教育

非行と対人スキル

非行少年に共通する特徴の5つ目は「対人スキル」です。ただ、私はこのスキルに関しては非行少年に限らず、昨今の人は全体的に多かれ少なかれこの部分に課題を持っている人は多いように思います。これは以前のメンタルヘルスの本でも紹介しましたが、特に最近の若い人たちは昔とは違い、メンタルが弱いことが言われています。つまり、対人関係がストレスになってしまうのです。そして、このことは子どもたちにとっても同様のことが起きています。その上で、対人スキルが弱い子どもたちが特に困っていることを2つ挙げています。

 

一つは「イヤのことを断れない」ことで、悪友からの悪い誘いなどを断われないというのです。そして、二つ目「助けを求めることができない」ということで、いじめにあっても他者に助けを求めることができないといったことを意味しています。このように悪いことを断れないと流されて非行化しますし、助けを求めることができないと心に深刻なダメージを残すことになります。

 

そして、この対人スキルの乏しさは様々な要因から生じます。生育環境や性格的なもの、自閉スペクトラム症など発達障害によるものなども考えられますが、認知機能の弱さによって対人トラブルにつながることもあるのです。たとえば、「聞く力」が弱いと、友だちが何を話しているのか分からず話についていけない。ほかにも「見る力が弱い」場合は、相手の表情や仕草がよめず、不適切な発言や行動をしてしまう。「想像する力が弱い」と。相手の立場が想像できず、相手を不快にさせてしまう。といったことなど、こういった認知機能の弱さのため、相手の表情や不快感が読めない、その場の雰囲気が読めない、相手の話を聞きとれない、話の背景が理解できず会話についていけない、会話が続かない、行動した先のことが予想できない。といったようにうまくコミュニケーションが取れないのです。そのためにいじめにあったり、友だちができないので悪友の言いなりなる。といった非行につながる可能性が生じるのです。

 

対人スキルというのは、認知機能の弱さによっても起こりうることがあるのですね。しかし、こういったことを見ていると、決して非行少年に限らないものでもあるように思います。程度の差こそあれ、普通の人でも、自分自身に振り返ってみても、課題はあるものであり、未熟なものを持っているのは当然なことのように思います。ただ、宮口氏によると、多くの非行少年は対人スキルが苦手な少年が多いことに注目します。

 

社会で非行少年たちは、友だちとうまくコミュニケーションが取れないために、友だちから嫌われないよう、もしくは認めてもらうために、ある行動に出ることがあります。このことは十分私たちにも起こりうることです。例えば、ある少年がふざけたことをして、周りの友だちから「お前、面白いやつやな」と言ってもらえると、その「ふざけ行為」は強化され、次第にわるいこと(万引きや窃盗など)につながっていき、そこに自分の価値を見出すようになったりするのです。悪友から悪いことに誘われても、嫌われたくないので、断ることもできません。詳しく聞くと、非行化は彼らなりの生き残りの手段だったりするのです。気が弱く流されやすくて、なんでも悪友の言うことを信じてしまう。ある意味「優しい子」ほど、流されて非行に走る傾向もあったのです。これは今の社会の学生たちも同じような経験をしている人はいるでしょうね。かくゆう私も似たようなことがありました。その頃は仲間に入りたくて、苦手な友達とも関わっていたのですが、どうも馴染めない部分がありました。そして、周りに合わせるようにしていたのですが、やはり無理が出てきます。私の場合は少し視野を広げて、友だち関係の幅を広げたときに、仲のいい友達ができ、救われたのを覚えています。こういった手段が取れない、苦手というのはかなりつらいことでしょうね。

 

こういったこととは別に宮口氏は現実的な問題もあると言っています。それはどういったことなのでしょうか。

非行と自己評価

非行少年に共通する特徴として4つ目に挙げられているのが「不適切な自己評価」です。これはある少年に不適切な誤りがあった場合、その少年がそれを正したいという気持ちを持つには、まず“自分の今の姿を知る”といったプロセスが必要になります。自己の問題に気づかせ、“もっといい自分になりたい”といった気持ちを持たせることが、変化のための大きな動機づけになるのです。ところが、もし、多くの問題や課題を抱える人が、“自分には問題がない”“自分はいい人間だ”と信じていて、自己の姿を適切に評価できていなければどうなるでしょうか。自分へのフィードバックが正しく行えず、「自分を変えたい」といった動機付けも生じないので、誤りを正せないばかりか対人関係においても様々な不適切な行動につながってしまうのです。

