教育

早生まれは不利?

2020年8月18日のyahooニュースに「早生まれの不利は大人まで続く」という研究発表が紹介されていました。これまで早生まれつまり「1月~3月生まれ」の子どもたちは学校生活では損をすると言われてきました。これは保育をしていれば特に感じるのですが、この「月齢」は特に乳幼児期は大きく差がでます。では、小学校ではどうかというと記事には「幼少期では生まれた月の違いによる成長差は大きく、学年内で“最年長”の4月生まれの子どもは相対的に体格がよく、勉強やスポーツに秀で、リーダー的な存在になりやすい一方で、“最年少”の3月生まれは何事にも遅れがちになる」と書かれています。乳幼児期においても、児童期においてもどうやらこの「月齢」というのは何かしらの影響が出ているということが分かります。

 

そして、ここからが重要です。一般的にこうした差は小学校までの間だけで、年齢を重ねることなくなると言われていました。しかし、東京大学大学院経済研究科の山口慎太郎教授は

7月11日に公表した論文で、生まれ月による差は想像以上に長く続くとする研究結果を発表しました。

 

「早生まれの不利は、高校入試にもあらわれています。3月生まれと4月生まれで入学した高校の偏差値を比べると4.5も違います。大学の進学率も早生まれのほうが低く、これは日本に限らず、アメリカやカナダでも同じ傾向があります。さらに早生まれの不利は大人になっても消えず、早生まれの人は30~34歳の所得が4%低くなるという研究報告が出ています。」と書かれています。その影響は30歳の頃にまで影響してくるというのは衝撃です。

 

なぜそんなことが起きるのでしょうか。山口教授によると、そのキーワードになるのは「認知能力」と「非認知能力」と話しています。これはこれまでもこのブログの中で取り上げてきた内容です。認知能力は、IQや学力テストなどの頭の良さを指します。それに対し、非認知能力は「最後までやり抜く力」や「感情をコントロールする自制心」「ルールや約束を守ろうとする心」「他人と良い関係を築く力」など、社会性・情緒・内面の能力を指すとここでは紹介されています。

 

これまでも、宮口幸治氏の著書「ケーキの切れない非行少年たち」では軽度発達障害にも入らない境界知能の少年たちがこれにあたっているということが言われており、非認知能力である実行機能の低さに問題があるということを言っていました。今回は非行少年ではなく、一般的な子どもたちの実態が現実的にあることが示されています。つまり、「早生まれ」の子どもたちを大きく見るとかなりの人数がそこに該当していきます。このことを考えると日本の年度の考え方も大きく影響しているのかもしれません。

 

では、実態的に早生まれの子どもはなぜ、遅れることが多いのでしょうか。

遊びと質

私には趣味があります。その趣味自体は大阪の園に戻ってきたときから始めたもので、始まりは非常にシンプルに「誘われた」ことがきかっけです。それまで運動ということをそれほど、真剣にやってきたこともなく、「打ち込む」というほどやっていなかったのですが、どうやらその趣味は私の性にあっていたようで、今で6年くらいなるほど続いています。

 

これまで「遊び」ということを取り上げていましたが、大人になっても「遊ぶ」ということの大事さは身に染みて今感じているところです。職場ではいろんなことが起きます。それこそ、どうにもならない問題から、長期的に考えなければいけないパターン、逆に短期的に考えなければいけないパターン、自分自身の間違いなど、その問題は多種多様であり、仕事にはつきものです。

 

おそらく、一日一日そのことを考えることも多くあり、ネガティブに考えていくとずぶずぶと深みにはまっていくことも多くあるように思います。以前、youtubeで東進ハイスクールの林修氏がモンスターペアレントに話をするテレビ番組が紹介されていました。その時に話していたことですが、「有名な学校の教師とそうでもない学校の教師には大きな違いがある。有名な学校の教師は大体3時には帰って、その後の時間は自分の趣味や余暇、教材研究につかう。そして、その場で得た知識や活動を通して魅力が増していく、魅力が増していくと生徒もその先生から学ぶことが楽しくなってくる。というように、ポジティブな展開になっていく。一方で、そうでもない学校の教師はなかなか帰れない。」と言っていました。

 

そして、「帰れない理由は、生徒指導に多くの時間を取られるからだ。」と言っていました。親の苦情や生徒の素行など、今学校で教師が行っている業務は非常に多岐に渡ると言っています。そこに時間が大きく使われているため、通常の教材研究に時間が割けなかったり、自分の趣味に時間がさけなかったりするそうです。結果として、学校の授業自体が停滞したものになるそうです。

 

