社会

育児と高齢者

少子高齢化は今の社会において、かなり大きな問題になっています。子どもが少なくなってくるというのは非常に問題です。それは社会を維持できなくなってくるからです。増えていく高齢者、その人たちを支えるためにある年金制度、今でもこれから社会に出ていく若者たちは年金がもらえるのだろうかということが先を見た問題として挙がってきていますが、その一方で、高齢者が孫と関わる機会というものに大きな意味があるということも言われています。このことについて「News Week 3月号」に紹介されていました。

 

まず、これまでの祖父母の役割といえば、家族の「長老」としての役割です。一族の歴史を語り、処世術を教え、小さな子に楽しい時間を過ごさせ、時には内緒ばなしを聞いてあげる、一方で、孫の親(自分の子ども)に対しては頼れる相談役となり、子育てを応援するといった役割です。それと同時に、孫の世話をするということは、乳幼児のケアから育児全般にわたって知識を更新しなければいけないのです。安全、しつけ、栄養、テレビやゲームの制限などなど。今の時代はこれまでの時代より、社会の変化も大きく、孫と関わることにおいても学ぶことも多ければ、アップデートしなければいけない部分も多くあるといいます。

 

しかし、医学の進歩や生活スタイルが昔とは異なり、今の時代の高齢者は元気な方が多いです。そのため、これらすべての役を元気にこなせる賢い高齢世代が多くこれは人類史上初の時代ではないだろうかと言われています。今の高齢者は孫とサッカーに興じれる人もいれば、たいていは親世代より裕福だから、我が子の住宅購入を援助することもできる。孫のピアノ教室代も払えるかもしれない。今の時代だと離れていても、インターネット通信アプリを使い、子どもたちとリアルタイムにつながることにも繋がることすらできます。

 

初めて孫を持つ年齢は年々上昇しているが、退職年齢を過ぎても仕事を続ける人が増える一方で、単身家庭の子育てを献身的に支える人も増えています。とはいえ、祖父母の立場は千差万別で、フルタイムで孫の面倒を見る人もいれば、すっかり疎遠になって孫と顔を併せない人もいるのです。

 

保育の現場を見ていても、お迎えは保護者ではなく祖父母を頼る保護者は多くいます。女性の社会進出が進められていく中で、祖父母の協力というのは大きな余裕とゆとりを家庭にもたらしてくれているのを感じます。そして、これは保護者側だけではないようです。孫の世話をすることは、祖父母世代にとっても、孫との交流は非常に意味のあることが分かってきているそうです。

非行少年と脳機能障害

米国のエイドリアン・レインらは、殺人者に脳PET(SPECTと同様の脳血流断層撮影)を行い、脳血流量を調査した結果、殺人者の前頭葉機能が低下(特に前頭前皮質、それに隣接する上部頭頂回、左縁上回、脳梁)していること、また偏桃体、視床、内側側頭葉、において東半球の機能低下があったことを報告しています。米国ではこれらの脳機能の異常所見が責任能力の減免の根拠となることもあり得るのです。

 

国内に目を向けると、福島章が、精神鑑定で行った殺人犯48例の脳MRIや脳CT検査(コンピューター断層撮影)などの画像診断の結果をまとめ、半数の24名に脳の質的異常や量的異常などの異常所見を確認しました。さらに被害者が2人以上の大量殺人にかぎっては

62%に異常所見を認めたのです。

 

宮口氏もこれまで殺人事件や強盗致傷事件の司法精神鑑定でも、脳CTスキャン検査にて明白に前頭側頭葉の委縮、脳波検査にて前頭葉の異常波が認められたものがありました。しかし、日本では脳機能障害が裁判の焦点となる事例は、まだまだ少ないのが現状だそうです。当然のことながら、たとえ犯人に脳機能の異常があったにせよ、重大な事件に対しては慎重な議論が必要なことなのですが、これら脳機能障害に対応した何らかの認知機能へのトレーニングは、矯正現場でも必要であることは間違いないですし、それは再犯率を下げるうえで重要な意味を持つものと思われると宮口氏は言っています。

 

