幼児期の自分の影響

次にゴプニックは「人間は一生変わらないものだろうか」と最古の哲学者であるギリシャのヘラクレイトスの言葉を挙げています。つまり、人格の同一性とは何か。時が経過しても人格は保たれるのか?それはどのようにしてか?ということを挙げて話を進めています。人の性格は一生同じなのでしょうか。それとも変わることができるのでしょうか。このことも割と話題に上がってくることが多い話題です。このことについて「わたし」を「わたし」たらしめているものは何であるのでしょうか。「わたし」は障害変わらない、といったとき、そこにはどんな意味が込められるのでしょうか。

 

では、子どもはまずどのように「わたし」や「ぼく」をいつごろから認識するようになるかというと。4歳・5歳頃になると、自分の過去と未来をつなぐ物語をつくれるようになると以前紹介しました。おでこにシールをつけた子どもの例で、おでこにシールがついた「ぼく」、ビデオを見ている今の「ぼく」、砂漠でサングラスが必要になる「ぼく」を同一のものとして理解できています。このように同一視ができるようになるのは、子どもが自伝の主人公である「わたし」を育てることで身につくと紹介していました。こういったことが理解できていくことで、「マシュマロ実験」の実行機能のような未来の自分のために、今の自分をあえて欲求不満にさせることができるようになることができるようになるのです。そして、成長とともに、マシュマロ実験のような直近の未来から、全人生における広がりを見せていきます。このように幼児期と成人期を結ぶ一つの物語があるかのように人生を生きることが人格の同一性の本質ではあるような気がするとゴプニックは言っています。かつての自分を知っているから、今の自分がなにものであるかが分かるというのです。

 

このことを踏まえて考えていくと、幼児期の体験は後の人生にどのように影響していくのでしょうか?という疑問がわきます。これは保育の中でも非常に大きなウェイトを持つ問題です。子どもたちにとって親の影響が後の将来にどのように影響するのか。子どもの幸せのために、自分は何をするべきなのかといった悩みは親のみならず、保育者や教育者は一度は必ず考えたことのある悩みではないでしょうか。だれもが子どものときの体験が今の自分を形づくっていると感じているのです。ゴプニックはフロイトの理論が科学的に否定されているにも関わらず、未だ根強い人気があることや、自己啓発本や子育ての本から暗い子ども時代の回想記までもがもてはやされているのはこういった考えの土壌があるからではないかと言っています。

 

しかし、その一方で、幼少期以外の後年の出来事が、幼児期の体験を上回る影響をもつということも知っています。幸せな結婚、恵まれた仕事、1人の良き友人といったこれまで出会った人との経験が人をみじめな過去から救ってくれるというのです。そのため、自分の力で人生を切り拓けば「幼児期決定論」にも打ち勝てると信じているということも言えます。つまり、「立ち直る」ということも幼児期の体験とは逆に信じられているのです。

 

この二通りの説においても、多少の裏付けはあるようです。しかし、科学的に詰めていくと、いずれも単純すぎることがわかるとゴプニックは言います。しかし、現実はもっと複雑だというのです。なぜなら、ヒトは自分の置かれた環境を変革する力を持っているからです。

 

しかし、幼児期の自分が後の大人になった自分の一部を占めているというのは紛れもない事実です。しかし、それは幼児期の体験が今の自分を決定しているとは言えないのではないかとゴプニックは言います。大人の自分の中に、幼児期の自分が含まれているにすぎないというのです。