幼児の意識

大人は限られた出来事に注意を集中し、自分の目標や計画と関係ないことまで学ぶことは避けます。そのため、自分に有益な情報とそうではない情報をあらかじめ見分けます。このように有益な情報は取り入れ、無駄な情報は抑圧します。これに対し、乳児はできるだけ多く、できるだけ早く学ぶことが課題になります。それは世界の正確なマップをいち早く作らなければいけなく、学んでは推論し、マップを描いては反実仮想をし、特定の計画や目的にとらわれず、情報を取り込み続けることが必要になるのです。

 

では、幼児はどうなのでしょうか。幼児の場合、乳児と違い言葉を覚えた幼児なら、乳児のような特徴的な意識や関連した能力に着目するといったような間接的な方法に頼らずとも、直接本人に聞いたらいいのです。それをしたのが、「フラベル夫妻」です。夫妻によるとわたしたちが意識について自明と思っていることが、幼稚園児にとっては一つとしてそうではなかったのが分かったそうです。

 

幼稚園児は注意について大人と非常に異なる考えを持っています。そもそも幼稚園児は注意の焦点というものがわからないらしいのです。フラベル夫妻の奥さんエリーはシンプルなフレームに映った幼稚園児の写真をじっと見ている様子を子どもに見せます。そして、その後、写真に写っている幼稚園児を指差し、それぞれがどんな子かを説明します。次に、幼稚園児に向かい、エリーは今、写真の子どもたちのことを考えていたのかな?と質問すると、全員が「考えていた」と答えます。ところが、エリーはフレームのことを考えていた?と聞くとこれにも「考えていた」と答えます。園児たちはエリーがあらゆることを考えていたわけではないと分かっています。その証拠に、隣の部屋の椅子のことは考えていた?と聞くと「考えていない」と答えるのです。つまり、実際に見えているものは、なんでも考えているはずだと信じているのです。そのため、見えていてもそれに気づかないという現象を理解できません。これは意識ということがよくわかっていないという説明もできるかもしれません。しかし、とらえかたによっては、子どもの意識は、本当にエリーの意識とは違うという説明もできるのです。子どもの意識は大人のように焦点が絞られていないというとも言えます。意識体験を子どもから直接聞くことで、子どもの意識が大人の意識と非常に異なっている可能性が見えてきます。

 

つまり、これは幼児期であっても、まだ、乳児のように一つのことに絞られた意識ではなく、注意が四方に向かっているということなのですね。よく絵本を見ているとき、大人は字を見て、絵を見ると言います。一方で子どもは絵を見て、字を見ると言われています。注目点の違いが興味のある方向から得ている証拠でもありますし、実際、絵の細かいところまで観察するのは大人よりも子どもたちの方が得意です。