教育

家庭環境と実行機能

子どもを取り囲む環境が実行機能に影響を与えることが言われています。胎内環境から前頭前野に与える影響があるということが言われていますが、では、出生後の家庭環境においてはどのような影響が出てくるのでしょうか。現在、発達支援や教育支援という点から非常に重要視されているのが、家庭の経済状態と実行機能の関係だと森口氏は言っています。そして、家庭の経済状態を示すためによく用いられるのが社会経済的地位と呼ばれるものです。これは社会的な地位(職業や学歴)と経済的なレベル(所得や財産)によって構成されます。いうなれば、ある家庭が裕福なのか、貧しいのかを表す指標のことを言います。

 

つまり、この社会経済的地位が低い子どもは、高い子どもに比べ、いくつかの能力が低いことが世界中で示されていると森口氏は言っています。そして、このことは幼児期においてもその差は明確だというのです。では、社会経済的地位は子どもたちのどういった能力に盈虚を与えるのでしょうか。このことをコロンビア大学のノーブル博士らが調べました。対象となった能力は視覚認知能力、空間認知能力、記憶力、言語能力、思考の実行機能です。

 

この研究から社会経済的地位が子どもたちに与えた影響は、言語能力と思考の実行機能だということが分かってきました。その一方で、視覚認知能力や記憶力などにはあまり影響を与えなかったということも分かってきました。このことから見て、言葉や実行機能のような、発達に時間がかかる能力ほど、社会経済的地位の影響が大きいということを森口氏は言っています。そして、その理由として家庭での教育や子育てが長期間に及ぶことと「ストレス」の影響があるのではないかというのです。この結果は思考の実行機能だけではなく、感情の実行機能においても報告されているそうです。また、森口氏の研究においては、社会経済的地位が、子どもの前頭前野の発達に影響を及ぼしているということが分かってきたそうです。前頭前野が実行機能において、大きな意味があるということはこれまでも紹介してきましたとおりです。

 

では、なぜ、社会経済的地位が子どもの実行機能に影響を与えるのでしょうか。その理由の一つに社会経済的地位が低い子どもは高い子どもに比べて、ストレスを感じる経験が多いことからだといいます。そのため、ストレスに脆弱な前頭前野はその影響を受けてしまうというのです。たとえば、虐待です。身体的虐待、心理的な虐待、性的な虐待などがありますが、このような虐待を受けると、子どもは強いストレスを感じ、脳の発達は深刻なダメージを受けます。このストレスは何も本人が直接的に虐待を受けるだけではなく、例えば父親が母親に暴力をふるうのを見るだけでも、子どもには大きなストレスがかかってしまうのです。オレゴン大学のグラハム博士らの研究では、1歳以下の赤ちゃんが睡眠中に両親が口論すると、赤ちゃんの脳がストレスを受けることが示されています。それ以外にも、家族にアルコール依存症や薬物依存者がいること、精神疾患を持つ人がいること、服役中の人がいることなども子どもに大きなストレスを与えるといっています。しかし、このような家庭でのストレス経験の中でも、最も子どもの実行機能に深刻な影響を与えるのが、ネグレクト(育児放棄)と森口氏は言っています。

環境か遺伝子か

これまで、実行機能の大切さを森口氏の著書から紹介していましたが、では、実行機能はどのようにして発達していくのでしょうか。このことは様々なところで研究されてきたものです。よくその中でも、上がっていくるのが「遺伝的な要因」からなのか「環境的な要因」からかということです。これらの研究は双子を対象にすることで調べられてきました。

 

双子には「二卵性双生児」と「一卵性双生児」があります。一卵性双生児は全く同じ遺伝子を持っていますが、二卵性双生児に関しては50%程度しか同じ遺伝子をもっていません。そのため、一卵性の双子のある能力の類似性と二卵性の双子の能力の類似性を比較することで、遺伝的な要因と環境的な要因の重要性において、自分をコントロールする実行機能はどちらが大事になってくるのかを調べるようにしたのです。

 

慶応義塾大学の藤澤博士らは、子どもにとって、遺伝的な要因よりも、環境的な要因が重要な役割を果たすということを示しました。そして、家庭環境や学校環境、友だち関係のような様々な環境の中で、実行機能に影響を与えるのは家庭環境であるといっています。ただ、遺伝的な要因も決して影響がないわけではありません。では、遺伝的な要因としてはどのような影響があるのしょうか。

 

森口氏らの研究で見えてきたのは、「目標を達成するためのスキルである実行機能の高い・低いの一部は、遺伝子によって決まっている」ということが分かったそうです。研究の中で、見えてきたのは、実行機能に関わる遺伝子にも様々なものがあるのですが、その中でも前頭前野において影響を与える遺伝子があるといっています。この前頭前野でやり取りされる有名な神経伝達物質がドーパミンです。このドーパミンに関わる遺伝子としてCOMT遺伝子というものがあるのだそうですが、その遺伝子のある型をもつ子どもは、別の型を持つ子どもよりも、思考の実行機能が高いことが分かったそうです。また、こういったように遺伝子に遺伝子による影響は3-4歳ごろでは見られなかったことに対して、5-6歳児においては影響が見られたそうです。思考の実行機能が発達する幼児期後期になってからこの遺伝子は実行機能に影響を与え始めたようです。ただし、遺伝子的要因がすべてではありません。環境的要因も重要になってきますし、遺伝子の働き自体が環境に影響されることも示されていると森口氏は言っています。

