幼稚園で働いていると様々な苦情を受けることがあります。モンスターペアレンツと言われる言葉もよく聞きます。ただ、そういった様々な苦情のほとんどは自分の子どもを心配してのものでありますし、話していくと納得してくれることの方が多くあります。しかし、中には感情的になって、いくら理由を話して納得してもらっても、また同じ内容でイライラしていたり、重箱の隅をつつくようにあらさがしをしているのではないかと感じるような方も中にはいたりします。そこには親のある矛盾がそこにはあるのかもしれないと小西氏は言っています。
これはNHKが2002年に行った調査です。それは親が子どもにどう接しているかを、父母と中高生にそれぞれ尋ねたものです。調査によると「子どもに対してやさしくあたたかい」「子どもにいろいろなことを話す」「勉強や成績についてうるさく言う」「子どもに対して厳しい」に対する回答は両親も子どももほぼ同じ回答率でした。一方で「子どものことをよくわかっている」という問いには62%の子どもがお父さんについて「そうだ」と答えているのに対して、お父さんは約半分の32%だったのです。そして、お母さんについては子どもの78%が「子どものことをよくわかっている」と答えていますが、お母さん自信は51%しか「そうだ」と答えておらず、82年の同じ調査から大きく減っていたそうなのです。また、「(親は)子どもに対して厳しいほうだ」という問いに、「そうだ」と答えた中高生の数も減少しています。この結果から見ても20年前と比べて、子どもは「親は厳しくない」と感じる傾向が強くなり、親は「子どものことがよくわからない」と感じていることが分かってきます。それと同時に両親ともに、子どもの「自由を尊重する親」でありたいと考えているようです。子どもに注意をし、厳しくしつけるというよりも、子どもの言い分を聞き、自主性を重んじる傾向が年々強くなっているようです。このことについて小西氏は「単に親が優しくなった、というよりも、親自身が自信を無くしているのではないかと思います」と言っています。このことに対して高校教師のGさんは「親の自信の無さが、怒りとなって教師に跳ね返ってくる」と話しています。また、小西氏は6カ国のお母さんに「子どもの成長についての満足度」を聞いたアンケート調査をしています。その結果、日本は6カ国の中で一番「子供の成長について満足している」というのが少なく52%しかいませんでした。子どもの自主性を尊重しつつも、その成長には満足していない矛盾した親の姿が浮かび上がっています。
実際、園に苦情を言ってくる保護者の方々はそういった「自信がない」といったところがあるように思います。そして、それは社会における「母親像の押し付け」に対するものであったり、「母親の孤立」であったりというのも引き金になっているようにも思います。「こういう親であるべき」「こうしなければいけない」といった「なければならない」ということが親の成長であったり、自信を持てなかったりといった環境を作り、保護者にとっては常に答え合わせを他者にされているような気になってしまうのかもしれません。社会も今の時代、SNSなどを見ても「○○警察」といったように他人ごとにすごく敏感になっている時代です。より保護者が敏感に周りの意見を気にしてしまうのも無理はないように思います。そういったビクビクした社会の中で自信を持つということは容易ではないように思います。もう少し寛大に子育てを支えていける社会も大切なのでしょう。
2021年2月19日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
小西氏の本を読んでいると、もっと育児に対して正直にしてもいいのではないかと思います。最近では「褒める」ということが善とされ、「怒る」ということがいけないことのように言われることが多くあります。確かに一方的にこちらの感情を子どもに向けてしまうのはどうかと思います。しかし、「怒る」ことに困る親もいれば、「褒める」「受け入れる」ということに困る親も今の時代は多いのかもしれません。
小西氏が3歳児の子どもが玩具の売り場で玩具を買ってほしいと泣く子どもの相談を受けます。その親の相談に子育ての講演会に来ていた講演者はこうアドバイスをしたそうです。「お母さん、そんな場合は子どもに寄り添うんです。寄り添って、受け入れて、子どもが一体何をしたいのか、何を求めているのかを一緒に考えてあげてください」と言ったそうです。確かにこの返し方はよくあることであると思います。そう言われた親は「怒っちゃだめか」と反省したそうです。
