マシュマロ実験

マシュマロテストはアメリカの故ウォルター・ミシェル博士によって進められた研究で、実行機能の重要性を分かりやすい形で実証しました。このテストは、保育園や幼稚園に通う年齢のこどもを対象にしたものです。実験者は子どもと少し遊んだ後、子どもに「幼児があるので部屋の外に行くけれど、もし何かあったらベルを鳴らして私を呼んでね」と告げます。そして、子どもにベルを渡して部屋を出ます。そのとき、子どもは2つの選択肢を提示されます。マシュマロ1つの選択肢とマシュマロ2つの選択肢です。

 

実験者は、子どもに自分が部屋に戻ってくることを待つことができれば、マシュマロを2つもらえることを告げます。また、実験者が部屋に戻ってくるまで待てないと思ったら、ベルを使って実験者を呼んでもいいこと、しかし、その場合マシュマロは1つしかもらえないこともあわせて告げます。

 

この実験の過酷な点は、実験者が戻ってくるまで10~15分もかかることです。子どもは、自分の目の前に魅力的なお菓子があるのに、それを食べたいという欲求をコントロールして、10分程度待ち続けなければならないのです。この写真の男の子の顔を見ているといかにその過酷さがあるかが伺えますね。このテストでは、子どもが今すぐに少ないマシュマロを得るか、その欲求をコントロールして2倍のマシュマロを得るかを調べることができます。つまり、後で2倍の報酬を得るという目的のために、今目の前の誘惑に抵抗できるかを調べるテストだという点です。

 

では、実際、マシュマロテストに参加した子どもたちが青年期になったときにどういったことになるのでしょうか。ミシェル博士らは、マシュマロテストに参加した子どもたちを長期的に追跡し、目の前のマシュマロを食べたいという欲求をコントロールできた子どもとできなかった子どものその後の成長にどのような違いがあるかを調べました。具体的には、幼児期のマシュマロテストの成績を記録し、その子どもたちに10年後にもう一度調査にさんかしてもらい、青年期における様々な能力との関連を調べたのです。

 

ここで調べられたのは、青年期の学力、友だちとの対人関係スキル、さまざまな問題を起こす頻度、問題が起きたときの対処能力などです。主に、学校に適応できているかどうかが調べられました。その結果、幼児期にマシュマロテストの成績が良かった子どもは、そうではなかった子どもに比べ、青年期の学力や対人スキル、問題が起きたときの対処能力などが高いことが示されました。さらに欲求をうまくコントロールできた子どもは、青年期ストレスにうまく対処できることもしめされています。青年期と言えば、友だち関係に悩んだり、いじめにあったり、受験のストレスがあったりと、決して楽な時代ではありません。大変な青年期を乗り切るために、子どもの実行機能が役に立っているのです。

 

また、この研究には続きがあり、実行機能だけではない部分に影響があることも分かってきました。

本当に必要なもの

ペリー就学前プロジェクトではIQを高めるということはかないませんでした。しかし、シカゴ大学のヘックマン博士らが、中学生の時点で幼児教育プログラムを受けていた子どもは、受けなかった子どもをよりも、学校の出席率が高く、学業成績が良いことを見出しました。そして、このような傾向は高校時に継続し、幼児教育プログラムを受けていた子どもは、高校の卒業率が高かったことも報告されています。さらに、大人になってからも、幼児教育プログラムを受けた子どもたちは、収入が高く、生活保護受給率や犯罪率が低いことも明らかになっています。つまり、非認知スキルの発達に影響を与え、それが青年期の学校での成績や成人間における社会的成功を促したことが示されました。このことはペリー就学前プロジェクトのほか、ノースカロライナ州で実施された同規模のアベセダリアンプロジェクトでも同様な結果が報告されています。

 

では、非認知スキルとは具体的にどのようなものを指すのでしょうか。OECDの報告書では、①「他者とうまく付き合う能力」 ②「自分の感情を管理する能力」 ③「目標を達成する能力」の三つが挙げられています。

 

1つ目の「他者とうまくつきあう能力」は他者に対する思いやりや、社交的なスキルのことを言います。これらのスキルが学校や職場で重要なことは言うまでもないです。思いやりのない人は、周りからも助けてもらえず、学校や職場で孤立してしまうでしょう。2つ目の「自分の感情を管理する能力」とは、自尊心を持つことです。自尊心が高すぎるのも問題ですが、自分に自信を持つことは、他者と関わる上で基盤となります。

 

