頭の中の会話

幼児は他の子どもが壁を向いて椅子にジッと座った子どもの様子をみて「何もしていないし、何も見ていないから、頭の中も空っぽ」と言いました。しかも、そうなるのは他者だけではなく、自分の心についても何時間でも「空っぽ」になれるというのです。それがどう見ても何か考えているはずのときでもです。他にもたとえば、4歳の子に30秒ごとにベルが鳴るのを聞かせてから、音をぴたりと止めたとします。すると子どもはびっくりします。ところが、「今、何か考えた」と聞くと「ううん、何も」と答えたのです。音が止んでいた間、ベルのことを考えたかと聞いても「考えなかった」と答えたのです。

 

これがもっと年長の子どもになると、大人と同じように、「今、ベルのことを考えた」「なぜ鳴らないんだろう」と思った、「また鳴るのかなと思った」「また鳴るのかなと思った」という答えがかえってきます。ところが幼児は、考える対象がないときは、何も考えていないと信じているのです。これは大人のように途切れることのない意識の流れといった自意識とは大きく異なります。幼児期の子どもたちにとっては、意識というのは途切れているように感じているのです。

 

さらに、絵や文章ならよく理解できる幼児でも、視覚的なイメージや内語は体験していないようです。たとえば、「声に出さずに、頭の中で答えてね。あなたのお家では、どこに歯ブラシがありますか?」と聞くと、大人はたいてい、家の中のイメージと洗面所という言葉を思い浮かべます。ところが、4歳児はそんなイメージも言葉も浮かばないと言います。ですが、これを声に出して答えさせると、歯ブラシは洗面所にあると、正しく答えるのです。

 

大人はこういった質問に対して、頭の中で一度反芻するように言葉や意味を思い浮かべ、判断を考えます。しかし、幼児においては頭の中でしゃべるということができないのです。確かに、幼稚園においても子どもたちに質問するとたいていの子どもが、思ったように質問に答えます。考えて答えたというよりは衝動的に答えているようにさえ思います。そこにはここにあるように頭の中で一度質問は繰り返し考えるというよりは、質問を考え、答えるというシンプルな構造で話しているのかもしれません。

 

ただ、そういった頭の中でしゃべるということができない幼児であっても、頭の中で声が聞こえるイメージだけは持てるということをフラベル夫妻は言っています。また、幼稚園児はその他の点では、思考というものをよく理解しています。何かを決めたり、何かのふりをしたり、問題を解くときには頭が働くのだというのはわかっているのです。人が何かを考えている状態は理解できていますし、、何を行動していなくても頭が働いている場合があることわかっています。しかし、思考は外から誘発されるだけではなく、心の中から沸き起こることもあるということはまだわかっていないのです。

 

これは面白いですね。保育に照らし合わせてみても、思い当たることがたくさんあります。子どもたちが割と衝動的に動くというのはこういった頭の中での会話がないということも大きく関わっているのかもしれません。