謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。今年も未だ新型コロナウィルスの猛威は変わらず感染者は減るどころか増えるような様相を呈しています。しかし、この新型コロナウィルスは決して悪いことばかりをもたらしたわけではありません。新しい生活様式、家庭でのテレワーク、デジタル媒体の活用など、そんな中でも新しい技術や様式は深まってきています。

 

そんな新しい生活様式になってきている中でも、乳幼児教育の在り方は基本的に変わってきているわけではなく、むしろこのように新しい時代だからこそ、その時代にあった教育の在り方を見通したうえで過ごしていかなければいけないのだと思います。

 

私は教育においても、保育においても、「本質的に物事を見る」ということが重要であるように思います。「何のためにしているのか」「それがどういった意味を持つのか」こういった一つ一つの意図を考えることが保育において重要な意味があると思います。しかし、逆に言えば、こういった本質を考えていけば社会はもっとよくなるのではないかとも思うのです。

 

実際、自分自身こういったことを心掛けていても、無理なことや思いつかないことは多々あり、その都度、未熟さを感じます。しかし、だからこそ、良いのかもしれません。一人では思いつかないことが、他の人や仲間を通じて思いつくことは多くあります。それが「イノベーション」なのでしょう。つまり、1人で思いつくということよりも、複数の意見をより良い社会に向けて選択していく力がこれからの時代には必要なのです。そのためには自己中心的なプライドよりも、人の意見を取り入れるだけの器や度量が必要になってくるのだろうと思います。

 

これからの時代は新しいことを常に生み出していく時代です。そのためにはひとりだけの力より、人と協働的に動くことができる力が必要になってきます。常に新しい時代に向けて、教育を見通していかなければいけない時代にこういったことを振り返り考えることは非常に重要なことです。今後の未来に向けて成長していく子どもたちに向かって、我々大人はどういった社会を子どもたちに用意できるのでしょうか。そして、子どもたちにとって生きる力を与えるといった教育目標において、どういったことが提供できるのでしょうか。

 

まだまだ、自分は勉強不足であり、人としての研鑽が足りていないのを常々感じます。このブログはあくまで自分の思ったことや学びの過程をアウトプットすることで自分の学びにつなげていくことを目的としています。そんな中、もし、見ていただいているかたがいるのであれば、ともに学んでもらえたらこれほど幸せなことはありません。

 

今年も、自分自身を磨き学んでいこうと思います。

今年を振り返って

今年は新型コロナウィルスが起こり、毎年と全く違った一年でした。それと同時に、保育と向き合った年でもありました。どうすれば子どもたちの発達を保障できるのか。どうすれば、自宅にいる子どもたちに保育を届けることができるのか。

 

新型コロナウィルスは確かに怖く深い問題です。しかし、だからといって怖がってばかりで入れません。子どもたちにとっては、今があるわけで、ここで立ち止まることは子どもたちにとって将来に影響を出してしまうかもしれません。正しい知識と知恵を持って乗り越えていきたいものです。

 

こういった時代だからこそ、本当に大切なものをしっかりと見据えて、保育というものをしっかりと考えていきたいと思います。

 

どれだけの人がこのブログを見ているかはわからないのですが、今年もありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

共に考える

鈴木氏はコーチングは「引き出す技術」であると言っています。しかし、そうすると「引き出す側と引き出される側」に2分化されてしまい、コラボレーションの雰囲気が消え去ってしまうとも言っています。そのため、コーチングの醍醐味は「一緒に何かを探索することであり、発見すること」ではないかというのです。問いは「上から下に向かって投げる」のではなく、「2人の間に置いて、一緒に共有すべき」なのです。つまり、コーチの側もあくなき興味と関心を持って、その問いの中に入っていくことが重要になってくるのです。多くの企業の管理職の人は、上司の側にすでに答えがあることが多いと言います。しかし、相手に試練を与えようとするのです。それではコーチングの哲学には反します。

 