どこかで、趣味をすることや何か新しいことを考える時間があることは非常に重要なことのようです。ニューズ番組においても、今の時代、学校の教師が行わなければいけない職務というものは非常に多いということが言われています。そして、そのために肝心の授業への準備の時間を削らなければいけないとも言われています。まだ、私はこういった趣味の時間を持つことができていますが、それができないとなると、もしかしたら、いまのような働きかたはできていないかもしれません。

 

働き方改革ということが叫ばれていますが、それはただ単なる「働き方を見直す」ことではなく、「働く意味」を考えなければいけないのだろうと思います。教師や保育士は「人を作る」「人材を作る」仕事であると思っています。そのために、それを伝える教師や保育士こそ、「にんげん」を知る必要もあるように感じます。そして、子どもたちにとって、「遊ぶ」ということは罪悪のように言われるときがありますが、その必要性を考えるとその意味合いもしっかりとどういった意味があるのかを考えていかなければいけないように思います。幸い、今の時代、これまでブログで紹介してきたように、さまざまな研究がいたるところで行われており、その内容を知ることもあります。こういった研究を知ることでより「人間」を知る機会が得やすいように思います。こういった情報を捉え、保育や教育を考えていきたいですね。

創造的思考

子どもたちの自由遊びはストレスの緩和と社会的スキルに影響を与えるのが分かってきました。ほかにも「遊ぶ」というのは創造的思考や問題解決能力にもつながるということが分かってきました。

 

これは1973年 Developmental Psychology誌に掲載された研究ですが、研究者は90人の就学前児童を3つのグループに分けました。そして、①ペーパータオルの山やドライバー、木の板、クリップの山といった日用品で自由に遊ばせるグループ ②その4種類の品物を使用する実験者の真似をさせるグループ ③テーブルに座って、何も見ずに自由に絵をかかせたグループ とそれぞれ違った遊びをさせました。10分ほどこの活動をした直後、これらの品物の一つを指して、それをどう使うかを子どもたちに考えてもらいました。

 

すると、品物で遊んだ子どもは平均すると他の2つのグループの子どもの倍も一風変わった創造的な使い方を挙げました。つまり、自由に遊ぶことで、子どもたちの創造的思考が伸びたのではないかというのです。

 

ほかにも戦闘ごっこも、問題解決能力を育てると言っています。1980年にペレグリーニが発表した論文によると、小学校の男児のうち、大暴れして遊んだこの方が、社会的な問題解決のテストでの得点が高かったのです。そのテストというのが、研究者が子どもたちに対して、「仲間の子どもからおもちゃを手に入れようとする子どもの写真5枚と、母親に叱られないようにしている子どもの写真5枚を被験者の子どもたちに見せ、それから被験者の子どもたちに、それぞれの社会的問題を解決できる方法をなるべくたくさん挙げてもらった。そして、その結果を戦略バラエティに基づいてスコアを決めたところ、戦闘ごっこをした子どもはスコアが高い傾向があったのです。

 

オモチャを自由に使うことや戦闘ごっこなどを子どもたちが自由に遊びながら進めていくことで、創造的思考にも大きな影響が出ていたのですね。そう考えると、普段現場で起きている子どもたちの遊びにはそれぞれ意味があるように思えてきてなりません。本当に無駄な活動をしていないだろうとも思います。自分が子ども時代においても、戦闘ごっこのようなものをしていました。そこでは特に創造的な思考を駆使した覚えは全くもって感じてはいませんでしたが、後々のひらめき力や創造的な思考というのはその時に養われていたのかもしれません。「遊ぶ」というのは一見単純に見えますが、その裏には子どもたちが社会に出るときに必要となる力を同時に遊びという活動を通して、培っているのですね。

 

では、逆に遊びが不足すると問題解決スキルの発達がさまたげられるのでしょうか。

遊びとストレス 2

遊びがストレスや不安を軽減するということが分かってきましたが、それ以上に興味深いのは仲間と遊んだ子どもより、一人で遊んだ子どものほうが、より一層落ち着いたということです。そして、一人で遊んだ子どもは空想的な遊びを通して、子どもは幻想を築きあげることができ、それが困難な状況に対処するのに役立ったのだろうと研究チームは推測しています。空想的遊びはひとりでいるときに最もうまくできるのです。

 

空想遊びは子どもたちの発達にとって大切な意味があるのですね。ここでは「空想遊びは幻想を築き上げることができ、それが困難な状況に対処するのに役立った」と研究チームが推測したとあります。子どもたちは様々な部分で見立て遊びをすることがありますし、空想上の遊びをします。子どもたちの遊びの様子を見ていると、まるで将来自分が大人になったときの予行練習をしているように感じます。以前にも、ブログに書きましたが、ごっこ遊びやままごと遊びなどは役割を交代したり、時に負けたりと、人との関わりの中で起きることですので葛藤も同時におきます。そのことが大切なのと同時に、今回のように一人で行う空想的遊びはそういった葛藤は起きません。その中で自分なりに想像力を働かせ、自分の思うように遊ぶということは確かにストレスを緩和することにも繋がるのだろうと思います。

