しています。そもそも赤ちゃんに物事の良し悪しを判断する能力はあるのでしょうか。そして、その力どのように獲得していくのでしょうか。
そもそも道徳とは世界はどうあるべきか、人は何をすべきかを問うものであるとゴプニックは言っています。これまでの哲学者や心理学者は赤ちゃんの道徳性について、無縁なものであると思われていました。発達心理学者のジャン・ピアジェも、ローレンス・コールバーグも、子どもには道徳は理解できない、真の道徳観念が育つのは青年期以降であると言っています。子どもにとって、何が善で何が悪か、何が正しくて何が間違っているかは、ご褒美と罰、社会的な慣習で決まるのだと考えられていました。たとえば、親の言うことは正しくて、罰を受けるようなことは間違っているというのです。コールバーグは、純粋な道徳的理性を身につけられる人間は、大人でも一部しかいないと考えられていました。
ところがここ数年で、心理学者の中に、こういった考えを否定し、道徳性は人間にとって生まれつきのものだと主張する人たちが出てきました。ゴプニックによると、生得的な道徳観というのは、言語学者チョムスキーの言語観とよく似た考えです。それによると、更新世(役180万年前~1万年前)の間に芽生えた普遍的な道徳観が、私たちの道徳的思考を生涯つうじて制約しているというのです。これは「様々な言語の基礎には共通の普遍文法があるというチョムスキーの説のように、表層的な文化の違いを超えた普遍的な道徳文法のようなものがあって、そこから生じる道徳的直感の兆しが幼児にも認められる」といったものです。つまり、人における基本的な道徳観というは仮に文化をとおしたものであっても、その根本的にある道徳観念は大昔から変わっておらず、その始まりは幼児期から見られるというのです。
これとは別に違った生得説もあります。そては「道徳は知識ではなく感覚から生まれる」というものです。人間の道徳観は生まれつきのもので、固定された情緒反応だから、自意識をもった大人の推論による修正はほぼ不可能だというのです。つまり、これは道徳観とはそもそも持って生まれたもので、それ自体大人になったからといった変わらないというものです。ゴプニックはこの説に立つと、自分たちには道徳に関する新たな思考や発見、成長の余地がほとんど残されていないことになると言っています。
ゴプニックの著書によると最近の発達研究によると子どもでも多少の道徳観は持っているようです。では、子どもたちは道徳観をどのように持っているのでしょうか。そして、それはいつから、どのようについていくものなのでしょうか。
2021年6月28日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 幼児 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
赤ちゃんの頃から因果関係を学び、人間は反実仮想を用い過去を予測することや自伝的記憶を用い過去を回想するといったことができるようになります。では、なぜ人間はこういった過去や過去の反事実に投資することをするようになるのでしょうか。それは、もし、過去がなければ、私たちに未来もないからだとゴプニックは言います。未来を思い描き、その実現に向けて介入するとき、わたしたちはその時点で、未来の自分の運命を真剣に考えているのです。未来の自分を大切にできない人間は現在の生活も大切にしようとしません。
ゴプニックは「もしも未来の自分が今の私とまるで違う人間になり、人生は生きるに値しないと思うなら、彼女が人生の幕を閉じることに反対しないでしょう。人は未来の自分のために多大な犠牲を払えるのです」と言っています。確かに、我慢ができない人はその後のことが予想できないのではないのだろうかとニュースの事件を見ていると感じてしまうことがあります。特に感情的になり、事件やトラブルを起こすときは未来のことにまで気が回っていないことが多いのではないかと思います。
ただ、その予想の未来もどんどん過去に送られていきます。その結果、自分の人生への責任は両方向に及ぶことになるのです。未来を重視させている心の装置が、過去も重視させているのです。事実、自伝的記憶と未来を創造する能力は神経学的に関連があるという証拠も見つかっているようです。過去を想起するときも、未来を予測するときも、同じ脳領域が活性化するのです。つまるところ、過去への責任は、現在の自分に深い影響を及ぼします。そういった意味では、幼児期の後の人生に及ぼす影響は、複雑な相互作用や確率の積み重ねから生じるものばかりではありません。記憶そのものがその人の人生にとって終生重い意味を持ち続けるというのです。過去の自分があるから今の自分があるのです。
このように過去の重要性において、特に幼児期の記憶には、特別な道徳的な奥行きと痛みが伴うと言います。大人になってからの体験なら、多少は自分でコントロールできます。思い描いた可能性の実現に向け、自らの意思で行動し、それらの行動が過去の出来事として固定化されていくのです。わたしたちが過去の出来事に満足したり後悔したり、誇りや罪の意識をもったりするのも、そこに自分の意志が働いていたことを知っているからです。
しかし、大人と違い、子どもはその体験を受けるのは多くは受け身です。子どもの頃の体験については、当人よりも親をはじめとする養育者の方が、はるかに大きな責任を負うのです。そのおかげで子どもは、知識や想像力を養うために大切な探求を自由にすることができるわけなのです。大人は子どもの体験において、将来起こることを決めることはできません。大学や結婚相手も選ぶことはできないのです。しかし、幼いうちにどういった体験をさせるかというのであれば選ぶことができます。つまり、大人は子どもたちに対して、決めることはできませんが、子どもの後の人生で非常に重要な意味を持ってくる環境や体験をコントロールすることができるのです。
