知を生かす

アンドレアス氏は難しい問題ではあるがと前置きしてのことですが、これからの学校に期待されるのは「生徒が自律的に考えることを学び、現代社会の多元性を踏まえたアイデンティティを身につける場になることである」といっています。これまでの記憶や暗記だけの学習ではなく、自分自身が自律的に物事を学び、それを社会につけるような力として発揮できるような力を持つことが必要だというのです。特にこれからの社会ではグローバルな考え方が必要になり、多様性を理解し、寛容と共感のような社会の中核となる自由な価値観を認める能力もまた必要になります。この力を持つことは、世界で巻き起こっている過激思想に対する最も強力な対策の一つともなるのです。これからの学校は生徒が自分自身について考え、他者と共に他者のために行動できるようにする必要があるとアンドレアス氏は言ってます。

 

これらの考えは、人々がいろんな視点で世界を捉え、さまざまな考え、観点、価値観を理解できるようにする一連の能力を評価する、グローバル・コンピテンシーの概念をPISAに統合するきっかけとなったのです。グローバル社会で優れた人は、地域、世界、異文化間の問題を検討し、さまざまな観点や世界観を理解し、他者を尊重しながらやり取りし、持続可能性と集団のウェルビーイングを目指して行動するのです。そして、そのような社会的および市民的包摂を実現するには、多様な認知的、社会情動的な要素がかかわるため、グローバル・コンピテンシーの測定は大変な科学的な挑戦なのです。

 

PSIAはこういった人材をこれからの社会には必要であるということで、学力調査を始めたのですね。しかし、日本において、考えてみると、なかなかこういったことが教育現場まで降りてきているのかというと、まだまだ知られていないことが多いように思います。当たり前のように、テストは未だ暗記に頼るものでありますし、現場においても自分で考えるといった教育形態よりも、教師から生徒に一方的に向かう授業がまだまだ主流といってもいいように思います。果たして、暗記を中心にした教育形態がこれからの社会で通用していくのでしょうか。どうやら、ここで話されていたのは、暗記することが目的ではなく、暗記された知識をいかに「生かすか」ということが目的であるということがこれからの社会には必要であるということが言われていました。以前ここで紹介した麴町中学の工藤勇一氏の教育改革などはここでアンドレアス氏の言っている目的と同じようなところに教育の価値を見出しているように思いますし、麴町中学でもあくまで知識を得ることよりも生かすことを目的とされていました。しかし、知識を生かすためには「知識を知る」といった「覚える」という従来の知識を得る教育も必要なことではあります。しかし、それはあくまで手段であって、目的ではないのです。目的は知識を生かすことなのです。そのためには、レジリエンスといった非認知スキルも必要になってくるのです。

 

このことを踏まえ乳幼児教育を考えていくと、小学校のプレ教育のような先取りをすることがいかに意味のないことなのかと思います。乳幼児期には乳幼児期の教育があり、それは小学校の先取りではなく、これからの社会に向かう学校現場につなぐために、その土台をつくらなければいけません。だから、遊ぶこと、とくに「遊び込む」といった経験が必要なのです。そこで得た、興味や探求心が後の学校教育につながっていくのです。本質をしっかりと見通したうえで、日々の保育の内容をしっかりと見据えていかなければいけないということを改めて感じます。