これに対し小西氏は「子どもに玩具を買ってやる気がないのなら、パチンと叩いて引っ張って帰ってくればいいんじゃないの」と言ったそうです。すると、その親は「先生、違うんです。最近は、子どもを叱らないんです。寄り添って、受け入れて、褒める育児が良いんです」と言ったそうです。確かに、今の時代、「子どもをたたいて良い」ということを言う人は少ないでしょうね。
しかし、その意図に小西氏は「子どもは褒められ受け入れられるだけではなく、叱られたり拒否されたりすることでも人間関係を学びます。親が自分の感情を抑え、子どもの気持ちを受け入れて、衝突を起こさないと、子どもは一方通行の人間関係しか学べません」と言っています。つまり、「うまく叱ることも、大切な育児の一つ」というのです。そして、大切なことは「なぜ自分が親に叱られたのかを子ども自身にも考えさせればいい」というのです。
この視点は非常に共感します。私は「褒める」ことも「叱る」こともどちらかに偏るのは良くないですし、方法論的にそういったことをしても意味がないと思っています。ここで出てきた親のように「最近は、子どもを叱らないんです。」といった言葉にそれが現れているように思います。大切なことは小西氏が言うように「なぜ、そうなったのか」ということを子どもが理解できなければ、褒めても叱っても意味は無くなってしまうように思います。大切なのはその子どもに対してどう向き合うかのような気がします。迷うことや悩むことを大切にすることが必要なのだと思います。これが育児や保育に答えがない由縁なのだろうと思います。
小西氏の話にあるお母さんの話が紹介されています。「あるお母さんが、2歳の子どもに初めて本気で手を挙げたとき、罪悪感や悲しさがこみあげてきて、涙が止まらなかったと言いました。子どもを叩いたときの手の痛さは、我が子がかわいくて仕方がないということの証でもあります。」と言っています。そして、「親と子は衝突と受容を繰り返しながら、とみに成長する。子どもを叱ることから逃げてはいけない」と言っています。
そうは言っても体罰は良くないと思います。しかし、これほど真摯に子どもと向き合うことがより良い育児であるということなのだろうということはよくわかります。大切なのは子ども自身が気付くことや自覚すること、その当事者として子どもがそこにいるかどうかであるのだと思います。そういった意味で子どもを見ることは必要になってきますね。
2021年2月18日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
小西氏はここ数年で医学や心理学で使われる専門用語が広く一般的に使われるようになった一方である違和感を感じていることも著書の中で言っています。たとえば、子どもの登園拒否について悩んでいるJさんは子どもの登園について、「先生、そんな『症状』がでたときには、どうすればいいのでしょうか」といってきたそうです。子どもの登校拒否を『症状』という言葉で表すというのに違和感をもったのです。「症状」というのは病気や疾患の状態を表すからです。他にも、子どもが泣きわめているのを見て、「パニック(障害)ですね」という専門家がいたそうです。しかし、パニックとは突発的な動悸やめまいなどの発作に襲われたり、再発への恐怖心にとらわれたりする精神障害の一つです。
このことについて、小西氏は「『甘え』と『自立』が芽生え始めた時期の子どもの登校拒否は、通常の発達の範囲内の行動です。『パニック(障害)』についても、その子の状態が『病気』や『異常』に相当するかどうかを判断するには十分な配慮が必要です」と言っています。そして、「最近、お母さんたちと話をしていると、子どもの『心の問題』に非常に関心が高く、また、『普通の発達の範囲』と『異常なこと』が混同しているように感じられます」と言っています。
このことは私も最近感じるところです。どうも、私たち自身がこういった言葉や知識を持っているがゆえに、「子どもそのもの」を見るというよりは、そういった障害であったり、子どもの傾向にばかり目がいってしまったりしているように感じます。いつの間にか、障害が軽くなることばかりに目がむかい、肝心のその子自身の気持ちに共感することや関わることが後回しになっているようにも感じます。しかし、これは「障害のことを知る必要はない」ということでもなければ、「障害児対応を否定」しているわけでもありません。あくまで、中心にはその子ども自身がいるということを意識していなければいけないのではないか。その子自身の存在を認めていないといけないのではないかと思うのです。