2021年6月27日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 幼児 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
動物の様々な種によって仮親行動が見られます。しかし、なぜ、他人の遺伝子を守るためにこんなに多くのエネルギーを使うのでしょうか。そこには何か意味があるのでしょうか。仮親行動をする種には、色々と他と違った特徴が見られるようです。こういった種は比較的小さな血縁集団をつくりますが、その社会は複雑で、メンバーは互いに協力し合って暮らし、強い子育て欲求を持ちます。社会的単婚を採る鳥のように、母親だけでは子どもの面倒を見切れない場合には、仮母が育児を手伝います。サルにおいても、長距離を移動するのに、母親だけでは赤ん坊を運べないサルには仮母が広く認められます。しかし、こういった種の行動は仮母によってさまざまな利益を得ることができるようです。
種によっては、仮親がいないと赤ちゃんが育たないことが見られます。次に、血縁関係にある子どもの成長を助ければ、自分の遺伝子の一部を残ることもできます。お互いの子育てを手伝うことで、どちらも助かることになりますし、仮母をすることで子育ての経験値を上げることにつながり、自分が本当の親になったときに役に立ちます。こういった要因は種によっていろいろ組み合されているようなのです。
その他にも人間の仮親行動には、今あげたような生態学的な要因以外の背景もあります。人間は通常、一度に1人の子どもを育て、多くても生涯せいぜい十数人しか育てません。そして、複雑で緻密な社会ネットワークをつくり、多くのことを協力し合って行います。一方で人間の子どもは、他の種よりも格段に手間がかかり、成熟するまでの期間が長いうえに、必要な学習量がどんどん増え、手間のかかる養育期間はさらに延長されました。その結果、仮親も、社会的単婚も、人間に一番近縁な大型類人猿より、はるかに普及することになったと考えられるのです。
子どもの成長期間を延長するといった人類の進化戦略は、大人の寿命も延長させたらしく、人間の女性は、とても長い期間を子育てにあて、妊娠能力を失った後も長生きします。ヒトの寿命はチンパンジーよりも長く、ホモ・サピエンスはほかの原人より長生きだったと思われるのです。しかし、それは考えようによっては二重の災難をもたらすことになります。発達過程にちょっと手を加えたばかりに、子どもはこんなに長い間勉強するはめになり、女性はおばあちゃんになっても子どものお守りをさせられることになるのです。
人が子どもを愛するということは、親にとってだけではなく、それ以外の人における恩恵も多くあり、人が人であるために必要なことなのです。人は成長と共に変わっていきます。信念や情緒のどれが生まれつきのもので、どれが後の学習や想像の産物なのかを見分けるのは簡単ではないのです。しかし、わたしたちが親子関係を超えて子ども全般を大事にするのは、進化的な要請からきていると思われるとゴプニックは言います。
そして、人間における子どもという存在は両親の遺伝子を再現する以上の役割を担っているだけではなく、世代から世代へと知識を蓄積して、環境に適応し、人間の方からも新しい環境を作り出すことで生き延びてきたというのです。その観点から考えると、子どもたちに長期にわたる教育を行い、必要な能力を身につけさせることは社会のすべての成員に望ましいことになるとゴプニックは言います。
つまり、長い教育期間を持ち、子どもに知識を与えることは人間社会の発展に大きな意味があるということが言えるのです。知識の伝承が行われていく環境を人間は作っていくことで、今に至る生存戦略を進めることができたのです。
2021年6月26日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 幼児 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ゴプニックは「愛を知り、子どもを愛することは親にとってだけではなく、人が人であるために必要なことなのです」と言っています。人に愛の理論があるというのは人間が人間であるが故なのです。それはどういった意味でしょうか。まず、これまでの話において、人間の赤ちゃんは母親以外にもいろいろな人に愛着を持つことが分かりました。私たち人間は、自分と遺伝子が近い子どもだけではなく、子ども全般を気にかけるようになっています。人類の歴史を見ていても、子育ては両親だけではなく、祖父母やきょうだい、おば、いとこ、友人、さらにコミュニティ全体によって担われていました。
また、こういった必要がある背景に人類は未熟でいる期間が長いことが言われています。これは長いというよりも、延長されたと表現した方がいいようです。当然、未熟で生まれてくるということは、それだけ、親や身近な大人にとって子どものために未熟な分、大きな投資をしなければいけなくなります。しかし、その分、その見返りはその子どもの遺伝的な親だけではなく、集団全体が受けられるようになります。
よく「子どもは社会の宝」と言われることがあります。今の時代においても、結局のところ子どもたち世代が自分たちを支えてくれるような時代です。そして、これは今の時代だけではなく、どの時代においても、言われることです。若い人たちが労働力になったり、国を支えてくれたり、「国を支える」ということは正に遺伝的な親だけではなく、集団全体が利益を受けることになるのです。
