ここ数年でヴィゴツキーやピアジェなど、子どもの発達理解について、いくつかの点が覆っているという話をよく聞きます。その一つがこれまでに紹介した子どもの因果関係の理解です。以前にも話に出てきましたが、発達心理学において、これまでは子どもには反事実も因果関係もほとんど理解はできないと考えられていました。子どもにとっては直接的な知覚体験がすべてで、出来事は連続して起こっているだけで、因果的関連はわからないのだと考えられていたのです。特に、科学の本質をなすような目に見えない因果関係、たとえば種子の中の栄養成分が芽を出させる、細菌が人を病気にする、磁石が砂鉄を動かす、隠れた欲望が人を動かす、といったことは子どもには理解できないと考えられていたのです。ピアジェはこういった意味で、就学前の幼児を「前因果的」と言っていました。
しかし、この20年でこの考えは覆ったとゴプニックは言っています。ゴプニックはこのことに対して、ピアジェの研究における質問に課題があったのではないかと言っています。ピアジェは子どもに質問するときに、子ども自身はよく知らない、因果関係のある現象について聞くものばかりであったようです。それは「夜になるとなぜ暗くなるの?」「雲はなぜ動くの?」と幼児に質問します。これらの質問は子どもの興味は引きますが、難しい現象についての質問です。そのため、聞かれた子どもたちは返答に窮し、答えられても、子どもらしい論理によるもの、たとえば「暗くなるのは寝るため」「雲が動くのは私が動けばいいと思ったから」といったものになったのです。ただ、これは大人から見れば、ほほえましいですが間違いです。
しかし、最近の心理学研究では、子どもに質問する場合、子どもに馴染みのあることを聞くようにしています。「ジョニーはお腹がすいたとき、なぜ冷蔵庫を開けたの?」「三輪車はなぜ動くの?」といった質問であれば、2歳の子どもでも正しく答えるのです。「冷蔵庫に食べものがあると思って、食べたいと思って、食べられるように、あけたの」と言ったように中には丁寧に因果関係を説明してくれる子どももいるのです。
ゴプニックは「なぜ?どうして?」と言ったように幼児が何でも聞いてくるということ自体、物事の因果関係に強い関心を持っていることの結果ではないかと言っています。
ピアジェの研究というものをそれほど詳しくは知りませんでしたが、確かに質問の内容を見てみると果たして大人でも明確に答えることができるだろうかと考えてしまいます。それと同時に、子どもたちの発想での答えの発想の秀逸さにも逆に驚きます。単純に「因果関係」といっても日常にはたくさんありますし、予想や予測をするためには、因果関係を理解がなければできなければできないことは多々あります。特に、現場の赤ちゃんを見ているとその姿はよく見ます。説明されれば当たり前と言えば当たり前なのですが、その読み取り方次第でこうも解釈が変わってしまうのだということが分かります。そして、その根底には赤ちゃんが「白紙で生まれる」のか「有能な状態で生まれてくる」のか、その前提となる見方によって解釈も大きく変わってくるように感じます。
2021年4月2日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
これまでの説を考えてみても、人間の子どもも幼いころから大人と同じように過去、現在、未来の可能世界を絶えず、思い描いていることが分かります。そして、それは進化上、明らかな利点であることが分かっているとゴプニックは言います。では、次に反実仮想はどのような心の動きによって起きているのでしょうか。どのようにして、現実に今ここにないことを思い描き、それを現実に変える方法を知るのでしょうか。そのためには何が必要で、どんな可能性がどんな状況で実現するというのでしょうか。
それを解く一つの鍵が「因果関係」の考え方であるそうです。「因果関係」つまり、何かが起こるにはその原因があるはずであるという考えです。この考え方は古くから哲学のテーマとしてありました。私たちは悪いことが起きたとき、悪いことは続くと考えるばかりではなく、その背後にある因果関係を探り、それに納得します。反実仮想が、そのような因果関係と密接に関係していることを指摘したのは、アメリカの哲学者デヴィッド・ルイスでした。
では、反実仮想と因果関係の考え方はどのように関係してくるのでしょうか。例えば二つの出来事の因果関係が判明したとします。すると、一方を変えれば他方も変わることが予想できます。このことをゴプニックはタバコとがんの発生の因果関係を例に出して説明しています。彼女はタバコとがんの因果関係を知ったとして、がんを減らすために自分で禁煙運動を始めるという可能世界を想像します。その世界で、彼女は禁煙広告や規制法。ニコチンパッチの発明といった対策を考えます。すると、これらを実行することでがんが減ることが因果関係の知識から予測できます。逆に過去の可能性を思い描くこともできます。もし、たばこ産業があれほど抵抗しなければ、もっと多くの命が救われたということを示すことができるからです。
