教育
ペレグリーニは社会的スキルの中でコミュニケーションはほぼ間違いなく最も価値の高いものだと言っています。そのため、社会的スキルの発達においても仲間との遊びは非常に価値のある者だと言うのです。いくつかの研究において、子どもたちは大人と遊ぶときよりも、子ども同士で遊ぶときのほうがより洗練された言語を使うことが分かっているそうです。
例えば、ごっこ遊びでは「実際には存在していないものについて話し合わなければならないので、仲間に自分が言おうとしていることをうまく伝えられるように、込み入った言葉を使わなければならない」と言います。ところが相手が大人であると、大人の方が足りない部分を補ってしまうので、子どもは楽をするというのです。このことは保育の中でも、多々あります。大人はニュアンスで理解してしまうのに長けています。そのため、子どもの言葉を最後まで聞くのではなく、先回りしてしまうことすらあるのです。それでは、子どもは自分でどのように伝えるのがいいのか、ということを考えなくなります。私の園では異年齢で過ごしているので、年長児が年少の子どもたちに話しかけている姿を見ると、同年齢の子どもと話しているのでは、話し方も話す速さも違っているのが分かります。
このように遊びが子どもの社会化を助けるなら、遊びの不足は社会科的発達を妨げるはずです。それを示唆する研究が、ミシガン州イプランティの教育研究財団 ハイ・スコープ・エデュケーショナル・リサーチ・ファンデーションが1997年に発表した論文です。この論文では落ちこぼれになる可能性が非常に高い貧しい家庭の子どものうち、遊びを重視する保育園に通った子どもは、絶えず教師によって命令される幼稚園に通った子どもよりも、大きくなってから、より社会的に適応していることが示されました。教師から絶えず指示される幼稚園に通った子どもの1/3以上は、23歳までに重罪で逮捕されていたそうです。一方、遊びを重視する保育園にいた子どもたちの場合は、逮捕者は1/10に満たなかった。そのうえ、遊び重視の幼稚園に通った人のうち大人になってから停職処分を受けたのは7%未満なのに対して、直接教師から命令を受けていた人たちの1/4以上が停職処分を経験していたのです。
逮捕者や停職処分を受けた人がこれほどまでに数が違っているのか、そこには自由遊びが大きな要因であると言っています。実際のところは、子どもたちが主体的に考え、関わり合いながら自分たちで問題を解決したり、決めていくということが大切になってくるというのが分かります。そして、そこで培った非認知能力などの社会的スキルが社会に出たときに大きな力となり、子どもたちの人生に影響が出てくるというのです。そして、そういった力を得やすい環境というのが「遊び」であり、自由遊びは文字の通り、「自由」なだけに、より子どもたちの能力を発揮しやすい環境となるのでしょう。「自由」というのはなかなかに難しいものです。「なんでもいい」と言われるよりも「ある程度の条件」を出してもらった方が楽だったりします。「自由遊びは目的がない」とこれまでもありましたが、目的がなくできることというのは意外にも難しいものなのです。その目的を自分で見つけることや、価値を見出すということは確かにとても重要な経験になるということが分かります。
2020年8月15日 5:00 PM |
カテゴリー:教育, 社会 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
先日、大人にとっても「遊びが大事」と言っていました。しかし、私の言っていた趣味としておこなう「遊び」というのはここで言われる「自由遊び」ではありません。規則があり、一定のルールがあります。このことを子どもたちの遊びに当てはめて見ましょう。たとえば、子どもたちに「運動をする遊び」というとどういったことを思い浮かべるでしょうか。多くの人は、サッカーや野球などの遊びが出てくるのではないでしょうか。では、そこに「自由遊び」の要素はあるのでしょうか。こういったサッカーや野球などはルールがあります。専門家はこういったゲームや系統だった活動は「自由遊びを侵食している」と言っています。
こういった系統だった。規則に従うゲームは面白いし、学習体験としても大切なことが言われています。ミネソタ大学の教育心理学者ペレグリーニも、そうしたゲームは社会的なスキルや集団の団結力といったものを伸ばすだろうと言っています。しかし、その反面「ゲームには、あらかじめ決められ、従わなければならない、優先されるべきルールがある」と言っています。そして、「ところが遊びにはそうしたルールがないので、より創造的な反応ができる」というのです。たしかに、ゲームや競技といった系統だった活動というのはルールがある分、あらかじめ、それを守ることが求められます。一方で、自由遊びというはその場で起きることはイレギュラーなことも多く、その都度、ルールを作っていかなければいけないですし、ある意味で「フリースタイル」です。
そして、このような創造的な側面は、発達中の脳にとって、あらかじめ決められたルールに従うよりも良い刺激となるため。極めて重要だといいます。自由遊びでは子どもたちは想像力を使って新しい役割や活動を考え出すことが求められるのです。
子どもたちが自由に遊んでいる中では、さまざまな場面が見られます。たとえば、ままごとではそれぞれがそれぞれの役割を演じたり、子どもたちの戦い遊びなども、今の子どもたちを見ていると決して「ヒーローと悪者」という構造ではなく、「ヒーロー対ヒーロー」になっていたりと役割が混とんとしています。こういったように自由遊びにおける遊びのあり方の定義は非常に多岐に渡ります。
