乳幼児教育
最後の言葉の獲得につながる土台は「物の認知」です。言葉の発達は物の認知にも大きく関わるのです。これは前回のコミュニケーションの内容でもお伝えしていましたが、赤ちゃんの関係性は発達するにつれて、1項関係から2項関係、それからものを介した3項関係になっていきます。物というのはそれ自体を介在として、大人や他者との関わりをもたせるツールとなります。また赤ちゃんは物を通して、触ったり叩いたりします。その中で、物について知識をつけていき、それが増えてくると、様々なものや出来事を分類し、それに名前を付けて整理していきます。
1歳頃になると、歩行も可能になり、身近なものや人間に能動的に働きかけます。そして、動作模倣や音声模倣を通して、周りの世界を取り込んでいくのです。言葉を獲得していくなかで物をどう認識していくのかというと、その過程の中では、子どもは物をいくつかの事物に共通の意味を見出して同じグループのものとして扱ったり、同じ名前で読んだり、同じやり方で反応したりする能力が必要としていきます。1歳児頃になると、この「言葉(記号)」と「言葉(記号)によりあらわされるもの」とが対応してくるのが分かり、少しずつ語彙を増やしていくことになります。そして、物の名前や特徴を記憶するとともに、「あるものを、それとはことなるものであらわすはたらき」であるとみなす「象徴機能」を使って、「砂」をつかって、「ケーキ」をつくるといった物のイメージを広げていくことになるのです。
このようにこれまで、紹介した4つの言葉を獲得する土台を通して、子どもたちは言葉を使えるようになり、語彙を増やしていくことにつながっていきます。どの機能も当然のように必要になってくる能力です。こういった土台を使うことが出来る環境が多いほうが子どもの言葉の獲得というのはよりよく伸びていくのだろうと思います。
では、一番初めの要因「幼稚園に3歳児から入園した子どもの課題」として、私が感じた子どもの語彙の少なさを照らし合わせるとどうでしょうか。私はこれまでの土台としてあった。①音声を聞く(音声知覚)➁音声を発する(音声表出)③コミュニケーション(対人関係)④物の認知(対物関係)といったものの経験が少ないということも少なからず関係しているのではないかと思います。少子社会になり、家庭において子どもが少ない核家族家庭が増えてきているように思います。そういった環境の中で、子どもたちが言葉や会話に触れる機会や使う機会が母親とだけでは少なくなって入りするのではないだろうかと感じます。それに比べ、乳児期からの保育を経験した子どもたちは子ども同士の関係性や関わり、そして、保育者との関わりを通して、言葉に触れる経験が多いことも要因としてあるのではないだろうかと思います。しかし、これには一つの条件があります。よくある担当制で子ども対大人といった関わりだけを中心にするとこういった言葉の発達は見られないかもしれないということです。大人が子どもと関わることについて、こういった土台をどう保障し、保育の中に落とし込んで考えていくのか、こういった環境構成をしっかりと捉えなければ、子どもたちにとって経験や体験を増やす機会になりません。様々な研究から見えてきたことを「生かす」ということもしっかりと考えていきたいと思います。
2021年8月17日 4:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
言語の獲得における土台の3つ目は「コミュニケーション」(対人関係)です。言葉を発しない赤ちゃんはコミュニケーションを取っていないかというと、決してそういうわけではありません。表情や視線、音声、身振りなどを用いて自分の欲求や意志を示し、他者とコミュニケーションを取ろうとしています。赤ちゃんのこういった時期にはすでに人の顔に似た図形に興味を持ち、人から発せられる感覚刺激に特別な反応を示すことから、人が人と積極的に関わろうとする力は、生得的なものであると考えられています。
では、この赤ちゃんの姿がどのように言語獲得に影響があるのかというと、4ヶ月頃になるといろいろな音の発声が可能になり、音声や表情で自分の欲求を示し、それに応答する他者との間に情緒的な絆が形成されるのです。6か月頃の子どもは喃語や反復喃語も表出し始め、まるで言葉を発しているようになってきます。そのため保育者の働きかけを喜び、応答を通じてコミュニケーションが豊かになってきます。大人の話す言葉の意味は分からなくても、褒めているのか怒っているのか、相手の表情や抑揚から理解できるようにもなってきます。短期記憶の発達に伴い、「いないないばあ」の遊びや、動作模倣も発達し「おつむてんてん」を楽しめるようになってきます。9ヶ月になると、自分と他者、自分とものという2項関係の認知世界から、自分と他者と対象物という3項関係の認知世界へと移行します。たとえば、物を受け渡したり、玩具を他者に得意げに見せたり、指差しといったことも出てきます。他にも受取る役と渡す役を交互に演じることも行い、双方向のやりとりが可能になってきます。このような3項関係の成立によって、相手の意図や欲求が表情や身振り、簡単な言葉のイントネーションから推測できるようになります。このやりとりが、後の対話の基礎となるのです。