また、こういった認知機能や脳機能において、性犯罪者においても見解は統一されてはいませんがいくつかの報告がされています。様々な研究結果がある一方で、宮口氏らが行った研究では知的障害を持った性非行少年、知的障害を持った性以外の非行を行った少年、知的障害を持たない性非行少年、知的障害を持たない性以外の非行を行った少年、の4パターンについて日本版BADS(遂行機能障害症候群の行動評価)などを用い実行機能の検査を行い、各群の違いについて調べました。その結果、知的障害を持った性非行少年は、注意の転換、処理速度、ワーキングメモリ、展望記憶において、知的障害をもった性非行以外の非行少年よりも有意に低得点でした。一方で、知的障害を持たない性非行少年においては性非行とそれ以外の非行を行った少年の間で検査結果に有意な差はみられませんでした。

 

これらの結果により、①性非行少年の神経心理学的な特徴は低IQのときのみ現れること②それらの特徴(機能障害)は脳のある特定領域の障害ではなく複数の領域の障害(ネットワーク不全)が想定されること③彼らはまだ年齢の浅い低IQの少年であり、IQが高くなればそれらの特徴が消えることから、何らかの発達上の問題が関係している可能性があることが考えられました。つまり、「性犯罪はある種の発達上の問題ではないか」という仮説です。それを裏付ける報告もいくつかあるそうです。

 

しかし、性非行少年には幼少期の虐待被害などといった、環境因や成育歴も脳機能に少なからずダメージを与える場合がありますし、性犯罪の種類も多様です。そのため、性犯罪を発達上の問題として扱うには、まだまだ調査・研究が必要です。しかし、もし、可塑性のある脳の問題が性非行・性犯罪につながっている可能性があるのであれば、彼らの治療に対しては従来から行われてきた認知行動療法を主とした各種の性非行防止プログラムに加え、処理速度やワーキングメモリ、注意の抑制などを向上させるような、認知機能トレーニングの併用も必要ではないのか宮口氏は言っています。

 

これまで宮口氏の本を中心に非行少年についてみていきましたが、その犯罪の裏には脳の知的障害というものが隠れているというのがかなりクローズアップされます。もちろん、ここで出てきた事例は一部のことであり、非行少年すべてに当てはまっていることではありません。しかし、こういった認知機能の遅れの内容を見ていると、乳幼児期の保育でも、まだまだやることややらなければいけないことが多いように思います。特に非認知機能におけるアプローチはもっと考えていかなければいけないのだろうことはこの本からも見えてきました。

脳の機能障害と凶悪犯罪

コグトレのような認知機能トレーニングは犯罪を減らすことにも繋がります。凶悪犯罪の中には、生活歴や性格の問題以外にも、脳機能障害の問題が避けて通れない事件もあるからです。

 

2001年に大阪教育大学池田小学校事件では、宅間守死刑囚は精神鑑定がされました。それによると脳MRIが施行され、中脳左外側部に星細胞腫が発見されたことや、他の検査(脳SPECT〈脳血流断層撮影〉など)で前頭葉機能の低下が指摘されました。また、前頭葉機能の実行機能のうち「変化する環境の下で認知的戦略を変化させていく能力」の障害の可能性も示唆され、「前頭葉に何らかの障害がある可能性を示唆する所見はある。人格や精神症状との関連については今後の精神医学的研究に期待したい」と書かれていました。

 

1966年米国テキサス大学の糖の上から銃を乱射して17人を射殺し、負傷者32人を出した凶悪殺傷事件の容疑者チャールズ・ホイットマンは当時25歳でしたが、事件の前日に手紙をタイプしていました。そこには恐怖と暴力的衝動に苛まれており、激しい頭痛にも悩まされていたこと、自分の死後、遺体を解剖して何か身体的な疾患がないか調べてほしいことが記されていました。遺体の解剖の結果。脳の深部に胡桃大の悪性腫瘍がはっけんされ、それによって暴力的衝動を抑制する能力が阻害されていた可能性が浮かび上がったのです。

 

また、他にも脳機能、特に機能低下と反社会的行動との関連性を考える上で有名なのが、フィニアス・ゲイジの症例です。彼は当時鉄道敷設の現場監督をしていた当時25歳の時は、働き者で人望もありました。しかし、火薬の不意の爆発事故で吹き飛ばされた鉄棒が、ゲイジの前頭葉を貫通しました。片方の眼球は損傷したものの一命をとりとめたゲイジは回復し、12年間生き永らえましたが、ゲイジの人格は一変し、気まぐれで、礼儀知らずで、ときには冒涜的な言葉を口にし、同僚にもほとんど敬意を示さなくなったのです。また、欲望に対する抑制もできず、しつこいほどに頑固で将来の計画もできなくなりました。彼の死後、ゲイジの頭蓋骨と標準的な人の脳MRI画像を重ねあわせると、左右の前頭前皮質の損傷と、それが引き起こす合理的意思決定や感情の課程に障害をもたらす可能性があったことが報告されたのです。