 

たとえば、少年院では「自分のことは棚に上げて、他人の欠点ばかり指摘する」「どんなにひどい犯罪を行っていても自分は優しい人間だという」「プライドが変に高い、変に自信を持っている、逆に極端に自分に自信がない」といった少年が見られたそうです。殺人を起こしている少年でさえも、「自分は優しい人間だ」といったことには驚いたと宮口氏は言っています。しかし、それと同時に「この自己への歪んだ評価を何とか修正せねば更生させることはできない」と課題の所在も強く感じさせられたと言っています。

 

では、彼らはなぜ、適切な自己評価ができないのでしょうか?その理由は「適切な自己評価は他者との適切な関係性の中でのみ育つから」なのです。たとえば“自分と話しているときAさんはいつも怒った顔をしている。自分はAさんから嫌われている気がする。自分のどこが悪かったのだろう”とか、“あのグループのみんなはいつも笑顔で私に接してくれる。きっと私はみんなから好かれているんだ。意外と私は人気があるのかも”といったように、相手から送られる様々なサインから「自分はこんな人間かもしれない」と少しずつ自分の姿に気づいていくのです。

 

心理学者のゴードン・ギャラップは集団の中で育ったチンパンジーと集団から隔離したチンパンジーの自己認知の発達を比較しました。すると、隔離していたチンパンジーには自己認知能力を示す徴候が見られなかったことが判明したのです。そして、それは人間も同様だと宮口氏は言っています。無人島に1人住んでいると「本当の自分の姿」は分からないのです。つまり、自己を適切に知るには、人との生活を通して他者コミュニケーションを行っていく中で、適切にサインを出し合い、相手の反応を見ながら自己にフィードバックするという作業を、数多くこなすことが必要なのです。ところが、もしこちらが相手からのサインに注意を向けない、一部の情報だけ受け取る、歪んで情報を受け取る(相手が笑っているのに怒っていると受け取ったり、怒っているのに笑っていると受け取ったり)と自分へのフィードバックは歪んでしまいます。適切な自己評価には偏りのない適切な情報収集力が必要なのです。つまり、ここで一つの目の「認知機能」が相手の言葉や表情を読み取ることに大きく影響してくるのです。逆に自己評価においては「自分が嫌い、良いところが自分にはない」と自己肯定感が極端に低い少年もいます。そうなると「どうせ自分なんて」と被害感がつよくなり、ひいては怒りへとつながる可能性があります。つまり、何事においても自己評価が不適切であれば、対人関係でトラブルを引き起こすことになるのです。

 

「自己評価は高すぎてもいけなく、低すぎてもいけない。」というのではなく、相手があってこそであって、自分の方にばかりベクトルが向いていることが、結局犯罪とは言わないまでも対人関係でのトラブルになりかねないのでしょう。こういった関わりになってしまうというのはよく聞きますし、昨今の人とのコミュニケーション能力に問題があるのは結果として相手を意識されてたものではないからだと思っています。つまりは宮口氏がいうように適切な他者との関係性というものが希薄になているからなのかもしれませんね。

融通の利かなさと思い込み

融通の利かない頭の硬い子どもの特徴は前回紹介した最適解が一つしか、見つからず、それに固執してしまい、無理とわかっても他の解決方法に至らない視野の狭さがあります。結果として、解決案が分からないまま、過去に同じ失敗をしても、同じ失敗を何度も繰り返してしまいます。ほかにも、融通の利かなさは日常的な態度においても出てきます。

 

たとえば、「思い付きでやることがおおい」こと。いったん立ち止まって考えることをせずにすぐに行動に移してしまいます。こういった場合、気づきが少なく、見たものに飛びつき、

騙されやすく、過去から学べず同じ間違いを繰り返してしまいます。ほかにも「一つのことに没頭すると周りが見えなくなる」ということ。やる前から絶対効だと思って突き進み、思い込みが強い。一部にしか注意を向けられず、さまざまなヒントがあっても注意を向けられなく見落としてしまいます。このように他の方法を思いつくように落ち着かず、結果柔軟な思考や違った視点を持つことがとても困難になります。これらは対人関係においても様々なトラブルに結びついてしまうと言います。