しかし、森口氏はこれら三つの能力のうち、三つ目の「目標を達成する能力」がもっとも重要ではないかと言っています。それは小学校入学前の子どもを対象にした研究の多くが、目標を達成する能力であり、特に実行機能が子どもの将来に与える影響が強いことが示されたことを根拠にしています。最近では、この実行機能は、認知的スキルからも他の非認知スキルからも独立した、特別なスキルだと考えられつつあります。それくらい、実行機能は特別な能力であるということが言えるのです。

 

このことはスティーブ・ジョブズの話からも見えてきますね。彼は実行機能を強く持っていたがゆえに、性格上や付き合いが苦手であったにもかかわらず、マッキントッシュやアップル製品など、経済においてイノベーションを起こすことができたのです。詰まるところ社会に出て成功をつかむために必要なスキルとしては実行機能というのは重要であるということが言えるのです。では、その実行機能とはどういうことを通して測ることができるのでしょうか。これも以前出てきた「マシュマロテスト」によって見えてくるというのです。もう一度、森口氏の内容を含め、テストの内容を復習していこうと思います。

ペリー就学前プロジェクト

前回、紹介したように非認知スキルというのは社会生活において、非認知スキルが必要とされる場面が多いことが分かります。IQがいくら高くても、それを社会で生かすことができなければ宝の持ち腐れになりかねないのです。

 

OECDもこの非認知スキルの重要性を強調しているのですが、なぜ、この非認知スキルが注目されているのかというと、このスキルが変化しやすいためだからです。IQは基本的に安定してものであり、生涯を通じてあまり変化しないといわれています。子どもの頃にIQが高い場合は、大人になってもIQが高いことが多いのです。一方で、非認知スキルは教育や子育てによって変化する可能性があります。このことを示す証拠として、アメリカのミシガン州における幼児教育計画である、ペリー就学前プロジェクトがあります。これはポール・タフ氏の著書の中でも以前紹介しましたが、これはアメリカのミシガン州における幼児教育計画です。

 

貧困層の子どもを支援することを目的としたもので、貧困層の子どもたちは、家庭に問題を抱えていることが多く、教育も十分に受けられません。そのため、学力が低いことが多く、学校を中退したり犯罪に走ったりするなどして将来に様々なリスクを抱えていたのです。そこで、そういった子どもたちに対して、早い時期から質の高い教育を施すことで、子どものIQを支援するためのプロジェクトが始まりました。そこでは、貧困層の子どもたちを2つに無作為に分け、一方には質の高い幼児教育プログラムを施し、もう一方にはそのようなプログラムを施さなかったのです。そして、プログラムを受けたグループでは、子どもたちは毎日プレスクールに通い2時間半の授業を受け、週に一度の家庭訪問を受けました。

 

その結果、プログラムを施した直後は、プログラムを受けたグループの子どものIQは受けていないグループの子どもより高くなっていました。この結果だけを見ると、IQは教育によって育むことができるようにも思えます。

 

ところが、10歳頃にはプログラムを受けたグループと受けていないグループのIQの差は見られなくなったのです。つまり、プロジェクトにおける幼児教育は長期的にはIQを高めることができなかったのです。森口氏はこの結果は、日本における数多ある「IQを高める」幼児教育スクールにも疑義を投げかけるといいます。IQを一時的には高めることができても、その効果は後に持続しない可能性があります。一時的に変化したように見えても

それは見せかけに過ぎないのです。

 

では、乳幼児教育というのは行っても意味のないことなのでしょうか。子どもが就学前に教育や保育を受けることは意味のないことなのでしょうか。ペリー就学前プロジェクトはIQを高めることには至らなかったですが、非認知スキルにおいては大きな影響が見えてくることが分かってきたのです。

IQと非認知能力

子どもの将来にとって大事な力とは何でしょうか。多くの人が思い浮かぶのが、学歴や成績といったIQなどに代表される「頭の良さ」ではないでしょうか。実際のところ、子どものときのIQは、学力や将来の年収などにも影響することが知られています。ところが、最近の研究の進展により、IQが重要であることは間違いないものの、IQだけでは不十分であることが明らかになっています。なぜならIQだけではその人の能力を推し量ることはできないためです。

 

森口氏は大学教員と話をしている中で、「東大卒なのに仕事ができないのはなぜか」という相談を真剣に受けることがあったそうです。これに近い話は私も過去に受けたことがありました。私の場合は某人材紹介の人でしたが、その人も「有名大学の優秀な人でも、頭が良く、IQが高くても仕事ができなかったり、使いものにならない人材がいることを最近よく聞く」と言っていました。どうやら学力や学歴だけでは社会では活躍できないというのはよくある話なのだろうと思います。では、なぜ仕事ができないのでしょうか。

