社会の変化

少子化対策

未曽有の少子化と岸田総理大臣が言っておりますが、果たして金銭的な対策だけで対応できるのでしょうか。このことについて、日経新聞の2023年3月28日の記事に「子育て世代の幸せな姿 重要」という記事が書かれていました。この記事を書いたのは関東学院大学教授の吉田千鶴教授です。吉田さんは少子化対策について3つのポイントを挙げています。「結婚意欲も希望子ども数も低下傾向が続く」ということ「夫の家事育児参加へ男女間賃金格差正せ」「子どもとふれあう機会を増やすのも有効」といったポイントを挙げていました。

 

特に参考になるのが経済学での「幸せ」視点です。1つは子どもを持つ喜び、2つめは物質的豊かさ(消費量)、3つ目は余暇時間量(好きなことに使える時間)です。そして、人は自らの嗜好に基づき、最も幸せになれるよう子どもの数、労働時間量、余暇時間量を決めるのです。しかし、これには問題がこの三つの要素を同時には増大させることはできないということです。労働時間を増やしてより多くの所得を得れば消費量は増やせるが、余暇時間は減ります。所得が増えれば子どものための支出は増やせるが、子育てに使える時間が減ります。こういったロジックで子どもを持てる数には限界が出てくるというのです。

 

3つの要素は大きく分けて、「子どもの数」と「時間」という事に分けられます。少子化の問題においてはこの余暇時間量と労働時間量というのは大きな影響があると言います。子育てにおいて、未だ日本は男性の育児参加というものは少なく、多くは母親がまだまだ担当することが多いです。そのため、余暇の時間はほとんど育児に費やされます。そのため、大人の時間を作るために子ども1人で余暇を確保するほうが幸せになれると感じる母親が多くなっているとあります。これは昨今のYouTubeやテレビに育児を任せる親の問題につながるように思います。そうでもしなければ自分の時間というものが確保できないのです。さらに母親がより幸せを感じるために消費量を上げるためには労働時間の問題も出てきます。母親の昇進や仕事のライフバランスを考えるとどうしても子どもに向かう時間というものが削られていきます。少子化により労働力も減ってきている世の中を考えると、こういった労働者の確保というのも重大な問題です。そういった時に夫の育児参加というのはとても大きな改善策になります。日本がここに課題があるというのは、OECD所得の内、日本は男女の賃金格差は未だ大きいほうであるようです。また、男性と女性では家事育児で使うことによる経済的損失の大きさは違うとも言われているようです。こういった男女差の是正は今後求められていくでしょうね。

 

その他にも、若者世代が結婚しなくなっているということも大きな問題です。若者たちが子どもをもつ喜びを鮮明に想像できるようにし、結婚意欲を高めることも重要です。これは「結婚しろ」といっても高まるものではありません。ここで吉田さんが言っているのが若者が赤ちゃんや小さい子どもとふれあう機会がよくあると答えた人ほど、「いずれ結婚するつもり」と回答した男女が9割と、結婚意欲が高い傾向が見られたそうです。つまり、現役で子育てする世代が子どもをもって幸せでなければ少子化は無くならないと言っているのです。

 

これは保育においても何でも言えることなのですが、人は正論では動かないということなのかもしれません。「産め産め」といっても、少子化は止まりません。やはり子育てしている世代が楽しそうに、そして幸せそうにしていないと子どもを持とうとは思えないのは当たり前のことなのです。そして、その解消に労働時間や余暇時間というものは大きく関わってくるのだろうと思います。自園でもお子さんを持たれた先生が多数います。そういった先生たちが働きやすくする環境作りをどう作っていくのかは大きな問題となっています。しかし、そのしわ寄せが子育て以外の世代に降りかかってしまうのもよくありません。どうそのバランスを持たせるのか。それは社会時代の子どもに対する子ども観は大きく変えていかなければいけないのでしょうね。

他者の喪失とコロナ禍

門脇氏が言う「他者の喪失」を招いた理由の一つが、社会構成の変化と農村部の過疎化に伴う地域社会の崩壊、そして、最後の一つが「テレビゲームやゲーム機の普及による直接的な人的交流の減少」です。

 

テレビやゲーム機の子どもに対する悪影響というのはこれまでもずっと言われてきましたし、多くの大人はそれが子どもの発達について「良い」とは思っている人は少ないのではないでしょうか。このことについて門脇氏は東北大学教授の川島隆太氏の「やってはいけない脳の習慣」(青春出版社、2016)を紹介しています。ここには「テレビを見たりゲームをしているときは脳の前頭前野、物事を考えたり自分の行動をコントロールする力にとって非常に重要な部分の血流が下がり、働きが低下します。そのため、テレビやゲームで長時間遊んだ後に本を読んでも理解力が低下してしまうというデータも報告されています。テレビを長時間視聴した子どもは、思考や言語を司る部分の発達が悪くなってしまうことも分かっている」と書かれています。それと同時に門脇氏は「メディア聞きにしろ、IT機器にしろ、機器と関わる時間が長くなればなるほど、生きた生身の人間と直に関わる交流や接触の時間がそれだけ少なくなる」と言っています。つまり、単に脳の働きの低下だけに限らず、人と関わる時間もゲームやテレビに費やされてしまい、社会力すらも育ちづらい環境になってしまうのではないかというのです。