その後、1歳3か月未満頃には有意味語が出始め、音声や身振りで意志表示をすることにも意欲的になってきます。コミュニケーションが一層発達する1歳から2歳頃になると、片言や動作などで親しい人に自分の意志を伝えるようになり、動作模倣や象徴遊びをもとに「言葉」と「言葉が表すもの」を理解するようになります。2歳以上になると、それまで大人へのコミュニケーションだったものが同年齢の子どもにも関心が向くようになり、ごっこ遊びなどを通じて、認知の発達や言葉の獲得が促されていくと言われています。
子どもたちは子ども同士のやり取りや大人との関わりを通して、言葉を獲得していくのだということが分かります。つまり、関わる経験や体験が多いことが言葉の獲得につながるのです。私はこれが3歳児から入園してくる子どもたちの言葉の発達の差異に見えてくるのではないかと感じられます。どうしても家庭だと、大人とのやり取りは起きていても、子ども同士の体験は少なくなります。そして、大人が子どもの相手をすると言葉を掛けることもありますが、先回りして子どもの相手をしてしまうともあります。つまり、乳児期からこども集団に居る子どもたちよりも経験や体験は少なくなっていることが言われるのではないかと思うのです。今の時代は少子化が進み、家庭の中でも子ども集団というものが少なくなっている時代です。関わる相手が大人だけであることも状況として多くあるという事を意識する必要があるように思います。そして、その環境を考えることが幼稚園においても重要な意味があるということをかんがえなければいけません。
2021年8月16日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
前回、言葉の獲得の基盤となる1つ目の基盤「音声知覚」を紹介しました。まず「聞く」ということですね。その次となるのが「音声表出」です。つまり今度は「音を発する」ということです。発話には聴覚機能の発達とともに、音声器官の発達が不可欠になってきます。でなければ、言葉を使って関わることができません。乳児はこの音声器官における構造は未発達です。そのため、段階を踏んで発達していきます。
初めの誕生から2か月くらいまでは不快な状況での反射的な泣き(叫喚)、げっぷ、しゃっくりを発するくらいで、発声できる態勢にはなっていません。それから音声器官の発達とともに、「クー」や「アー」といった母音を中心とした音声を発するようになります。これがクーイングです。4か月ごろになると喉の構造が変化し、声を上げて笑うようになり、まわりの大人との心の交流を図り始めます。5カ月ごろになると、不明瞭ながらも母音と子音の組み合わせの音声を発するようになり、喃語が始まります。6か月頃になると「バババ」といった子音と母音をからなる音声を繰り返す反復喃語が多出し、1歳前後に初語の獲得時期を迎えます。「マンマ」など、一語文で、意味のある言葉を発するようになります。2歳前後になると、発語はより明瞭になり、2語文の発話がなされ語彙が増加していきます。このとき、助詞も使い始めるようになります。
この二歳児の頃の発話の爆発的な増加は保育をしていると非常によく感じます。2歳児なので実際のところは1歳児クラスの子どもたちです。では、その子どもたちは2歳になったからといって、必ずそういったそういった発達がおきるのでしょうか。ではなぜ、個人差が生まれるのでしょうか。このことに影響してくるのが3つ目の基盤「コミュニケーション」です。そして、前回紹介した中で3歳児入園の子どもたちの語彙が乳児から入ってきた子どもとに差があるのも、これに関係しているのではないかと思います。
このコミュニケーション(対人関係)において、赤ちゃんはもちろん小さい頃は言葉を発しません。しかし、赤ちゃんの前言語期においてでも、表情や視線、音声、身振りなどを用いて自分の欲求や意志を示し、他者とのコミュニケーションを図ろうとします。それは新生児でも、母親や周囲から発せられる育児語に同調するかのように手足を動かして反応します。このようなことから人が「人と関わる」ということは後から身につく能力ではなく、生得的な能力であると考えられています。
では、このコミュニケーションは赤ちゃんの活動において、どのように変化していくのでしょうか。
2021年8月12日 5:00 PM |
カテゴリー:乳児, 乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
先日、大学院の授業の中で、小学校の学級についての話が出ました。現在、私のいる園でも療育を必要とする子どもがいます。そして、その子どもたちは3歳児検診や5歳児検診といった検診を行う中で発達の遅れが見えてきたりします。もちろん、普段の保育の中で、手がかかることや他の子どもと比べて生活の様子が違うことから、検査に行ってもらうこともあります。こういった子どもたちが小学校に行った時に入る学級が支援学級であったりします。
最近では、その支援学級にかかる子どもたちが増えているという問題があるようなのです。実際小学校での支援学級というものがどういったものなのか私は詳しくは知らないのですが、日本における支援というもののあり方が変わっていく必要があることを感じました。支援に今後課題がある理由が、一つは支援が必要な子どもが増えたということ、もう一つがそれに伴って、先生の手が足りないという事でした。いくら支援をしたくても、子どもに対して手が足りないのです。様々な取り組みは行われている中で、この課題は非常に大きな問題を起こしています。