 

同じように勉強ができたり、知識があったりするのに社会に出た後に大きく差をつけられる人たちに出会うことがあります。その差を生むのが「非認知スキル」なのです。OECD(経済協力開発機構)では、2015年の報告書の中で、今後教育で育むべき能力は、非認知スキルだと述べています。

 

このスキルは、言うなれば、自分や他人とうまく付き合っていく能力のことです。私たちは、会社や学校などの社会の中では、自分ばかりの意見だけではうまくやってはいけません。他者ともうまくやっていかなければいけないのです。いくらIQが高く、知識があったとしても、同僚や上司とコミュニケーションが取れなかったら、ノルマのクリアやプロジェクトの成功といった目標を達成することはできないでしょう。非認知スキルが低いと、粘り強く仕事をやり遂げられず、すぐに放り出してしまうかもしれませんし、顧客とトラブルを起こしてしまうかもしれません。森口氏はこのように実際の社会生活においては、IQのみならず、非認知能力が要求される場面が多いといっています。

 

東大生や有名大学を出ている学生は当然のことながらIQが高いことは言えるでしょう。しかし、仕事でうまくいかず、なかなか活躍できないというのはかなりもったいないことです。「IQが大切なのはもちろんであるが、非認知能力がもっと必要」というのはこういったことが背景にあるのでしょう。いかに勉強や要領がよくても、それを生かすことができなければ宝の持ち腐れになってしまうのです。そう考えるとIQというのはツールでしかないのかもしれません。問題はそれをどう使うのかということが社会で生きる力につながるのだと思います。

他の動物の実行機能

では、人間と動物と比べたときに、人間はかつてのキリスト教のように特権的な地位にあるのでしょうか。この点について、最近面白いことが明らかになってきました。その大きな一つの要因は「人間とそれ以外の動物」という構図は成立しないという点です。デューク大学のマクリーン博士を中心とした国際研究チームは、36種の動物の実行機能を比較しました。

 

この研究では、、非常に簡便な方法で様々な動物の実行機能を測定しました。まず、3つの箱のようなものを用意し、その動物にとって魅力的な食べ物を1つの箱(箱A)に隠し、探させます。これ自体はどの動物にとってもそれほど難しいことではありません。これを3回繰り返します。そして、その後にテストをします。その後にテストを行います。今度は箱Aに一度食べ物を隠した後に、そこから取り出して別の箱Bに隠します。動物は、箱Aを探して成功する経験を3回しているので、箱Aを探すという行動が選択されやすくなっています。この行動を選択せずに、正しく箱Bを探すことができるのかを調べます。

 

人間では、1歳前後の赤ちゃんでも正しく箱Bを探すことができます。ほかの動物はどうだったのでしょうか。その結果、チンパンジーやオランウータンなどの霊長類は、ネズミなどのげっ歯類や鳥類に比べて、成績が良いことが示されています。また、さまざまな種類の食べ物を食べる動物のほうが、そうではない動物よりも、自分をコントロールする力が強いことも示されています。全体的に、実行機能は、脳の大きさと関係があったようです。この研究で最も脳が大きい動物である像は例外だったようですが、それ以外の動物では、脳が大きければ大きいほど、実行機能が高いのです。

 

チンパンジーは実行機能が高いといわれていますが、それでも人間と同レベルというわけではありません。別の研究から明らかになっているのは、人間の実行機能はやはりチンパンジーよりもかなり高いということです。目の前においしそうな食べ物がある場合に、チンパンジーは誘惑に抵抗することが難しいことが繰り返し示されているのです。

 

トマセロ博士らのグループは、チンパンジーの実行機能を人間の子どもと比較しました。その結果、チンパンジーの成績は人間の3歳児と同じくらいであることが報告されています。また、人間の実行機能は3歳以降に劇的に変化するということがわかったのです。このことを見ていても、実行機能はほかの動物にもあることは分かりますが、人間においては特に発達している能力であると結論付けられると森口氏は言っています。

 

ここから森口氏は実際にこの実行機能の自己をコントロールする力がいかに大人において、行動に影響を与えるかを考察しています。これは昨今のIQや成績、学力偏重になってきている教育現場において、大きな問題提起を投げかけています。そして、それは乳幼児教育において、とても重要な意味合いを持つことが同時に分かります。