 

では、環境的要因はどのように影響してくるのでしょうか。環境と一口に言っても、物質的な環境もあれば、文化といった環境もあります。また、森口氏は子どもの年齢によっても、環境的影響は異なるといっています。

保育に求められるもの

子どもが成長発達していく中で、実行機能が大きく影響を及ぼすということが言われてきています。しかし、まだまだ日本では実行機能はそれほど、メジャーなものではなく、もっとふかめていかなければいけないものであると思います。保育においても、もっとこういった知識を知ったうえで、今どういった保育が求められているのか、今いる子どもたちにとってどういった環境や関わりを持たせていくべきなのかを考える必要があるように思います。

 

森口氏の著書に書かれている「子ども期」というのはまさに「3~5歳児」が中心に書かれていますし、それはまさに保育に関わる期間です。すごく大切な時期であることに対して、あまり評価がされておらず、未だ託児所的にみられることもしばしばあります。また、政治の政策においても、子どもたちに対する補助というよりは、保護者の社会進出や保護者支援の意味合いが強いようにうかがえるのも否めません。

 

また、日本の教育現場の考え方はトップダウン的です。「大学のために高校があり」「高校のために中学校がある」「中学校のために小学校があり」「小学校のために幼稚園、保育園がある」という意味合いがまだまだ強くあるのも感じます。しかし、本来、子どもたちの発達や成長は年齢が上がるとともに発達していきます。つまり「幼稚園や保育園があるから小学校がある」のであり、「小学校の期間があるから中学校につながる」のです。そして、その先に社会があるのです。なかなか日本において教育機関の連携が取れないというのはこういった発達におけるベースが考えられていないからなのかもしれません。

 

以前、ある人から「学校なんか意味がない、会社に入ったら会社で教育するから別に小さい頃から教育する必要がない」とまで言う人がいました。しかし、実際の会社ではどうでしょうか。有名大学に出ていても、会社で活躍できないヒトが多い。就職することも難しいといわれる時代です。ある会社の重役の人と話をすると「一番使えないのは日本の男性、次に日本の女性、一番使えるのは帰国子女。なぜなら、自分の意見を言うことやコミュニケーションを取ることができるから」と言っていました。時代は「言われたことをする」という時代から「自分でできることを見つけたり、新しいことをやってみる」というイノベーションが求められる時代に変わってきているのです。そういった時代を生きていくためには粘り強く物事にあたる必要があり、トライ&エラーを繰り返し行う胆力が求められます。そして、そのためには、自己コントロールは非常に重要な要素になっています。

 

実行機能とはそういったこれからの時代に非常に重要な意味合いが求められる能力であるといえるのです。そして、このことは保育現場に直結してきます。森口氏はつぎに「実行機能を育てる」ということを紹介していますが、このことはよく受け止めていかなければいけない内容であると思います。

青年期の脳領域の特徴

最近でもニュースを騒がせていますが、「いじめ」の問題はなくなりません。特に中高生のいじめの事件は後を絶ちません。それにおうじて、いじめを原因とした自殺もたびたびニュースになっています。なぜ、中高生がいじめによって自殺することが多いのでしょうか。こういったことが無くならないのでしょうか。よく言われるのが、先生に相談できていたらとか、他の人にその気持ちを吐露で来ていたらということです。コミュニケーション能力やコミュニティについての話になることがあります。しかし、それだけが原因なのでしょうか。

 

このことについて、脳科学の観点から見るとあることが見えてきます。そして、これが中高生のいじめや自殺においても、影響があるのではないかということが見えてきます。それは「青年期の一つの特徴として、仲間が家族よりも重要な存在になってくる」という点です。森口氏はこのことについて、「小学校の間には、友だちはいるにしても、家族が優先されます。ところが中学校にはいると、休日に家族で出かける機会は減り、友だちと遊びに行ったり、部活に行ったりする機会が増える」と言っています。確かに、思春期の時代は親とある程度距離を取る人が多くなる傾向はありますね。こういった仲間環境が実行機能にも影響するはずだと森口氏は言っています。

 

そして、森口氏は「青年期の特徴として、仲間外れに敏感」といった一つの特徴も挙げています。そして、「この時期は、無視や仲間外れを含めた関係性攻撃が盛んな時期で、この攻撃対象になった生徒は、自尊心が低下し、抑うつなどの精神的な問題を抱えることにもなってしまう」と言っています。

 

このことについて、ブレークモア博士らの研究を紹介しています。婚研究ではコンピューターゲームを使い、参加者の気分を測定します。まずはゲームを始める前に気分を測ります。その後、これを基本として、仲間外れにされた後にも気分を測定し、仲間外れがどの程度影響を与えるかを調べました。その結果、大人では幾分気分に変化があったものの、それほど大きな変化が見られなかったのに対して、中学一年生と三年生では、仲間外れにされた後には気分が大きく落ち込んでいました。仲間外れにされたことによって、ひどく傷ついたのです。