コーチはあくまでも、相手の問いに対して等しく向かい合う。「この会社の存在意義は何だろう」「この部門はどう変わる必要があるだろう」「そのために我々はどのように変わることを求められているだろう」と、こういった「問いに対して等しく向かい合う」という前提を考えると、コーチングらしい質問というのがあるのではないかと鈴木氏は言っています。

 

このことはよく職員の先生と話していても、感じるところであります。自分自身答えをもっていることが多いのは確かです。「こうしたらいいのに」と思ってしまうのですが、なかなか相手がそこに気づかないとヤキモキします。しかし、これを見る限り、答えを持っているのに話さないのももったいないことなのかもしれません。大切なのは「共に考える」という姿勢を持つことなのでしょう。つまり、上から「こうする」ということをいうのではなく、相手の意見を引き出す必要があり、「頼る」という姿勢を見せることが重要なのかもしれません。そうすることで、相手は自分という存在を認識し、認められたという「承認欲求」が満たされることで、どんどんと前に出るポジティブさがより出てくるようになるのだろ津ことが見えてきます。

 

では、このことを保育として捉えるとどうでしょうか。子どもたちには先生に疑問を投げかけたとき、子どもたちと共に考える姿勢を見せているでしょうか。割と自分も現場で働いていた時には、子どもの問いかけに対して、すぐに答えていたかもしれません。しかし、それでは、子どもたちにとっては主体的に考える機会を失わせていたかもしれません。ともに一緒に考えながら、考え込める環境を作ったり、一緒に不思議がるということを大切にしなければいけないのだろうと思います。そして、そうやって考えている子どもたちの姿を認め、慈しむような心を持っていなければいけないのかもしれません。そして、子どもたちの活動を一緒になって楽しむということが保育士や大人がしなければいけないことなのであって、何も答えをすぐに教えることは子どもにとってすべてが良いわけではないのでしょうね。

 

共に学び、ともに楽しむ。こういった姿勢は、大人にとっても、子どもにとっても、大切なことで、その根底には共感する力が大切であり、相手の人格を認める必要があるのだろうということが分かります。

伴走者

では、具体的に「コーチング」はどういうことをしていくのでしょうか。まず、コーチングにおいて最も大切なのは「発見を促す」ことです。「相手の中にある、相手さえもそこにあると気付いていない内側の情報を『一緒に探索』して見つけていくことである。そして、『共に発見』した情報を、未来に向けた新たな行動の指針となる知識に変えていく」ことと鈴木氏は言います。つまり、「探索の伴奏者となってくれる人が一人いるだけで、その人の人生はずっと力強いものになる」というのです。

 

このことはよく不良少年を更生させていくプロセスでもよくあるということを聞いたことがあります。主体的にポジティブな考え方を持とうとした時に考え方を変えてくれる。または見るベクトルを変えてくれる人の存在というのは大きい存在であると感じたことはないでしょうか。私自身もネガティブに物事を考えてしまうことが多かったのですが、そのたびに他の人からの意見などをもらい、その時にただ、同調されるだけであるよりも、考え方を変えてくれるアドバイスが非常にありがたかったりします。また、「探索の伴走者」ということが大事なのでしょう。あくまでその走っている主体は本人であり、解決も本人が行わなければいけないのです。そのため、伴走者となるアドバイザーは相手を走らせなければいけないのです。とって代わってあげることはかえって「お節介」なのです。

 

では、コーチングにあたり、どういったことから始めていくといいのでしょうか。初めはまず「通りがかりの一言」が大切なようです。「ありがとう」や「おはよう」といった挨拶をはじめ、こういった当たり前の一言にどれだけ気持ちを込めれるかが大切なのです。次に「そうなんだね」「そういうふうに考えたんだね」と相手の発言を自由にする。そして、「それで」「それから」と話の細部にまで関心が生まれることで「もっと聞かせてくれよ」とまた、質問をするのです。こうしていくなかで、「受け取って、受け取ったことを伝え、促し、質問する」この過程をくりかえすことで、相手は徐々に自分を探索の伴走者として認め、実際に発見が促されていくと言います。

 