このことについて小西氏は「テレビや新聞、インターネットなどを通して、『心の問題』をテーマにした多くの情報が提供される時代です。医者や精神科医などの専門家が使う専門用語が、一般的な言葉として定着することも少なくありません。しかし、『心の問題』は子どもの成長発達の一つの側面であって、すべて出ないということを知っていてほしい」と言っています。
今の時代、、こういった専門用語に振り回されている現状があるのかもしれません。「○○はこういうものだから」と一緒くたに考えてしまうのはその子の存在を消してしまうことになりかねないと思います。まずは、1人の人格を持った人として子どもにあたることが大切なことなのだと思いますし、それは問題やハンデを抱えている子どもに限らず、どの子どもに対しても同様に関わっていくことが重要になってくるのだろうと思います。その一人一人の子どもたちに対して、どういったアプローチが必要なのかを見通し、考えていくことが援助につながっていくのだと思います。
2021年2月17日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
テレビの影響の中に「子どもの言語能力は、一方的な視聴だけでは発達しないことを認識すべき」という指摘がありました。このことには小西氏も同様であるようです。テレビやビデオといった媒体を使って、「言葉」や「知識」を教えるための教材として利用している親が増えていると言っています。確かに、英語教育や日本語教育の教育番組も多くなってきていますし、そういったテレビ番組を見せることで触れるという機会は多くなってきていますね。しかし、その一方で、長時間の視聴や乳幼児期の視聴は、子どもたちの生活から「周囲との双方向のやりとり」「物に触る触覚」「自ら積極的にものを見る」という機会も奪っているのではないかと小西氏は言います。それと同時に、散歩や外遊び、絵本の読み聞かせなどの機会を通して、実際に物を見たり、触れたり、嗅いでみたりしながら、子ども自らが積極的に周囲と関わろうとする意欲を削がないためにも、長時間の視聴には注意が必要だと異言っています。
確かに、テレビをただ見せるというのは人との関わりを奪ってしまうというのは確かにあるかもしれません。確かに、テレビやビデオを見ていると子どもはジッとテレビを見ていますし、落ち着いて、1人で見ているので大人は助かります。しかし、その反面、そこで起こりうる関わりというものは少なくなってしまっているのは確かです。これは最近思うことすが、認定こども園の場合、乳児から入ってくる子どももいれば、3歳児から入ってくる子どもがいます。特に幼稚園から始まった認定こども園の場合、3歳から入ってくる子どもが多くいます。その子どもたちと乳児から入ってきた子どもたちでは、コミュニケーションの質が違っているということが見えてきます。乳児から入ってきた子どもたちは割と自分の言葉で自分の気持ちを訴える一方で、3歳以降から入ってきた子どもたちは他者が悟ってくれるまで待っている子どもがおおいように思います。3歳から入ってくる子どもがいけないとは思いませんが、やはり、子ども同士で関わるという機会は少なく、家庭でいる子どもほど、テレビやビデオに頼らざるを得ない状況というのは多いのではないかと感じます。
しかし、これはかなり難しい子ども環境に問題があるのではないかと思いますいくら、専門家が「テレビをやめて積極的に外遊びをしましょう」とか「自然の中で遊びましょう」といっても、実際には母親は進んでテレビを見せているわけではないのです。地域に出ても、同世代の子どもがいなかったり、昔と比べて自然が無くなっています。地域社会の形骸化とそれに伴う親の孤独が、外に「出られない」という状況を作り出しているのではないかと小西氏は言っています。そして、多くの親はテレビの長時間視聴が良くないことは自覚しており、見せる内容にも気を使っている。そのため、生活の中からテレビを排除するだけではなく、1日に長時間テレビを見せる親の背景に何があるのかを考えなければ、問題の根本的な解決には繋がらないのではないかというのです。