 

さらに、仲間外れにされたときの大人と青年期の若者の脳活動を調べた研究では、大人も若者も、島皮質という脳領域に強く活動させていました。この領域は、不快感情や痛みを感じたときに活動する領域です。物理的な痛みでも活動するのですが、心理的な痛みでも活動するようです。まさに「心の痛み」ですね。また、このとき大人では活動が見られず、青年期の若者にのみ活動が見られる領域も見つかったそうです。それが帯状回膝下野という領域です。この領域の詳細な役割についてはよくわかっていないのですが、この領域の活動が抑うつ傾向と関わることが示されており、仲間外れにされることは、こういう領域の脳活動を通して、精神的な問題につながる可能性があるということがわかってきました。

 

こういった脳領域の活動に「仲間外れ」に対して敏感になるメカニズムがあったのですね。こういった脳領域の発達傾向においても、いじめや中高生特有の悩みが影響しているということが見えていきます。また、このころ、最近では仲間との関わりにおいてSNSというのが大きな意味合いを持ってきます。平成28年の内閣府の調査では、小学生は3割弱、中学生が5割程度。高校生になると9割がスマートフォンを持っています。若者たちにとってはSNSでつくられた友達同士のグループでメッセージを送り合います。そのため、内輪でいかに認められるか、褒められることや数が多いことが何よりのご褒美になっていると森口氏は言っています。特にSNSというツールはそれが仲間内で可視化され、どこでも時間を選ばずつながっていることに特徴があるとも森口氏は言っています。

 

私たちからするとSNSのとらえ方が少し違うと感じることがあります。「それほど、重要なものなのか」と思わなくもないこともないですが、それがすべてのように感じるのはこういった発達時期にあるからなのでしょうね。

青年期の変化

青年期は衝動的な行動を制御することができないことが笑顔と真顔の写真を見分けるテストで見えてきました。先日このテストのことを紹介しましたが、思考の実行機能は右肩あがりに発達していくことに対して、感情の実行機能は青年期に一時的に悪くなってしまうのです。つまり、青年期においては、アクセルが強すぎて、ブレーキによって制御できていないのです。しかし、児童期や成人期ではハイリスクハイリターンの選択をすることはありません。つまり、アクセルに対して、ブレーキが機能していることを示しています。なぜ、青年期はブレーキがアクセルを制御できないのでしょうか。

 

森口氏は児童期と青年期を比べた場合、「青年期に起こる変化は非常に急激なもの」と言っています。そして、これは成長期ともいえる時期のため、アンドロゲンやエストロゲンのような性ホルモンの濃度が高まるという生物学的な変化によって起きると森口氏は言っています。児童期においてもこれらの性ホルモンは体内に存在していますが、その濃度は高くはありません。児童期後期から体内では着々と準備が進んでおり、急激に性ホルモンの濃度が高まってきます。

 

脳領域の視床下部から脳下垂体に指令が出て、性ホルモンが分泌されます。分泌された性ホルモンは体の様々な部位に送られますが、脳にも送られます。特に脳内の大脳辺縁系は感情に関わる脳領域に作用することが言われています。男性ホルモンは、扁桃体という脳領域に多く作用します。この脳領域は見聞きしたものが、安全であるか危険であるかを判断するときに関わります。たとえば、道にあらわれたのが子犬であれば、安全だと判断し、子犬に接近したりします。しかし、もし現れたのがイノシシであれば、危険だと察知し、身を守ろうとします。こういった判断にかかわる脳領域が青年期に大きく発達します。

 

一方で、女性ホルモンは記憶の中枢である海馬などの領域に作用します。たとえば、お店はどこにあるのか、自分の恋人が過去に自分に対してどういうことをしたのかです。いずれにしても、こういったように青年期にかけては、感情や記憶にかかわる脳の領域が変化していきます。これは実行機能に関しても例外ではありません。それは青年期において最も劇的な変化を遂げるのが、アクセルに関わる報酬系回路です。特に身体的な成獣が進んでいる青年ほど、報酬系の一部である腹側線条体などの領域が変化を遂げやすいのです。このことが時分をコントロールすることを難しくすると森口氏は言っています。

 

ライデン大学のクローネ博士らは、ギャンブルのようなテストにおいて、10歳から25歳の参加者を対象に、fMRIを用いて脳活動を調べました。そして、ハイリスクハイリターンとローリスクローリターンの選択肢において、ハイリスクハイリターンを選択したことによって、報酬が貰えた場合とそうではなかった場合の脳活動を比較したのです。

 

その結果、アクセルに関わる報酬系回路の活動の変化が見られました。10歳くらいの児童とくらべて、13~15歳程度の青年のほうが、報酬系回路の一部である腹側線条体の活動が強いことが示されたのです。つまり、小学生より中学生のほうがお金に執着したということが分かります。これは成人と青年と比べた場合も青年期、つまり中学生のほうが強く出たことが分かりました。これは中学生ごろにおいて、ブレーキとアクセルのバランスが悪いことが見えてくると森口氏は言っています。