 

この考えは新型コロナウィルス感染症による子どもの自粛生活への影響としてもよくよく考えていかなければいけない考えであるように思います。緊急事態宣言下においては子どもたちは家での保育を行っていました。当然、保護者と一緒に居たのだろうと思いますが、兄弟がいない子どもたちは一人で遊ぶしかありません。保護者の方々の話を聞いていても、なかなか外にも出られなかったと言います。なおかつ、ずっと保護者と関わるということもできないでしょうから、こういった自粛生活が長ければ長いほど、門脇氏のいう「他者の喪失」という時間がより多くなってきてしまうと思うのです。

 

そして、この他者の喪失が起きたときにどうなるかというと、門脇氏は「他者の喪失がもたらした社会的な病理現象として、私はとりあえず、いじめと、ひきこもりと児童虐待増加の3つを挙げておく」と言っています。まさに、ひきこもりと児童虐待の増加はコロナ禍で問題になった事柄です。ただ、この問題はコロナ禍以上に、これからの社会で最も問題になってくることかもしれません。日経新聞の11月15日の日本経済新聞に不登校の増加が記事になっていました。特に低学年での増加がみられ、幼稚園・保育所の段階から登園渋りの傾向があると書かれていました。

 

これから起きてくる問題において、社会力が関わるような問題の増加はおきてくるかもしれませんね。それと同時に、幼稚園などの教育・保育機関のあるべき姿というのはこれまでとはまた違った質を求められてくるもののように思います。

コンピテンシーの整理

DeSeCoにおいて、様々な定義が整理されてきました。その一つが先に紹介した「メタ認知」というスキルですが、それ以外にも「社会的スキル」や「情動的スキル」というものの見直しも図られました。キー・コンピテンシーにおいて「自律的に行動する力」、「道具を相互作用的に用いる力」「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合う力」といったものが柱として位置づけられています。しかし、これらの力を「社会的スキル」や「情動的スキル」といった視点で整理していくと、例えば「自律的に行動する力」は個人の内面に関する力といえます。対して、「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合う力」は人と人との関係に関することといえます。こういったように人における内面に向けた力と外面に向けた力がキー・コンピテンシーにはあっても、自立して行動するには対人関係が必要とされますし、相互に関わり合うためには内面の能力も当然必要とされます。つまり、対人関係において内面と外面というものを明確には区分するのは難しいということがいえます。結果的にこれらの能力は分類はできても、発達や学習することにおいては相互に絡み合ったものであるということを認識していなければいけないということが述べられました。そのため、コンピテンシーにおいては、内面の力「Intra-personal」と外面の力「Inter-personal」に分けて捉える形での整理は行わなかったそうです。

 

最後に態度などに関する側面の整理です。態度というのは「一定の道徳や倫理に基づいて表出されるもの」として捉えられていたのですが、問題は「道徳や倫理を含めた価値観を、他度などに関する側面のラベリングにおいてどう考えるかという事でした。これに対して、「キャラクター」という言葉も使われることがありました。この「キャラクター」は「学習によって変えることが困難な、あるいは先天的な性格という意味合いが強いことから、この用語を使用することが懸念されたのです。最終的に態度に価値観を加える形で「態度及び価値観」という言葉で合意が得られました。

 

これらの「メタ認知」「社会性・情動性スキル」「態度及び価値観」の整理というのが行われました。こういった定義の整理というのはとても難解ですね。自分自身、こういったことを整理しているつもりでもなかなか理解するのは難しいです。こういった整理が行われていくことで、必要なコンピテンシーが定められていきます。それが「新たな価値を創造する力(Creative new nalue)」「対立やジレンマに対処する力(Coping with tensions and dilemmas)」「責任ある行動をとる力(Taking responsibility)」といったものです。そして、そのために先に整理された「知識」「スキル」「態度及び価値観」というドメインはコンピテンシーの要素を分解して、整理したものであるのです。

メタ認知の枠組み

Education2030のプロジェクトにおいて、国連が出したSDGsとの関連性があることは前回の内容でありました。ここではコンピテンシーを考えるにあたって、2030年にウェルビーングの達成につながるように、まずは様々なコンピテンシーの要素を収集し、それらを分析していくということから始められました。

 

この議論の中で論点がいくつか上がってきました。その一つは「メタ認知をどのように整理するか」といった点です。メタ認知については「21世紀型スキル」などのコンピテンシーモデルにおいても、重要であるとしています。また、DeSeCoでも「省察やふりかえり」という項目として、すでにメタ認知を含む要素として位置付けられていました。このことをふまえて、Education2030プロジェクトの検討過程においてもこのメタ認知については新しい学習枠組みにおいて位置付けることが強く提案されていました。