さらに自由遊びには、動物にみられる遊びに非常によく似ていることから、重要な進化的ルーツがあることが示唆されています。「Genesis of Animal Play(動物の遊びの起源)の著書 バーガード氏は、18年をかけて、動物を観察し、遊びをどう定義したらよいかを学びました。そこでは「反復的であること」「自発的であること」「ゆったりとした状態で始められること」が条件だと言っています。動物も子どもも、栄養を十分に与えられないときや、強いストレスにさらされているときには遊ばない。最も大事なことは、観察されている状況において、その活動に明白な機能があってはならないことだ。つまり、明らかな目的がないことが条件だというのです。
「自由遊び」とは「明らかな目的がない」ことが言えるのです。確かに子どもたちの遊びには「目的はない」ですね。「楽しいからやってみる」といったことが言えるのかもしれません。それに比べ、最近ではルールのある遊びをさせようとさせすぎているところもあるのかもしれません。現場を見ていると「柔軟性」というものがなかなかできないことが多いです。それは私自身も人のことは言えません。その部分の裏にはこういった系統だった遊びが進められており、「自由遊びは悪」といった風潮があるからなのかもしれません。
2020年8月12日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
「子どもは遊ぶことが仕事」とよく言われます。しかし、現在、塾や習い事で子どもたちの遊ぶ時間が少なくなってきています。では、子どもたちにとって「遊び」とはどういった意味があるのでしょうか。このことについて1966年アメリカ ヒューストンの精神科医のブラウン氏がテキサス州から顧問精神科医に選任されたことで、行われた調査であることが見えてきたのです。
それはブラウン氏は様々な試験的研究のために、テキサスで殺人罪で有罪判決を受けた受刑者26人から聞き取り調査を行った時のことです。受刑者の聞き取りから殺人者の大部分には共通する特徴があることが分かりました。彼らは家族から虐待を受け、子どものころに遊んだことがなかったということです。そのときブラウン氏はどちらの要素がより重要なのかはわからなかったのですが、42年にわって、約6000人に幼年期についての話を聞いて集めたデータからわかったのは、子どもの頃、ルールのない、空想に任せた遊びをしたことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいということでした。科学者はこうした遊びを「自由遊び」と呼んでいるが、社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要だというのです。このことは動物行動の研究により、遊びの恩恵が確認され、また、進化的にも重要であることが明らかにされている。根本的に遊びは、人間を含む動物が生き残りと繁殖のためのスキルを身につけるのを助けてくれるのです。
しかし、ほとんどの心理学者が、遊びには良い効果があり、その効果は成人期まで続くと考えているが、遊びを経験したことのない子どもにどの程度の害が生じるかについては必ずしも意見が一致していない。それはなぜか、それはたっぷり遊ぶ時間もなく成長する子どもというのは、過去にほとんどいなかったからです。ところが現在では、子どもがみな自由に遊びにいそしむとは言えなくなってきています。2005年にArchives of Pediatrics & Adolescent Medicine誌に発表された論文によると、子どもの自由遊びの時間は、1981年から1997年までに3/4に減ったと発表しています。子どもをいい大学に入れるため、両親は遊びの時間を削って、子どもにもっと系統だった活動をさせるようになっているというのです。いまでは、幼稚園から、子どもたちの放課後の時間は音楽やスポーツのおけいこ事で埋め尽くされているのです。
日本の幼稚園や保育園でもここまで極端ではないにしても、習い事というのは昔からありましたし、最近ではその種類は多様になってきています。幼児期からスイミングなどを習っている子どもも少なくはありません。しかし、心理学の観点から見ると遊びの時間こそ、想像性や協調性を伸ばすことになるのにもったいないことと捉えられるようなのです。そして、このことはブラウン氏が研究してく中でよりしっかりとした裏付けがされてくるだけではなく、より深刻な結果が待っているのではないかと警鐘を鳴らしています。
2020年8月10日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
前回、子どもの言葉の習得は、遺伝的要素もあるということを紹介することがありました。しかし、それは遺伝的な要素だけではなく、環境による相互作用によっても習得は大きく関わり、一概に遺伝的な要素だけとは言い切れないということ言われているようです。
では、環境と言葉の発達とはどのような関係性があり、どのように影響してくるのでしょうか。そのうちの一つとして言われるのが、「養育環境と発達の遅れ」です。これは1800年に南フランスのアヴァロンで、4-5歳のときに森に遺棄され、自力で生き延び11-12歳で発見された野生児は叫び声をあげることはあったが「牛乳」という言葉を何とか発生した程度で会話は不可能のままであったと報告されています。