 

こういった直情的な思考が非行少年には多いと宮口氏は言います。この直情的な感覚がそのまま「被害感」になるのです。少年院では毎日の日課があるのですが、日課に集団で向かう際に少年たちがぶつかるときがあります。すれ違う際に少し目が合っただけで「あいつがからんできた」、肩が触れ合うだけで「わざとやりやがった」、舌打ちされると「自分に向かってやってきた」、周りでヒソヒソ話をしていると、「自分の悪口を言っている」といった訴えが多いのです。実際、本当にそうなのかもしれませんが、一方で「ひょっとして自分の感じ外ではないか?」「気のせいじゃないか」「わざとじゃないのでは」といった考えは全く出てこないのです。「絶対そうだ」と思い込んで修正が利かない思考が硬い子がとても多いのです。

 

こうした些細な出来事に対する思い込みが積もり続けてどんどんと被害感が強まり、何かの拍子にいきなり少年同士で殴り合いになるというような事態が起こります。これも融通の利かなさ、思考の硬さが原因となっていると宮口氏は言っています。

 

確かにこの特徴は絵にかいたような不良少年はこういった、「被害感」をもっていると言えるように思います。これまでに出てきた内容と、今回の融通の利かなさがあわさることで、非行にもつながってくるのだと思います。融通の利かない、思い付きでの行動に感情統制が追いつかなければ、当然トラブルにつながる行動に出てしまうのも分かります。

 

こういった子どもは保育においても、少なからずいます。そして、多くが支援が必要な子どもの特徴であります。非行少年たちは幼稚園や保育園にいたころから、こういった特性上の課題を抱えていたのでしょうか。では、そういった子どもたちに対して、大人はどのように関わっていく必要があるのでしょうか。

融通の利かなさ

非行少年の特徴の3つ目の特徴は「融通の利かなさ」です。私たちは何か困ったことがあれば、いくつかの解決案を考えます。そして、その選択肢からどの方法がいいか吟味し、選択して、実行し解決を目指します。うまくいかなければ他の選択肢を選び直し、再度実行していきます。ここで重要になってくるのは解決案のバリエーションの豊富さと状況に応じて適切に選択肢を決める「融通を利かせる」力です。これは頭の柔らかさと言い換えてもいいのかもしれません。一つの問題に対して、融通が利かない、頭が硬いとどうなるでしょうか。解決策の方法が少なく、その時に不適切な行動による解決策しかおもいつかなかったとしたらどうなるのでしょうか。宮口氏はこのように不適切な行動を繰り返してしまうことに対して、こういった「融通の利かなさ」があるということに非行少年たちと面接をしていく中で気づきました。

 

宮口氏は非行少年たちの面接の中で「日本版BADS(遂行機能障害症候群の行動評価)」という神経心理学検査を少年たちにしたときに、この融通の利かなさに気づいたと言います。BADSはもともと、高次脳機能障害などの脳損傷患者の遂行機能を評価する方法として開発されたものです。遂行機能は実行機能とも呼ばれ、日常生活で問題が生じた際に、それを解決するために計画を立て、効果的に実行する能力です。この機能に関しても、ポール・タフ氏の著書に紹介されていましたね。そこでは、実行機能を混乱していたり予想がつきづらかったりする状況や情報に対処する能力のことであると言われていました。どうやら宮口氏の言っているものと同じであるということが言えます。

 

高次脳機能障害ではIQは問題がないので周囲になかなか理解されず、日常生活で様々な困難が生じますが、BADSを使うとその困難の程度がよくわかります。宮口氏はこれを非行少年たちにも行いました。それは非行少年たちの中にはIQは高いのにどうも要領の悪い少年や、逆にIQは低いのに要領がよくて賢いなと思わせられた少年が何人もいたからです。結果、IQを図る検査では彼らの真の賢さを適切に評価できていないことに気づいたのです。

 