ただ、私の実感として、そういった教育において「異年齢」のあり方というは今後の教育の中に非常に大きな意味を投げかけるのではないかと感じています。実際、今私が働いている園では異年齢で子どもたちが過ごしています。3~5歳児の子どもたちが同じ環境の中にいます。心理士さんによっては、もう少し少人数の中で子どもが生活した方が落ち着くのではないかということを言われることがあるのですが、実際の子どもの様子を見ていると、子どもは自分の発達に合わせた子ども同士で遊んでいるのが分かります。そうした場合、発達が進むにつれて子どもたちが落ち着いていっている様子が伺えるのです。
たとえば、5歳児の子どもの中で発達検査をすると3歳児の発達段階の子どもがいます。おそらく、5歳児クラス単体の担当クラスであったら加配は割とべったりとついている必要があるでしょうが、異年齢であれば、割とその5歳児は胃年齢クラスの3歳児と遊んでいることが多いのです。このように子どもは自分の発達に合わせて遊ぶ相手を選んでいることが多いのです。また、これは支援が必要な子どもだけではなく、健常な子どもにとってもそうであることが多くあります。低月齢の子どもにとっては異年齢であることが救いであったり、逆に高月齢の子どもであったらより進んで遊びを発展出来たりします。
異年齢というのは子どもの主体性にとっては大人が意図しなくても子どもの発達に合わせた環境につながるということが見ているとよくわかります。そう思うと、異年齢の環境を用意することは今問題とされる支援における大人の手という問題が解消されたり、かえって支援を必要とする子ども自体が目立たない環境になるかもしれません。
そう考えていくと今の教育環境において、もう少し発達に沿った環境作りという事をもう少し意識する必要があるように最近感じます。今ある「年齢別」というクラス区分に対して、困っている子どもたちが多いのかもしれません。以前、紹介した「ケーキの切れない非行少年たち」を著した宮口幸治氏も同様にこういった子どもたちの環境に言及されていました。様々な形態が教育においてもあるのでしょうが、未だ昭和時代から変わっていない教育現場を変えていく必要がこれからの時代必要な気がします。
2021年8月5日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
先日、株式会社e-CHANNELが運営する保育者向けWEBメディア「ほいくis(ほいくいず)」が全国の保育者を対象に「保育園での仕事着」についてのアンケートを公式SNSで実施しました。そこでの保育士115人に「Q、園でNGな服装は?」という質問を聞いたところ、1位が「フード付きパーカー」、2位が「ジャージ」、3位が「デニム・ジーンズ」、4位が「スウェット」、5位が「キャラクターもの」、6位が「スカート」という結果が出たそうです。
そして、「保育をするのに適切な服装かどうかでNGな服装が決まっている」という傾向が見られました。1位の「フード付きパーカー(43票)」については、後ろから引っ張られた際に首が閉まってしまう可能性があるという安全上の配慮が主な理由です。2位の「ジャージ(41票)」については、「保育園の家庭的な雰囲気にそぐわない」など、園独自の理由で禁止されているケースもあるそうです。いずれにしても、これから園で働くという方は、は予め服装のルールを確認しておくことが必要となりそうです。
また、ここでは「保育者の皆さんが揃えなければならない仕事着は、保育活動中に着用する洋服だけではありません。毎日着用するエプロン、入園式や卒園式など正装が必要な行事の際に着用するスーツ、夏場のプール活動で着用する水着など、場面に応じてさまざまな仕事着が必要となります。」とあり、やはり保育者とはいえ「仕事着」という概念があるということが言えることが分かります。
私の園では基本的に保育中に着る服は自由にしています。また、エプロンに関しても、気なければいけないということは言っていません。では、海外ではどうでしょうか。以前、ドイツやオランダといった国の保育者の様子を見たときに驚いたのが、保育者は実に普段着で保育をしていました。人によってはハイヒールを履いている人さえいたのです。そういった着用する服について質問すると、「子どもを見ることになぜ動きやすい服がいるのですか?」と質問を返されました。どうやら、そこに「子どもを見る」という概念がどうやら日本とは少し違うものであるようなことが見えてきます。海外においては子どもが自ら動くことが多く、配膳にとっても、食事においても、子どもが自分で自分のことをします。日本のように誰かが用意するということも少ない、遊びにおいても、日本のように子どもと一緒に遊ぶということは非常にマレな姿でした。だから、「保育に適した」という考えも日本とは違うのでしょう。
どちらがいいとか、どちらが正解かということではないのですが、海外と日本とでは子どもとの距離感が大きく違うということはこれまで海外の保育を見ていく中で感じるところです。そして、それは保育をするときの衣服においても、その考えは影響しているということが分かります。
2021年8月4日 5:27 PM |
カテゴリー:乳幼児教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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