また、孤児院・乳児院に収容された子どもたちが示すホスピタリズム(施設病)では、身体発達の遅れ、言語・知能の発達の遅れ、習癖、情緒的な障がい、対人関係の希薄さなどの症状が現れたといいます。このことにおいて、重要な報告がルーマニアの孤児院の研究で起きています。これは2009年の報告で、この報告で、施設生活が幼児の正常な脳の発達を阻害することが明らかになりました。当時、ルーマニアはチャウセスク政権で、国力のせいちょうのために1966年に中絶が禁止され、子どもが5人以下の家族に税金を課したために多くの家庭が養育不能に陥り、170,000人もの子どもが捨て子となりました。その後、革命が起こり、1989年にこの政策を出したチャウセスクは処刑されることになります。
その際、アメリカの研究チームが2000年に研究を開始し、生後すぐに捨てられ施設に収容されている子どもを、ずっと施設で養育された子ども、養子に出された子どもの2群にランダムに割り当て、捨てられずに生みの親と地域で生育している子どもと合わせて3群の子どもの評価を行いました。そこで、①捨てられて施設で生活した子ども(施設児) ②里親の下で生活した子ども(里親児) ③捨て子ではなく地域で育っている子ども(家庭養育児)の3群の42カ月、54カ月時点での認知発達で調べました。すると、施設児の認知発達の遅れが非常に大きいことが分かってきました。そして、精神的な障害の発達率は54ヶ月の時点の評価で、施設にいたことがある子どもの55%が精神的な障害があると診断されたのに対し、家庭養育児の出現率は22%でした。そのうえ、施設にいた子どもは情緒的な障害(不安や抑うつ障害)や行動障害(ADHD)反抗挑戦性障害、行為障害、が地域で育った家庭養育児よりも高く出現していました。
また、これらの障害は施設児、里親児ともに出現しています。里子に出されることにより発達は改善することはあるのですが、里親に育てられた子どもにも、対人関係の困難や、注意や情動調整を含む実行機能の困難はあったのです。
では、言葉については、どうなのでしょうか。
2020年8月4日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
森口氏は思考の実行機能と感情の実行機能が、具体的に子どものどのような行動や能力に影響を与えるかが検討されているといいます。そして、その中でも効果が大きいのが、子どもの就学準備性に与える影響です。就学準備性とは、幼稚園や保育園に通う幼児が、小学校への入学するためのスキルを身につけている状態かどうかということです。最近では「小1プロブレム」などの言葉がある通り、幼稚園や保育園から小学校への移行は子どもにとって大きな問題となります。そのため、幼児期に小学校に入るための準備が必要になってきます。
そこで森口氏は就学準備性には大きく分けて2つあると言っています。1つは学力の準備性です。小学校に入ると、国語や算数などの教科を本格的に習うことになります。それらの教科を学ぶためには、基本的な文字や数の知識が必要となってきます。これは平仮名の読み書きや、数を数える能力、簡単な足し算や引き算などが該当します。数多くの研究から、幼児期に思考の実行機能が高い子どもは、就学前後の学力準備性が高いことが報告されているそうです。つまり、思考の実行機能が高いことは、子どもたちの小学校の生活に大きく影響するということです。特に算数やその基礎となる知識の獲得に大きな影響力を持つといいます。
さらに思考の実行機能は、社会的・感情的準備性にも関わることが示されています。これはプレゼントをもらったらどのような気持ちになるのかなどのように相手の気持ちを正しく理解する能力や、困った相手を助けるような行動が含まれます。これらの能力は学校生活において、クラスメートや教師とうまく付き合っていくために必須になってきます。思考の実行機能が高い子どもは、社会的・感情的な準備性も高いのです。
では、感情の実行機能についてはどういったことが言えるでしょうか。森口氏は例えば、感情の実行機能が低い子どもは、怒りやすく、クラスメートとトラブルになりやすかったり、友だちとの共同作業が苦手で孤立しやすかったりするといいます。
このように実行機能は学校生活に大きな影響を与えるということが言えるようです。その中でも、思考の実行機能は学力とも関係があるということも言われており、なおのこと、実行機能の重要性には注目が集まっています。そのため、乳幼児教育におけるこれらの意味合いはしっかりと考えておかなければいけません。確かに、マシュマロテストの対象年齢は4歳児であり、乳幼児教育の期間に入る年代です。そのため、保育所保育指針や幼稚園教育要領には以前の子どもとの適切の関わりに言われていた「応答的かかわり」という言葉が多く出てきます。この関わり自体が小学校に関わると思うと、保育の必要性も大きく見直されていくかもしれません。何においても、保育は「何かを作る」ことや「何かをする」ということばかりが、取り上げられがちですが、それ以上に毎日の何気ない関わりや生活にも大きな意味があるということをよく考えていなければいけないということをよりかんじます。
2020年8月1日 5:00 PM |
カテゴリー:乳幼児教育, 教育 |
投稿者名:Tomoki Murahashi
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