大切なのは「まだ、十分に探索されていない目の前の人の能力や気持ちや考えを、一緒に『発見してみよう』そう思った瞬間に、あなたはその人にとっての、その主観における人生最高のパートナー(コーチ)となるのです」ということです。

 

よく「傾聴」と言います。以前読んだ、メンタルヘルスの本においても、「シンクシビリティ」においても、同様のことが言えます。まず相手の様子を見て、相手の気持ちに寄り添い、聞く、傾聴していく姿勢は相手とのコミュニケーションにおいて、最も重要な要素なのでしょう。私はどちらかというと経営者的な目線でこの本を読んでいますが、これは保育においても、意外と見落としがちなように思います。子どもたちの保育の中で気持ちを聞く時間というのは最も重要な時間であると自分は思っています。もちろん、カリキュラムや活動に追われることもあるでしょうし、思ったよりも、時間がかかることがあります。しかし、この「傾聴」され「認められる」ことは長い目で見たときに大きな信頼関係を生むように思います。このプロセスは大人だけではなく、子どもにおいても必要な姿勢だということがあります。まずはやはりこういった「聞く」ということから始めることが大きな一歩となりえるのですね。

コーチング

先日、NHKを見ていたら、「逆転人生」という番組が放映されていました。そこでは、日本ラグビーが世界で活躍するために活躍した一人の女性が紹介されていたのです。その方はスポーツ心理学者の荒木香織さんで、当時に日本ではそれほどメジャーではなかったすぽー心理学を利用し、選手のメンタルサポートを行うことで、それまではネガティブな思考であった選手たちをポジティブな意識に変えることで、より良いチーム作りのためアドバイスし、世界で活躍するチームにまでなったということを紹介していました。

 

最近では保育の中でも、「リーダーシップ論」というものをよく聞くようになりました。また、自分自身も幼稚園や保育園という組織において、そこにある風土や環境、雰囲気というのは大きく働く人に影響するということを感じています。ドラッカーも「その組織は何をすべきか。昨日は何か」といった組織を社会貢献することの使命感の大切さを持たせることの重要性を言っています。この使命感です。このことは荒木さんも同様に日本代表の選手たちにまず、自分たちの使命であったり、やりがいというものを持たせることから始まったと言っています。どうやら、マネジメントにおいて、「コーチング」というスキルは必要な能力なのだと思います。

 

では、コーチングとはどういったところに目的があるのでしょうか。「新コーチングが人を活かす」を書いたコーチ・エィ代表取締役社長の鈴木義幸氏は「コーチングはあくまでも、問いを2人の間におき、一緒に探索しながら、相手の発見を促していくというアプローチ」であると言っています。つまり、相手に主体性を持たせることに目的があるということが分かります。そして、その本質は「未来を作り出す主体的な人材を創る」ということにあると言っています。今まで自分が考えて居た「コーチング」というのはどちらかというと「指導者」のようなイメージがあり、指示をする人というイメージを感じていたのですが、それはどうやら違っているようです。

 

確かに荒木氏が選手に行っていたやり取りのほとんどは聞き取りであり、会話でした。「今のチームをどう思いますか?」「どこに問題がありますか?」「どう変えたいですか?」「理想のチーム像は?」「そうなるためにはどこからはじめましょうか?」といったように、相手に常に考える余白を持たせながらやり取りをしていたことが紹介されていました。このやりとりは保育でも通じるところです。特に「主体性」というのものは前回の齋藤学氏の「新しい学力」においても課題としてありましたし、保育においても「意欲を持たす」というようにその主体性の持たせ方やそのための関わりというもの、考え方はいつも課題になります。「コーチング」というのは何も管理者だけではなく、さまざまな人に共通するやり取りの形なのかもしれません。以前、「リーダーシップ」について話をさせてもらう機会がありました。「リーダー」とはどこか特別な人なイメージがありますが、実際のところは様々なところに「リーダーシップ」は求められるのです。それは先輩後輩かもしれません。もちろん、管理者と職員でもあります。学校や保育機関で言うと子どもたちと先生での関係でもリーダーシップはあります。このように「コーチング」を必要とする役割をもつことは様々なところで出てきます。