 

米国ジョージタウン大学医学部教授ジョナサン・」ピンカスはその著書「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の秘密」の中で、殺人犯の神経学的損傷が疑われる具体的症例を多数挙げています。ピンカスは殺人犯の検査において、大多数に前頭葉に神経学的損傷が疑われる形跡があるとし、脳機能障害(特に前頭葉)だけで犯罪に結びつくわけではないものの、脳の「神経学的損傷」「被虐待体験」「精神疾患」の3要因がそろった場合、犯罪に結びつくリスクが高いことを警告しています。

 

こういった症例はほかにもいくつか出ています。

コグトレ

非行少年たちの特徴に認知機能が低いことがいわれています。そして、それが学習へのつまずきにつながっているのですが、では、認知機能は向上させることはできるのでしょうか。宮口氏はこの認知機能向上のための治療教育について「コグトレ(認知機能強化トレーニング)」を紹介しています。そのコグトレとはどういったものなのでしょうか。

 

コグトレは認知機能を構成する5つの要素(記憶、言語理解、注意、知覚、推論・判断)に対応する、「覚える」「数える」「写す」「見つける」「想像する」の5つのトレーニングからなっています。教材はワークシートを利用し、紙と鉛筆を利用して取り組みます。

 

1つ目は「写す」を行うもので、内容は「点つなぎ」です。これは視覚認知の基礎力を付けます。ほかにも、見本の星座を写すのですが、写す側の台紙が回転してくるものや鏡面や水面ではどう見えるかを想像し写すものがあります。

 

2つ目は「覚える」を行うもので、「最初とポン」と言ものです。出題者が3つの文章を読み上げ、対象者に最初の単語だけを覚えてもらいます。ただし、動物の名前が出たら手をたたきます。これを通すと、例えば、授業中に先生の話を聞いている途中にちょっかいを出してくる子がいます。そうするとそちらに気がとられて先生の話を聞き逃す子が出てきますが、こういったトレーニングを通すことで、先生の話をしっかりと聞く力が付きます。ちなみにこの「最初とポン」と定期テストの関係を調べたところ、国語と算数の点数との関連において、かなり高い相関があったそうです。つまり、テストの点数が高い子は「最初とポン」もよくできたのですが、逆であるとテストの点数はあまり良くない子は、この「最初とポン」においても成績は良くなかったのです。こういったゲームは聴覚のワーキングメモリをトレーニングすることにつながります。

 

3つ目は「見つける」を行うもので、「同じ絵はどれ?」といったものでした。複数の絵の中から同じ絵を2枚見つけるものです。

 

4つ目は「想像する」を行うもので「心で回転」です。ある図形を正面から見たときと、右側、反対側、左側から見たらどうなるかを想像する課題で、相手の立場にたってみる練習です。これにより相手の気持ちを考える力につながる可能性もあるのです。

 

ほかにも新しいブレーキをつける方法として、「数える」ことを行う「記号探し」があります。例えば、いろんな果物が並んでいる中でりんごの数を数え、そこにチェックをつけます。しかし、そのりんごの左側にある決めれた果物(たとえば、みかん、メロンなど)があった場合、数えず、チェックも加えません。つまり、ここでは、しっかりとブレーキを掛けなければいけないので、ブレーキの弱い子どもに新しいブレーキをつけることができる訓練になるのです。非行少年たちにとっては、このブレーキの力が弱いことが言えるのではないかと考える宮口氏は、教育によって「被害者の気持ち」や「命の大切さ」「またやったらどうなる」を教えてもなかなか「人を殺してみたい」という衝動は消えなかったのです。そのため、こういった自分でブレーキを掛けるという力が必要であり、宮口氏はこういった指導を通して、殺したい衝動にブレーキを掛ける練習をさせたのです。もちろん、この「記号探し」のトレーニングだけで解決はしませんが、従来の矯正教育だけではなく、こういった認知トレーニングも組み合わせる必要があると言っています。