そんな人間の集団ですが、人間の集団においては近い種類である霊長類以上に、単婚(一夫一妻制)や母親以外による育児行動(アロマザリング)が広く見られます。この理由は様々あるようですが、子どもに対して、母親だけでは賄えないほど大きな投資が必要な種において、共通して見られる行動です。このように異性との間に密接な社会的絆をつくり、ともに子育てするのが社会的単婚と言います。また、この様子は哺乳類よりも鳥類に多く見られるようです。この場合、雌雄は単なる交尾相手ではなく、社会的な同盟を結んだ夫婦になります。このように鳥類に社会的単婚がおきるのは、長期間巣ごもりしている間、捕食者や自己から身を守る必要があるからです。つまり、鳥類においても、社会的単婚が行われているのは、遺伝子を残すために効率の良い子どもに投資するときに二人一組で育児に関わる必要があったのでしょう。
仮母(アロマザー)は霊長類では多くの種にありますし、イルカやゾウ、一部の鳥類にも見られます。集団内で仮母となるメスは、遺伝的な実親でなくても、子育てに大きな役割をはたします。キツネザルやオナガザルの中のラングールでは、若者がベビーシッターをします。母キツネザルが餌を取りに行く間、若者ザルが赤ん坊を見るのです。ゾウの仮母は哺乳まで分担します。逆に仮父(アロファーザー)行動というものもあり、鳥類に見れますが、こちらは霊長類ではまれです。
仮母親に対して、仮父が少ないのはなぜなのでしょうか。母性というものがあるからなのでしょうか。そういった遺伝子が女性、メスにはあるということなんでしょうね。とはいえ、仮母や仮父があるということはそれが効率の良い子どもの守り方であり、特に人間はその頼る人が他の動物以上に多様であるということが分かります。そこにはそうでなければいけない理由があるのでしょう。
2021年6月25日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 幼児 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ゴプニックは幼児期の体験は後の信念に影響し、信念は行動に影響し、その行動がまた体験を持たせるというサイクルがあると言っています。だから、最初に否定的な体験をしてしまうと、それが繰り返されるリスクが上昇するのです。しかし、そういったことばかりではありません。統計的にはその数は多いかもしれませんが、克服できるケースもあるのです。それは新しい愛に出会えば、不幸な体験から生まれた理論も修正されるのです。
こういった子どもの心理学理論は多分に心理学者であるフロイトから大きく影響されています。愛着理論の創始者であるジョン・ボウルヴィもその影響を受けています。フロイトはピアジェと同様に、幼児期をめぐる天才的な洞察を多く示しています。愛着理論の研究者たちは、乳児期の体験、とりわけ親子関係によって後の情緒を形づくることが無意識のうちに行われている可能性を指摘しています。つまり、夕べであった女の子に取った態度は、知らない間に影響したママの理論のせいだというのです。さらに、幼児期の親子の愛と、大きくなってからする恋愛は同じ性質のものだという説もあります。確かに、自然と両親や親から影響を受けていることは多いかもしれません。それが恋愛観にまで影響しているかどうかは分かりませんが、親が一つのモデルとして、恋愛像や家庭像といったものに影響をもたらしているという部分があるのはあるように思います。
しかし、このフロイトの理論ですが、現在の心理学者においては、また少し違った解釈が行われているようです。現在の研究では、昔に比べ、もっと時間も労力もかかる実証的実験を入念に行います。その結果、現象論的、結果的にはフロイト流のように過去の影響を受けているというように解釈しますが、このフロイトの理論を別の理論でも説明できることが分かったのです。フロイトは人間の心を動かす原動力は精神的な衝動で、この心的エネルギーはそれを抑え込む「抑圧」やそれを移し換える「転移」などの仕組みによって、分散したり、方向を変えるのだと考えました。この考えに立てば、世界に対して私たちが抱く信念も、無意識の衝動に決定づけられたり、ゆがめられたりしていることになります。簡単に言うと人間の活動の本質は「衝動」により、動かされているというのです。
しかし、現在の認知科学や神経科学では、「エンジン」のように精神的な衝動によって動かされていた人の活動に対して、人の心を動かす原動力はエンジンのように突き動かされるものではなく、「コンピューター」のように緻密な計算によるものだと喩えています。これは私たちの脳の動きによって解釈されました。私たちの脳は正確に世界像をとらえ、その像を利用して、少なくとも全体的、長期的に世界にうまく働きかけられるように設計されていると言われています。そして、物理学や生物学を発見するのも、愛を見出すのも、同じ計算能力、神経学的な能力だと考えられているのです。
フロイトの心理学では、男の子は母親と性交渉をしたがっているという説があります。しかし、現在の考えにおいては、「性交渉を持ちたがっている」というのではなく、「性愛の相手に母親を求めている」というほうが真実に近いのではないかとゴプニックは言っています。つまり、「性愛の相手に母親を求めている」というのは「恋する相手に母親像を求めている」ということとも言えます。このことを示すように最近の研究では「母性愛」と「夫婦愛」の分かち難い関係が明らかにされているようです。子どもへの愛は生物学的な親子関係を越え、社会にも広がっていくのです。そのため、愛の理論というのはすべての人に関わる力となります。
2021年6月24日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 幼児 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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