教育

養育環境の影響

前回、子どもの言葉の習得は、遺伝的要素もあるということを紹介することがありました。しかし、それは遺伝的な要素だけではなく、環境による相互作用によっても習得は大きく関わり、一概に遺伝的な要素だけとは言い切れないということ言われているようです。

 

では、環境と言葉の発達とはどのような関係性があり、どのように影響してくるのでしょうか。そのうちの一つとして言われるのが、「養育環境と発達の遅れ」です。これは1800年に南フランスのアヴァロンで、4-5歳のときに森に遺棄され、自力で生き延び11-12歳で発見された野生児は叫び声をあげることはあったが「牛乳」という言葉を何とか発生した程度で会話は不可能のままであったと報告されています。

 

また、孤児院・乳児院に収容された子どもたちが示すホスピタリズム(施設病)では、身体発達の遅れ、言語・知能の発達の遅れ、習癖、情緒的な障がい、対人関係の希薄さなどの症状が現れたといいます。このことにおいて、重要な報告がルーマニアの孤児院の研究で起きています。これは2009年の報告で、この報告で、施設生活が幼児の正常な脳の発達を阻害することが明らかになりました。当時、ルーマニアはチャウセスク政権で、国力のせいちょうのために1966年に中絶が禁止され、子どもが5人以下の家族に税金を課したために多くの家庭が養育不能に陥り、170,000人もの子どもが捨て子となりました。その後、革命が起こり、1989年にこの政策を出したチャウセスクは処刑されることになります。

 

その際、アメリカの研究チームが2000年に研究を開始し、生後すぐに捨てられ施設に収容されている子どもを、ずっと施設で養育された子ども、養子に出された子どもの2群にランダムに割り当て、捨てられずに生みの親と地域で生育している子どもと合わせて3群の子どもの評価を行いました。そこで、①捨てられて施設で生活した子ども(施設児) ②里親の下で生活した子ども(里親児) ③捨て子ではなく地域で育っている子ども(家庭養育児)の3群の42カ月、54カ月時点での認知発達で調べました。すると、施設児の認知発達の遅れが非常に大きいことが分かってきました。そして、精神的な障害の発達率は54ヶ月の時点の評価で、施設にいたことがある子どもの55%が精神的な障害があると診断されたのに対し、家庭養育児の出現率は22%でした。そのうえ、施設にいた子どもは情緒的な障害(不安や抑うつ障害)や行動障害(ADHD)反抗挑戦性障害、行為障害、が地域で育った家庭養育児よりも高く出現していました。

 

また、これらの障害は施設児、里親児ともに出現しています。里子に出されることにより発達は改善することはあるのですが、里親に育てられた子どもにも、対人関係の困難や、注意や情動調整を含む実行機能の困難はあったのです。

 

では、言葉については、どうなのでしょうか。

小学校に向けて

森口氏は思考の実行機能と感情の実行機能が、具体的に子どものどのような行動や能力に影響を与えるかが検討されているといいます。そして、その中でも効果が大きいのが、子どもの就学準備性に与える影響です。就学準備性とは、幼稚園や保育園に通う幼児が、小学校への入学するためのスキルを身につけている状態かどうかということです。最近では「小1プロブレム」などの言葉がある通り、幼稚園や保育園から小学校への移行は子どもにとって大きな問題となります。そのため、幼児期に小学校に入るための準備が必要になってきます。

 

そこで森口氏は就学準備性には大きく分けて2つあると言っています。1つは学力の準備性です。小学校に入ると、国語や算数などの教科を本格的に習うことになります。それらの教科を学ぶためには、基本的な文字や数の知識が必要となってきます。これは平仮名の読み書きや、数を数える能力、簡単な足し算や引き算などが該当します。数多くの研究から、幼児期に思考の実行機能が高い子どもは、就学前後の学力準備性が高いことが報告されているそうです。つまり、思考の実行機能が高いことは、子どもたちの小学校の生活に大きく影響するということです。特に算数やその基礎となる知識の獲得に大きな影響力を持つといいます。

 

さらに思考の実行機能は、社会的・感情的準備性にも関わることが示されています。これはプレゼントをもらったらどのような気持ちになるのかなどのように相手の気持ちを正しく理解する能力や、困った相手を助けるような行動が含まれます。これらの能力は学校生活において、クラスメートや教師とうまく付き合っていくために必須になってきます。思考の実行機能が高い子どもは、社会的・感情的な準備性も高いのです。

 

では、感情の実行機能についてはどういったことが言えるでしょうか。森口氏は例えば、感情の実行機能が低い子どもは、怒りやすく、クラスメートとトラブルになりやすかったり、友だちとの共同作業が苦手で孤立しやすかったりするといいます。