 

この遊びがストレスを緩和するいうのはラットを使った動物実験でも実証されています。2008年にゲティスバーグ大学の神経学者シヴィ氏の研究で複数のラットを一つの箱にいれて、猫がつけていた首輪を箱の中にいれる実験をしました。はじめ、その匂いを感じ、ラットが不安を示したのですが、その後、箱を清掃し、ラットを戻しても、ラットは不安を示しました。おそらく、箱といった場所と猫を関連付けたのでしょう。ところが、その箱に不安を感じているラットと不安を感じていないラットを入れると、追いかけっこしたり、転げまわったり、じゃれあったりと遊び始めました。そして、不安を感じているラットはリラックスし、穏やかになったのです。つまり、遊びがラットの不安を軽減させるのを助けたと思われるのです。

 

どの動物においても、「遊び」という活動は大きく影響しているのだということがわかります。これはマシュマロテストと同様の意味合いもあるのかもしれません。つまり、「遊ぶ」という活動を行うことで、「気を紛らわせている」のでしょう。気を紛らわせることで、目の前にあるストレスを緩和し、実行機能を使って切り替えているのだろうと推測できます。なににおいても、どうやらストレスと遊びというは大きな関連があるのですね。

遊びとストレス

遊ばないと社会的スキルが身につかないという考えを裏付ける動物実験の結果があります。1999年に行った研究で、ラットを生後4~5週の最もよく遊ぶ発達時期に2週間隔離しておき、その後に他のラットといっしょにすると、同時期に隔離されなかったラットと比べて社会的な活動が非常に少なかったといいます。2002年の別の研究では幼若時に隔離して育てられた雄のラットから繰り返し攻撃を受けても、正常な回避行動を示さないことが分かった。これが遊びの欠如によっておこった原因が、社会的隔離か、社会的問題かはまだはっきりとはしていないそうです。

 

別の研究では、遊びが、情動反応と社会的学習に関わる「高位の」脳領域での神経の発達を促すことが示されています。戦闘ごっこをすると、新しいニューロンの成長を促進する脳由来神経栄養因子(BDNF)というたんぱく質がそうした領域で放出されることが2003年に報告された。対照群として13匹のラットを3.5日間自由に仲間と遊ばせる一方、同じ期間、別の14匹のラットを1匹ずつ隔離しておいた。ラットの脳を調べたところ、遊ばせたラットに比べて、はるかに高い濃度のBDNFを含んでいた。この論文の共著者であるワシントン州立大学の神経科学者パンクセップは「遊びには脳の行為の領域を社会化する重要な作用があると考えられる」といっています。

 

さらに心の健康にも遊びが極めて重要であることを示す研究結果がある。おそらく、子どもは遊びによって不安やストレスに対処できるようになるのだろう。1984年に発表された研究では、3歳児と4歳児の計74人を対象に、幼稚園の入園初日の不安の度合いを調べました。不安レベルを測る指標として、駄々をこねる、めそめそ泣く、懇願するといった子どもたちの行動と、手のひらの汗の量を用いた。研究者の観察に基づき、子どもたちひとりひとりについて、不安状態にあるかないかを評価した後、74人の子どもを無作為に4つのグループに分けた。

 

半分の子どもたちはオモチャでいっぱいの部屋に連れて行かれ、一人で、あるいは仲間の子どもたちと15分間遊んだ。残り半分は、一人または複数の子どもと一緒に小さなテーブルに座らせ、15分間教師が語る話をきかせました。その後、子どもたちの不安レベルを再び評価した。すると、もともと不安だった子どものうち、遊んだほうの子どもは、話を聞いた子どもに比べて不安レベルが半分以下に下がった(初めから不安を感じていなかった子どもの不安レベルはほぼ同じままだった。)と言います。

 

子どもたちは遊んでいる中で、さまざまな影響を受けているのですね。あそびは大人にとってもストレス解消になるというのはこれまでも話してきましたが、解消するだけではなく、不安レベルに対する耐性のつくということも分かってきました。いかに子どもが自由に発想し、遊ぶことが子ども期には必要でそういった時間を確保すること、保障することが大きな影響をあたえるのかということが分かります。また、この実験において、非常に面白いことが分かってきました。それは遊ぶための関係性と遊びの種類です。