BADSの検査の中には「行為計画検査」というものがあります。透明な筒の中にコルクが入っており、その隣には真ン中に小さな穴が開いた蓋がかぶさった水の入ったビーカー、そして、手元には先の折れ曲がった針金、透明の筒と蓋が置かれています。ルールは手元の針金と透明の円筒所の筒と蓋の3つを使ってコルクを取り出すこと。コルクの入った筒やビーカーに手を触れることはできません。この問題の答えは、まず透明の筒に蓋をし、針金でビーカーの蓋を取ります。そして、コップの形状にした筒と蓋で水をすくい、ビーカーにそそぐことでコルクを取り出します。この実験に関して言うと、何手か先を見通さなければいけませんが、健常児ならばすぐにできるような実験です。

 

では、融通の利かない非行少年たちはどうするのでしょうか。少年たちはいきなり針金をつかって細長いコルクの入った筒をつつき、コルクを取ろうとします。しかし、針金は短いので、コルクを取ることはできません。無理とわかっていても、ひたすら続けたり、コップを作る筒や蓋でコルクの入った長い筒をペタペタ叩いたりして、制限時間が過ぎてしまいます。横においてある水の入ったビーカーには目を向けなかったのです。「どうしてこんなところに水があるのだろう」といった疑問すらわきません。目の前のコルクにしか目が向かず、水を使うといった解決策が出てこないのです。これでは悪友に悪いことを誘われたら躊躇なくやってしまうことにつながると宮口氏は言っています。

感情統制の必要性

非行少年は感情統制に問題が多く、多くのストレスを感じているということを宮口氏は言っています。しかし、これらは非行少年に限ったことではありません。イジメ被害や人との関わりにおける被害意識、自分に自信がないことや相手に対する固定観念。これらのことが紹介されていましたが、そのどれもが非行少年に限らず、私たちそれぞれにも日常的に起きるストレスであります。

 

宮口氏は感情統制の大切の理由のもう一つは「感情は多くの行動の動機づけになっている」ということを言っています。つまり、人は「こういったことをしたい」「○○をしたい」という気持ちがあるから、何らかの行動が生起されるというのです。無条件反射を除くと、感情が人間のほとんどの行動を支配しているというのです。つまり、保育でいう「心情・意欲・態度」ですね。まず、心情(やってみたい)という気持ちがあるから、意欲(やってみようかな)という気になり、態度(やってみる)という行動につながるということですね。そもそも、その瞬間の気持ちがなければ行動は写されないのです。

 

ただ、非行少年によっては「ストレス発散に、○○をしたい」という文章の○○に「万引き」「痴漢」などといった不適切な言葉が入る場合があるというのです。不適切な感情が不適切な行動を生み出してしまうのです。ここが普通の人の感情統制とはちがうのかもしれません。一定のブレーキが利かなくなっているのです。仮に思ったとしても、そこで留まれるのと、そうではないのとでは大きく違うのです。

 

宮口氏はその時の対処として①ストレスがたまらないように生活を見直す。 ②○○に「スポーツ」「買い物」などを代わりに入れる ③○○したい気持ちを下げる といったものが考えられると言っています。①と②はその場ですぐに対応できるものではなく、時間と労力が必要ですが、いったんうまくいけば効果が生まれます。一方で③は気持ちを下げればいいので即効性がありますが、どうやって不適切な気持ちを下げるかが大きな課題になります。「○○したい」という気持ちは、その人間のそれまでの生育歴、生活パターン、思考パターン、対人関係パターン、倫理観などが関係してきます。これらを考えることはなかなか困難です。認知康応療法はおもに不適切な思考パターンを振り返ることで、修正を図っているのだと宮口氏は言っています。

 

つまり、私たちの場合、不適切な行動をする前に、一度その行動が適切かどうかを振り返ります。それこそが認知行動療法と同じプロセスと言えるのです。しかし、その時に「怒り」によって感情統制がとられない場合には勢いに任せて正常な判断ができず、振り返る前に行動に移してしまうということになるのでしょう。これはDVを働いてしまう人や、万引きをしてしまう人にも同じことがいえるのでしょうね。

 

今の人は以前、ポール・タフ氏の著書にあったようにメタ認知(思考についての思考)が弱いのだと思います。やはり宮口氏の著書の内容を見ていても、ポール・タフ氏が挙げているような「性格の強み」というのは教育現場においても、子どもを育てる環境においてももっと考えていかなければいけない内容であるように思います。