 

 

しかし、その一方で、メタ認知の位置づけは、表のように、すべてのスキルや態度、性格に至るまですべてにおいて通じている概念として捉えられていました。そのため、プロジェクトにおいて、これらのような形で、メタ認知を知識やスキルとは異なる、それらよりも高次な別種のものとして捉えるのか、それとは違い、一つのスキルとして捉えるのかということが議論されました。というのも、メタ認知においては自らの知識の量や質についてメタ認知することもありますし、自らの態度や価値観のあり方についてメタ認知することもあります。そもそもコンピテンシーの総合的性格を前提とすると、メタ認知という個別のスキルのみをこのように特別に扱うことが適当なのかという疑問も出てきました。また、メタ認知スキルも認知的スキルの一つであることから、これらを別枠に整理することは概念整理として適当でないとの指摘もあり、結果的にメタ認知スキルを認知的スキルの一環として整理することで合意が得られました。

 

メタ認知とはこれまでもブログの中で紹介していましたが、「思考を思考する」ことをメタ認知といいます。そして、この自制であったり、自己評価や振り返りを伴う能力は様々なプロジェクトでも出ている通り、どのスキルや態度、知識といったドメインにおいても、共通して重要になる力です。自分の中で考えを整理することは感情のコントロールといった情動においても、学習における創造性などのスキルを深めるためにも、知識を深めていくためにも重要になってきます。分類というものをする場合、どこにメタ認知は入るべきなのかというのがコンピテンシーの概念を作るにあたって、はっきりとした答えが出なかったのです。

 

しかし、逆を言えば、それだけ重要な能力であるということも同時に浮き上がっています。どの分野においても必要な力であり、必要とされる力でもあります。そもそも21世紀型の教育の土台にはこのメタ認知というものが欠かせないということであれば、それをどのように培うことが必要であり、どういった環境が重要なのかということは無視できるものではありません。今回の合意では認知スキルとして合意されましたが、それでもその重要性は認知スキルとしての一つの能力として捉えるだけでは足りないだけの能力であるということが言えますね。

SDGsとEducation2030

これまでのキー・コンピテンシーやニュー・ノーマルな教育のあり方はOECDのDeSeCo(コンピテンシーの定義と選択)の会議において、「人生の成功」や「良好に機能する社会」という視点を通じて考えられたものです。それはOECDがこれまで教育関係のプロジェクトが経済に資するための教育という側面で見られていたことを批判されてきたように、これまでのGDPに着目された経済だけに注目された「経済的成長」から、貧困や格差といった問題にも着目し、社会全体の成長を目指す「包括的成長」へと変化していったことに起因します。

 

OECDは設立50周年に「より良い暮らしのための、より良い政策」というミッションを示しました。それは正にGDPを高めるといった経済を目的としたものではなく、究極的に人々が心身共に幸せな状態(ウェルビーイング)を作り出すことに目的が変化していったことを示しています。そして、そのうえで、個人レベルのウェルビーイングが経済資本や人的資本、社会資本、自然資本として、社会レベルでのウェルビーイングにも貢献し、結果として個人にも還元される循環関係にあるとしました。

 

そして、これからの社会においては人間自身も大きな生態系(エコシステム)の一つとみなす考え方を2018年にOECDが示しました。それは「包括的成長」は「経済的成長」だけでは捉えることのできない、貧困層などを含めた社会全体としての成長を含めたものとして捉えていたのですが、この概念をより広くして、人間だけではなく、生物全体についてのウェルビーングを考えるということとしたのです。それは例えば、今生物の多様性が急速に減少していますが、結果的にそれは将来、人間社会においても直接的な影響を与えることになるといったように、単に人間の生活におけるウェルビーイングを考えるのではなく、人間も大きなエコシステムの一部であるという前提で考えることが求められるのです。これらのことを含めて、Education2030プロジェクトでは、望ましい未来のあり方について「私たちが実現したい未来」として議論を行ってきたのです。

 

これまで、ニュー・ノーマルな教育やキー・コンピテンシーというものを紹介してきましたが、その前提として、今後どういった人間社会を形成していくのか、そして、それが人間社会だけではなく、もっと大きな地球規模の環境のあり方を含めたウェルビーングに向けた未来のために今できることが含まれているということがOECDでは議論されており、教育においてもこの考え方が中心になって変化が起きているということが言われているのですね。つい、保育をしていても、ここまで大きな視点を持って取り組むということはなかったのですが、世界基準で保育を考えていくと決してこういった議論の内容とは無縁でいてはいけないのではないかと思います。特に国連が出したSDGs(持続可能な開発目標)が声高に言われていますが、それと保育や教育は密接に関わっているといえますし、Education2030での「私たちが実現したい未来」を考える上で、共通する目標でもあるといえるのです。