遊び

民俗学から見る玩具

宮本氏の著書「日本の子供達」には玩具に関するこんな記述もあります。「子どもの成長にともなって、耳からだけでなく、目や動作を通じての教育が行われる。その中で重要な役割をはたしたものは、オモチャである。オモチャはモチアソビという言葉に敬語のオがつき、語尾が省略されてできたことばであり、田舎ではいまもモチアソビとか、モチヤソビとか言っているところがある。そして、内容的には、大人の用具模型、または子どもたちのみの遊び用具をオモチャと言ってる」そして、「そのはじめのモチアソビは、きわめて素朴なもので、親たちが作って与えたもののほかに、子どもたち自身で作ったものも少なくなかった」とあります。

 

このことを藤森平司氏は「大人の用具の模型・親たちが作って与えたものというのは、例えば、おひなさまのような、生活に根差した伝承文化から生まれたものだったでしょう。対して子どもが作り出すものはどんなものだったのでしょうか?おそらくそれは、その時期の子どもが興味あるもの・その時期の(それを作った子自身の)発達を促すものであったのではないかと思います。それは身の回りのものから工夫して手作りされたとても素朴なモノでした。しかし、作り手(使い手)のその時期の発達を促す重要な役割を果たしてきたのです。」と言われています。

 

幼稚園や保育園の現場においても、こういったオモチャというものは置かれていますし、子どもたち自ら作っています。当然その手法や発想は発達によってさまざまな色が出てきていますが、こういった創造するプロセスこそが子どもたちにとって重要な役割をもっていたということがわかります。

 

また、柳田国男氏の「こども風土記」には「モチヤソビの語にオを付けたものに違いない。」としたうえで「その弄び(もてあそび)ものを土地によっては、テムズリともワルサモノともいって、これだけは実は母や姉の喜ばぬ玩具であった。もっともふつうに使われるのは物差しとか箆(へら)の類、時としては鋏や針などまで持ち出す子があって、危ないばかりか、無くしたり損じたりするので、どこに家でもそれを警戒した」とあります。つまり、子どもたちが家にあるものを玩具にしていて、それを無くすために代わりのものを渡したものがおもちゃの起源でもあると言っています。そうした、小さな籠や箒などを与えてもらうことで、成人と同格になったと思ってそれを喜んでいたようです。ここにも「模倣-工夫―創造」が隠れていますね。このように子どもたちが大人と同じものを使ったり、手伝ったりすることを喜ぶ姿は保育の中でもあります。そこからオモチャは生まれてきたのですね。