 

このように実行機能は学校生活に大きな影響を与えるということが言えるようです。その中でも、思考の実行機能は学力とも関係があるということも言われており、なおのこと、実行機能の重要性には注目が集まっています。そのため、乳幼児教育におけるこれらの意味合いはしっかりと考えておかなければいけません。確かに、マシュマロテストの対象年齢は4歳児であり、乳幼児教育の期間に入る年代です。そのため、保育所保育指針や幼稚園教育要領には以前の子どもとの適切の関わりに言われていた「応答的かかわり」という言葉が多く出てきます。この関わり自体が小学校に関わると思うと、保育の必要性も大きく見直されていくかもしれません。何においても、保育は「何かを作る」ことや「何かをする」ということばかりが、取り上げられがちですが、それ以上に毎日の何気ない関わりや生活にも大きな意味があるということをよく考えていなければいけないということをよりかんじます。

実行機能は本当に大切なのか?

これまで、2つの実行機能について紹介していました。一つは将来の目標のために、欲求を制御する感情の実行機能、もう一つは目標を保持しながら、頭を柔軟に切り替える、思考の

実行機能です。この二つの中で、世界中の研究者が注目しているのは思考の実行機能だそうです。なぜなら、この思考の実行機能は、子育てやトレーニングなどで、向上させやすいところがあるからであると森口氏は言っています。逆に感情の実行機能はその場の状況、子どもの気分や好みに影響されてしまうと森口氏は言っています。昼ご飯を食べる前と食べた後では、マシュマロテストに対するやる気も大きくなるというのです。確かに、お腹がすいていたりすると、大人でもイライラしたりします。こういったその状況での影響を感情の実行機能は大きく受けてしまうのでしょうね。

 

また、目の前のマシュマロを食べること自体、決して間違ったことではないと、森口氏は言います。家庭の経済状態が良くない場合、目の前にあるお菓子を食べることと、食べたい気持ちを抑えてお菓子が2倍になるのを期待することと、どちらの方がほうがいい選択でしょうかというのです。もしかしたら、せっかく2倍になると思って欲求をコントロールしたのに、誰かにお菓子を食べられてしまうということもあるのではないか。つまり、マシュマロテストが有効なのは、がんばったら報われることが保証されている状況においてだけなのです。これは非常に大切なことです。そもそも、相手が信頼できる人でなければ、我慢する必要がないのです。これによって見え方が変わってきます。仮に待てる子どもだったとしても、相手が信用できない人であれば、先に食べてしまった方がいい判断をするかもしれないからです。一方で、思考の実行機能については、たとえば頭を切り替えられることと、切り替えられないことを比べた場合、前者の方が大事であることは間違いないといます。そういった意味で、思考の実行機能には安定感があり、その結果として、子育てや訓練の効果が比較的でやすいということが理由として挙げられるのです。

 

そして、思考の実行機能が注目されている2つ目の理由は小学校以降の学校生活への影響力が大きいと考えられている点です。この点に関してはダニーデンやイギリスの縦断研究から、実行機能は子どもの健康や経済状態に影響を与えることが示されています。しかし、どのような実行機能が、子どもの様々な指標にどのように影響を与えるかが明確ではないのです。実際のところ、実行機能が高いと言われた子どもが、大人になったときに経済状態が良いという結果が事実だとしても、そこに因果関係があるかどうかをはっきりとさせることは難しいのです。

 

「子どものときに実行機能が高いから、大人になってから経済状態が良い」(因果関係)と「子どもの頃に実行機能が高かった人が、大人になってからたまたま経済状態が良い」(相関関係)では大違いなのです。

 

そこで最近は、思考の実行機能や感情の実行機能が、具体的に子どものどのような行動や能力に影響を与えるのかが検討されています。

自分理解

どうやら、大人が実行機能を鍛えるというのは賛否両論あるようです。また、実行機能を鍛えることができたとしても、その効果は継続的なものであるというよりは、一時的なものであり、訓練をやめたらその効果はなくなっていくようです。森口氏は大人においては、実行機能を鍛えるよりも、実行機能がどのような状況下でうまく働かなくなるのかを理解し、ここぞというときに実行機能がしっかりと働くように準備することが大事だと言っています。

 

では、それはどのようにしていくことなのでしょうか。

まず、感情の実行機能については、「誘惑をできるだけ避ける」ことです。それはマシュマロテストに参加した子どもがマシュマロを見ないことで誘惑に耐えることができたように、ビールやタバコ、性的刺激などの誘惑をできるだけ目にしないようにすることが大切だと言います。自分が控えているときにはそういったものを目にすると、アクセルが全開になってしまい、ブレーキが利かなくなってしまうのです。そのため、そういったものが目に入らない環境を作ることが大切になってきます。