最近では、街に子どもたち、特に小さい子どもたちほど、遊んでいる姿が少なくなっています。小学生ですら、地域で遊んでいる姿を見るのは少なくなっています。そのうえ、今の時代は小学生ですら塾に行ったり、習い事をしたりと大人顔負けに忙しかったりします。そうして、外の世界で遊ばなければいけない時代において、子ども環境というものは非常に難しい時代であるのかもしれませんし、それだけ、家庭が孤立化しているという現状もあるのだろうと思います。そういった時代において、乳幼児施設が担うべき仕事というのはこういった子どもたちの環境を保障することから考えていかなければいけないのだろうと思います。
2021年2月16日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
小西氏はテレビ視聴の提言について「発語は早ければよいというものではない」と言っています。それは発語が遅い子どもは「スロースターター」「レイトスターター」といって、むしろ後から急速に言語の数が広がることがあるからです。昔は「おばあちゃん子は言葉が遅い」とか「一人っ子は言葉が遅い」と言われていたそうで、発語の早さで善し悪しを決めたりはしなかったのです。発語の時期は、標準の範囲内であれば問題はなかったのです。こういった背景を考えないまま、テレビ視聴は発語を遅らせるという印象だけが前に出てしまうとかえって親の不安をあおるだけになります。これが小西氏野言う提言の問題点の一つです。
二つ目問題は「日本小児科医会の提言が、1999年にアメリカで出された小児科医らの警告に基づくものである」ということです。このことはあくまでアメリカで行われたもので、十分な検証がされていないのです。また、毎日新聞が出した、赤ちゃんが視線を逸らすということについても問題点があります。これは赤ちゃんの発達において生後三か月以降の赤ちゃんは「サッカード」と呼ばれる目をそらす状況にあるのです。つまり、このことだけを見ても「テレビの影響を受けていると断言できるものではないのです。
これは生後1か月の赤ちゃんは物の全体を見ます。物の存在を見ます。そして、ものを見てもすぐに目をそらす傾向にあります。生後2か月頃の赤ちゃんは物に焦点を合わせると、しばらく目をそらさずにじっと見つめます。そして、3ヶ月以降の赤ちゃんは、視線が急に動かす運動ができるようになり、視線を急に動かす目の運動できるようになり、物と物と見比べることができるようになるのです。このことから見ても、4カ月児が目をそらすのは視覚とそれに関係する脳機能が正常に発達しているあかしでもあるのです。こういった問題点を踏まえて考えると単にテレビの視聴によって起きているということを安易に信じるのは問題であると言えるのです。
ただ、テレビ視聴の問題は確かにあるようで、小西氏が過去に見た3歳半の男児は、言葉が少なく、この年齢にしては理解力にかけていて、他人との意思の疎通が難しい様子でした。しかし、自閉症や軽度発達障害の症状も見られなかったので、日常の生活を母親に聞いてみたところ、日中のほとんどをテレビを見て過ごしていたそうです。そこで小西氏はテレビ視聴を減らし、視聴以外の時間に人との関わりを増やすように助言をした結果、会話やコミュニケーションに改善の兆しが見られたそうです。確かにテレビ視聴が子どもに影響を及ぼすことは確かにあるのです。
そんな中、今回の小児科学会の提言において「見せすぎが良くないのは当然」という話の一方で、「育児そのものを否定された気がする」と敏感に受け取った親もいたそうです。というのも、最近の日常生活において、幼い子どもが親のそばにくっついていると家事ができないことや、天気の悪い日に外に出られず子どもがストレスを発散する場がない時にテレビは、唯一親が少し目を話しても安全だという親の意見もあるのです。一概に「テレビは発達に影響がある」と言われてしまうと忙しい家事の中で、テレビを利用するといった環境下で育てている親は罪悪感を感じてしまうのと同時に親を追い詰めてしまうことにも繋がるのです。
2021年2月15日 10:42 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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