このように因果関係の知識を持つことで、ある特定の方向に世界を変革する意図的な働きかけを可能にするのです。意図的な介入は予測とは違って、思い描いた未来の実現に向けて世界に実際に働きかけるのだとゴプニックはいいます。しかし、因果関係の知識がなくても、周りの世界への働きかけが成功する場合があります。それが「模倣」です。たとえば、以前の実験にもあったリングを通す実験ですが、これを母親が実演すれば、穴をふさいだリングは某に通せないことに気づくことがあります、大人でもこういった模倣は例外ではありません。たとえば、頭痛を訴える患者がいて、医者は患者がアスピリンを飲むと痛みが治まると聞けば、それを参考にして診断を行うというのです。つまり、自分や他人の経験から得た知識は同じ状況にぶつかったときに役に立つのです。
このことを受け手も、赤ちゃんが十分に因果関係を理解していることを分かります。なぜなら、0歳児クラスにいる赤ちゃんでも、1歳児クラスの子どもたちの様子を見て、汚れ物袋を自分で片付けに行ったり、子ども同士のやり取りをしっかりと見て、モデルにして模倣までしているところをみることがあるからです。真似ができるということはそれだけ因果関係も理解しているということが言えるからなのですね。
2021年4月1日 10:38 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
2,3歳児になると、ごっこ遊びはかなりしっかりとしたイメージを共有するものになります。ごっこ遊びに費やす時間も長くなってきます。かつて、幼児のごっこ遊びは、認知能力の高さでなく、低さを示すものと考えられていました。フロイトもピアジェも、フィクションと真実、お芝居と現実、幻想と事実の区別がついていない証拠だと言っていました。これは大人に当てはめて見ると分かります。もし大人で髪を振り乱して「わらわは妖精の銃王じゃ」と宣言したら、あの人は頭がどうかしたのかしらと思われます。ゴプニックはこういったことと幼児のごっこ遊びは性質が異なると言っています。フロイトもピアジェもそのことをきちんと研究してこなかったというのです。ところが最近になって認知科学者がこの問題に取り組んだところ、2,3歳の幼児でも、空想やごっこ遊びを現実とはっきり区別していることが分かったというのです。
それは初期のごっこ遊びの特徴の一つに、お芝居しながらクスクス笑うことがあります。クスクス笑ったり、訳知り顔だったり、大げさな身振りだったり、これらの表情はすべて「これはただのお芝居だよ」というサインだと言います。オモチャのクッキーや携帯電話で遊ぶ子は、本当にそれを食べたり、本気でママに電話を掛けようとすることはないのです。よく、ごっこ遊びの子どもの様子を見ていると、普段の会話では方言が出てくることが多いが、ごっこ遊びの中では標準語で話していることが多いことがいわれます。それはサザエさんなど、テレビの影響ではないかといったようなところがクローズアップされることが多いですが、そもそも、そういった言語の形が変わるということ自体、子どもたちが「演じている」ということに他ならないのでしょう。また、オモチャの食べ物を食べた「ふり」をするというのも、もちろん、実際におもちゃを口に入れる子どももいますが、発達によっては何も2,3歳に限らず、1歳児でも「ふり」をすることがあります。それだけ、子どもたちは現実を理解しており、フロイトやピアジェが言っているように空想の中で生きているというわけでもないのでしょう。
しかし、そんな様子の中でも、現実と空想をごっちゃにしているとしか思えない行動があるとゴプニックは言います。それは全くの作り話だと頭でわかっていても、気持ちの方がついていかないときに反応が起きるのです。たとえば、ポール・ハリスは箱の中に鉛筆ならぬ怪物がいるという想像を子どもにしてもらう実験をしました。子どもたちは箱の中に怪物がいるわけないと分かっています。口でもそういっています。しかし、実験者が部屋から出ていってしまうと、こわごわ箱から遠ざかる子がたくさんいたのです。
これは大人でもあることです。心理学者のポール・ロージンは大人に対して、瓶に水道水を組んでもらいます。そして、「青酸カリ」と書いたラベルを瓶に貼ってもらいます。すると参加者たちは本当は毒ではないと分かっているのに飲むのをやめたのです。まさに疑心暗鬼になってしまうのは大人でも起きることです。
このことを踏まえ考えてみると、やはり幼児でも現実と空想とを切り話して考えていたり、逆に想像するがゆえにリスクを避けるという行動も大人と同様に想像力を働かせ現実の行動に生かしているということが見えてきます。
2021年3月31日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
18ヶ月かそこらの赤ちゃんでも反実仮想は起きているとゴプニックは言います。それは赤ちゃんが模倣やお芝居をする様子からわかるのではないかというのです。模倣やお芝居ができるようになるためには半事実が思い描けないとできないからです。見立て遊びをするというのは1歳児クラスの子どもたちの様子としてはよくあります。また、模倣に関していうと特に1歳児クラスの子どもたちは顕著に模倣活動をしていることが見て取れます。そして、その模倣して学ぶことがよりできるようになるような環境作りも同時に行うからです。よく見つけるのが、赤ちゃんが何か物をもってカチカチ音を鳴らしているのを見ていた他の子どもがそれを真似してカチカチ物をもって音を鳴らしたりします。この見たものを自分で素材を集めて、音を鳴らすというのを1歳児の子どもが行っているのを見ると、目の前で見た光景を自分のまわりにあるもので現実化するというプロセスを踏んでいます。確かにそれは反実仮想によって起きた予測や見通しの行動なのでしょう。
