赤ちゃんの共感

赤ちゃんが他人の心を理解するのは、自分の心の動きが分かってきてからだとゴプニックは言います。自分の心の動きを理解することで、自分の心と他人の心の仕組みは同じということを想定するのです。また、このことは情緒だけに限らないと言います。たとえば、1歳児になれば、他人の願望や意図も理解できるようになりますし、同じ頃から、他人の情緒だけでなく願望も模倣し始めます。このことを示す実験としてあるのが、実験者が頭を箱にコツンとぶつけて光らせてみせれば、子どもも同じことをします。1歳半になると、目的が果たされなかった行動も模倣します。実験者がおもちゃのダンベルをいくら切り離そうとしてもできないのを見て、自分もやってみようとします。他人の願望や目的を取り込んでいるのです。そして、2・3歳児になると望みのものが手に入ればうれしい、手に入らなければ悲しい、といった基本的な心の理論を身に付けます。

 

よくこのことを保育の中で考えてみると、赤ちゃんでも手を出して「イエーイ」というと、その手にそっと重ねるようにするようになります。私の子どもが今8か月なのですが、その頃から差し出された手の意図を汲んでいるようにも見られました。つまり、赤ちゃんの頃でも、相手のしてほしいことを予測して、それにこたえるということはやはりわかってきているようです。一歳になってくると名前を呼ばれると手を挙げるようになります。自分の名前の認識のみならず、返事をするようになるというのは何とも不思議なものですが、これも相手の意図やしてほしいこと、願望と目的を理解しているということなのでしょう。ゴプニックは「2・3歳になると、望みのものが手に入ればうれしい、手に入らなければ悲しいといった基本的な心の理論を身につける」と言います。「物を手に入れる」という活動は1歳児でも見られる活動ですし、取り合いによるトラブルも起きます。ただし、確かに1歳児の場合は物に対する執着という意味ではあまり意識はされていないかもしれませんね。奪ったとしても、次の玩具に手がのびていることがほとんどで、本当にそれが欲しいのかというとそうではないようなことが多くあります。比べて2歳児になるとそのものをしっかりと所有するという意味で奪うことがあるのは確かです。「目的をもってとる」ということでしょうか。こういった感覚は単純に自我として捉えていましたが、実は「共感」というものもその内側には見え隠れしているのですね。

 

ゴプニックは「他人に共感するとは、自分の感覚も相手の感覚も同じであることを前提に、相手の心を自分に招き入れることです」と言っています。初めの方でも語られていた通り、共感をするためにはまず、自分の気持ちを理解していなければいけないということなのでしょう。そうすることで、相手にも自分と同じような気持ちがあることを当てはめて考えていくのです。誰かが悲しい顔をしたり、箱を光らせたり、オモチャを切り離そうとしているのを見た子どもは、同じように悲しくなり、箱を光らせ、オモチャを切り離そうとするというのです。つまり、相手の体験においても自分が体験するかのような感覚を持つというのです。そして、こういった話の中できっても切り離せないのが「ミラーニューロン」というものの存在です。