 

次に、感情の実行機能にも、思考の実行機能にも言えることですが、「ストレス時にはブレーキやハンドルの機能が著しく低下してしまう」ということです。仕事で疲れているとき、人間関係でトラブルになったとき、感情や思考をコントロールすることができないといいます。そのため、強いストレスを感じているときは、休息が必要になってくるのです。また、睡眠不足や不安な時、抑うつ気味なときのように、精神的に健康ではない時にも実行機能はうまく働きません。このようなときには大事な決定をすることは避けたほうが無難なのです。ほかにも、実行機能を使った直後には実行機能はうまく働かないということも言えるのだそうです。

 

森口氏が言うには、なによりも「大事な時には、誘惑のある状況に身を置かないことが大事だ」と言っています。子どもにおいても、大人においても、誘惑のある状況から身を離すすべを持つことが大切なことのなのですね。これにはある意味で自分をしっかりと認識する客観的な能力が必要になってきます。大人になってからでも、ある程度は鍛えることができるということが分かってきましたが、しかし、それを身につけるというのはなかなか困難なことのようです。であればこそ、乳幼児の頃から、友だちとの関わりや大人との関わり、ストレスの少ない環境の中で、感情をコントロールする力を養っておくことが必要になってきます。そして、この力を社会に出たときにしっかりと生かせるよう現場では考えていく必要があるのですね。

鍛える

実行機能が子どもにおいて、重要であり、子ども期において成長していくということが分かってきました。しかし、実行機能を感情をコントロールすることや切り替えることは大人にとっても、必要なことです。では、実行機能は大人になると鍛えることはできないのでしょうか。それとも、鍛えることができるのでしょうか。森口氏はこのことに対して、大人を対象とした研究も進められていると話しています。中には、実行機能は筋肉のようなもので、使えば使うほど、鍛えられると考える研究者もいます。実際のところ、訓練を施すことで、実行機能が伸びていることを示す研究は多数報告されています。

 

しかし、森口氏はこのような個々の研究を基に実行機能が鍛えられると判断するのは危険だと言っています。ザールラント大学のフリーゼ博士らは、33の実行機能に関わる研究結果をメタ分析しました。この分析には、感情の実行機能とかかわる研究が多く含まれています。この研究では、利き腕ではない手を使って日常生活を送ること、すぐに使いそうになるスラングを使わないことなどの訓練が含まれています。この研究の結果、大人の自分をコントロールする能力は少しですが、鍛えられることが示されています。特に、女性よりも男性で効果が強いようです。それは男性の方が女性よりも衝動的であるため、訓練の余地があるのではないかと述べています。

 

つぎに思考の実行機能についてはどうでしょうか。こちらについては、さまざまなメタ分析がなされています。その中で、森口氏はシドニー大学のバーニー博士らの分析は、48の思考の実行機能の研究をメタ分析しました。ここでの研究は、主にコンピュータを用いた反復訓練で高齢の大人の実行機能を鍛えようとしています。その結果、こちらもわずかながら、訓練の効果が見られています。また、前回紹介した運動とコンピュータの反復訓練ではコンピュータを使った訓練のほうが有効であることも報告されています。これ以外にも、思考の実行機能で必須となる目標の保持を鍛える研究も多数されています。これも同じくコンピュータを使った訓練で、わずかではありますが思考の実行機能を鍛えることができるようです。

 

これらの結果から見ても、大人になってからでも実行機能を鍛えることは理論上可能です。しかし、これらの研究に問題がないわけではありませんと森口氏は言っています。たとえば、訓練をすることで実行機能が向上したとしても、その訓練を継続しない限りはその効果は一時的なもので、3か月後などに再調査すると、訓練の効果が無くなっているというのです。実行機能は鍛え続けることが大切なのです。少し訓練したくらいでは、その効果は長続きしないのです。

 

また、実験室の中で、実行機能が鍛えられるように思えたとしても、日常生活で必要とされる問題にはあまり役に立たないことも知られています。しかし、このことに関しては研究者の間でも、賛否が分かれているようです。2014年に、心理学者や神経科学者らが、事項機能を含む認知機能の訓練は、訓練されたテスト以外にはあまり応用できない、つまり効果がないという声明を発表しました。ところが面白いことに、同じ2014年に別の研究者とセラピストは、認知機能の訓練は訓練されたテスト以外にも効果があるという声明を発表したのです。