こういった行動が起こる中で「オモチャ選び」が重要になります。オモチャ選びは幼児や乳児のこういった行動の志向が反映されるというのです。ごっこや見立て遊びができるようになるのはそういったオモチャがあるわけではなく、子どもがごっこ遊びをするようになるから、その遊びに合ったオモチャを用意するのです。そのため、仮にオモチャがなかったとしても、子どもはその他の石や葉っぱ、親、そして、自分自身までをも何か別のものに見立てて遊ぶでしょうとゴプニックは言います。かりに遊びを禁じる文化の下でも、子どもは自然とこうした遊びを始めるのです。
そして、次第にことばの獲得と共に、子どもの想像力は一気に膨らみます。まだ、言葉を話せない時期でも未来の予測や創造がいくらかはできますが、言葉の助けを借りれば、概念を自由に組み合わせることや、そこにないものを表現することもできるようになります。
たとえば、ゴプニックは赤ちゃんの最初に言う言葉のうち「ノー」と「アッオー」といった言葉を挙げています。「ノー」は「イヤ」といった拒否の言葉と使われますが、「ダメ」といった禁止する意味や、失敗したときの掛け声、「違う」ということを訴えるときなどに使っています。他に「アッオー」は期待したことが実現しなかったり、できると思ったことができなかったときなど、理想が現実に裏切られたときに発せられることがあるようです。
この様子は海外の事例なので、日本とは少しニュアンスが違う部分がありそうですね。ただ「アッ」とか「アッア」といったように声を上げることは日本でもよくあり、言葉のように相手に訴えるときに発せられることがよくあります。
このようにちょっとした言葉のようなやり取りが行われる赤ちゃんはもう現実世界だけではなく、反事実と可能性の世界にも足を踏み入れているといえるのではないかとゴプニックは言います。ゴプニックはこれらの表現する言葉を覚える時期は、道具の使い方を思いつけるようになる時期と一致すると言います。なぜなら、言葉を得た幼児は幅広い可能性を思い描けるようになるからだというのです。
2021年3月30日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
ゴプニックは赤ちゃんでも未来の予測ができる反実仮想ができると言っていました。では、過去のものはどうでしょうか。「もし」「たら、れば」でも、予測できるのでしょうか。は幼児の行動を観察して推量した実験から見えてきたようです。この実験が行われたころにおいても、幼児は反実仮想ができないものと思われており、それはごく最近までそうだったようです。しかし、なじみ深い話題であれば、2・3歳の幼児も、現実世界と異なる世界を生き生きと思い描けることが分かってきたそうです。
英国の心理学者ポール・ハリスは幼児の空想力についてはエキスパートです。彼はイギリスの田舎の童話を子どもに語りかけます。そして、そのあと、未来と過去の反実仮想を促す質問をしてみました。いたずらアヒルのダッキー君が、どろんこの靴を履いたまま台所に入ってきます。ダッキーが台所を歩いたら、床はどうなるだろうか?きれいになる?汚くなる?長靴を洗ってから入ったら、どうだろう?と質問します。すると、3歳児の子どもでも、ダッキー君が靴を洗えば、床は汚れないということを、正しく答えられました。
こういった実験はゴプニックも行ったそうです。正しい順位並べるとストーリーが完成する紙芝居のようなカードを作りました。それぞれのカードには「女の子がクッキーの入った瓶のところへ行く」「瓶のふたを開ける」「中をのぞく」「クッキーを見つける」「喜ぶ」といった連続した場面が書かれています。まずはこの一連のカードを見せます。続いて、これと別に「クッキーが入っていない瓶を描いたカード」と「お腹を空かせて悲しそうな女の子を描いたカード」を見せました。最初の組のカードを正しい順番に並べ、どんなお話か、子ども自身に語らせました。続いて、「それじゃ、女の子が悲しい顔をしていたらどう?」といって、最後のカードを悲しげな女の子の絵に取り換えます。そして、「どうしたのかしら?」と尋ねます。すると3歳の子どもたちはその結末にあうようにカードを動かし始め。クッキーが入った瓶の絵を空っぽの瓶に取り換えたのです。つまり元のストーリーにはない過去を想像し、推論によって新しいストーリーを完成させたのです。
この二つの実験を見たときに割とよくある話だと思いました。幼児期だと、特に発表会の取り組みの中でこういったやり取りは多くあるように思います。「このとき○○はどんな気持ちだっただろうね?」とか「なんでこう思ったんだろう?どうしたらこうならないかな?」と子どもたちにセリフを決めさせるときに語りかけの中で、実験にあるようなやり取りが行われているように思います。ただ、最近まで、子どもたちが想像し、それが現実と区別されることで、現実を変えることを役立てる見通しを持つ力を持っているということが考えられていないということの方に驚きを感じます。
ゴプニックはさらに子どもたちのごっこ遊びやままごと遊びにも反実仮想が生かされており、反実仮想ができなければごっこ遊びができないとまで言っています。それは、どういったことなのでしょうか。
2021年3月29日 10:52 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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