 

これらの認知トレーニングにおいて、幼児の環境にも「点つなぎ」や「間違いさがし」などのものは置かれていますし、「いまさら」という感も受けます。しかし、逆を返せば、非行少年たちはもしかすると、学校教育に入る前に、しっかりとこういった遊びを通して学ぶという環境が少なかったのかもしれません。私は、子どもたちは遊びの中から様々なものを学んでいると思っています。それは大人が教えるものよりももっと豊かなものでもあると思います。宮口氏はこのコグトレを子どもたちにしてもらった中で、どの子どもたちもかなり楽しんでやってくれると言っています。なぜならそれは「学ばなければいけないもの」ではなく、「遊びを通して学ぶ」ものだからです。そして、もし「難しい」という子どもがいたら、それは難易度の設定が不適と考えられ、易しい課題から取り組ませればいいといっています。コグトレは学習の土台になる認知機能を学習と感じずにゲーム感覚で向上させ知らず知らずのうちに学習の土台を固めるものだと言っています。これはまさに乳幼児教育における課題でもあるのです。宮口氏が言っているコグトレは乳幼児教育でこそ、必要なものなのかもしれません。

自己評価の向上

少年院に来ている少年たちは自己評価が低いことが多くあります。そういった子どもたちは何をやるにしても否定的で、「どうせやっても無駄」と言って、最初から何もやろうとしません。なぜなら学校の勉強で何度も挫折して、すっかりやる気をなくしているからです。しかし、宮口氏はそういった少年たちが劇的にやる気を出すように変化した様子を目の当たりにします。

 

当初、宮口氏は少年院に来ている子どもたちは勉強が苦手で、認知機能も低い子どもたちということはわかっていたので、認知機能向上を目指したトレーニングのグループにいれて、トレーニングをしようとしました。賢くなれるトレーニングだから、きっと少年たちも前向きに取り組むだろうと思っていたのですが、その予想は大きく覆されます。少年たちのなかには宮口氏の指導を無視したり、中には妨害するような少年も出てきました。もちろん、その中には真剣に取り組む子どもたちもいたのですが、やはりそういった雰囲気になると白けてしまうのです。

 

もともとが勉強嫌いの少年たちです、宮口氏も半ば「やはりだめなのだ」と思い、指導するのも嫌になり、投げやりになったそうです。そして、とうとう教えたり問題を出したりするのをやめ、文句を言っていた生徒に「では、代わりにやってくれ」と彼らを前に出させ、宮口氏は生徒側の席に移りました。その時は、彼らに自分の苦労を体験させようと思ったそうです。ところが、予想は宮口氏の思いに反して、「僕にやらせてください」「僕が教えます」と先を争って前に出てきたそうです。そして、とても楽しそうに問題を出したり、答えを求めたりしたそうです。前に出ていない少年らも、同じ立場の少年から出された問題に答えられなくては恥ずかしいし、自分が前に出たときに無視されたらいやなので、双方どちらも皆真剣にトレーニングに参加するようになってきたそうです。結果、少年たちはその時間を楽しみにするようになり、全体の雰囲気もがらりと変わりました。

 

宮口氏はその時に、少年たちに「教えるんだ」という視点ではダメなんだと思ったそうです。特に、少年院にいる少年たちは「こんなのも分からないの?」と言われ馬鹿にされてきた子どもたちです。自分たちも「人に教えてみたい」「人から頼りにされたい」「人から認められたい」という気持ちを強く持っていること知ったと言います。そして、それが自己評価の向上につながっていくのです。そして、その意識があることで、次第に勉強へのやる気っも出てくる可能性があるのです。

 

「人は教えてあげたくなる性質がある」そうです。もしかすると、私たち人類はそういった普段からの情報共有をすることで情報を「知識として得る」ということだけではなく、こういったやり取りを通して「自信をつける」ということをコミュニケーションの中でもおこなっているのかもしれませんね。そう考えると昨今の、一方的に情報が伝達される今の学校現場における形態は限界にきているのかもしれません。それよりもお互いが教え合ったり、見あうといった勉強の形態を作ることの方がより充実した教育形態になっていくのかもしれません。非行少年たちの事例は決して特別なことではなく、今求められている学校現場の環境においての問題提起になっているようにも思います。