心の世界と因果関係

子どもたちは物理的世界や生物学的世界の因果関係をどうやって知り、そこからどんなふうに反実仮想するのか。つまりどのように想像をめぐらし、可能性を思い描くのかということをこれまでアリソン・ゴプニック氏の話をもとに紹介しました。子どもたちは様々な因果関係が分かると、実際に起きたことだけなく、起きていない事態も思い描けるようになるのです。つまり、その予測ができるようになると言います。

 

次にゴプニックは「予測」といったものだけではなく、もう一つ世界の因果関係の知識とそこから生まれる想像について紹介しています。それは「心の世界」です。子どもたちはこの世界では物の理論ではなく心の理論を、素朴物理学ではなく、素朴心理学を学んでます。子どもの生活にはむしろ、これまでの予測といった知識よりもこちらの心の世界の知識の方が大事かもしれないとゴプニックは言います。

 

なぜなら、人間のような社会的な動物にとって、他人の行動を理解し、それを変えようと働きかけることは、物質の仕組みを理解し、それを変える以上に切実なことだからです。人類学者の多くが、「マキャベリ的(権謀術数にたけた)知性」の発達こそ、人間の認知能力を進化させた原動力だと言っています。このことについて、ゴプニックは「人間は弱い生き物でひとりでは生きられません。生き残れるかどうかは、望んだことを他人にしてもらえるかどうか、他人と同盟を結び、連携し、チームを組めるかどうかにかかっています。」と言っています。人は厳しい自然環境の中で生き残っていくために集団を形成して生き残っていくという戦略をとりました。人と協力することで問題を解決してきたのです。そのため、集団を形成するために社会性を持つことが必要になります。このことに人が因果関係の知識とそこから生まれる想像が関係してくるのです。

 

ゴプニックは心の世界の因果関係や他人の行動を理解し想像する能力はフィクションを捜索する大人の作家や詩人、俳優、映画監督に求められる能力と同じと言っています。それは子どもたちの遊びの中でも繰り広げられています。それが「ごっこ遊び」です。そのなかでもゴプニックが注目しているのが「空想の友だち」つまり仮想の存在が出てくるごっこ遊びです。これは人間特有の社会性と情緒がベースにある知的な遊びだと言っています。空想世界に遊ぶ子どもは、世界の仕組みを探求する小さな科学者の別の姿で、その自由奔放な遊びは未熟なままで守られる長い幼児期を持つ人類の進化戦略に組み込まれているものなのだと言っています。

 

確かに、私も小さい頃は何かを想像して遊ぶ、いわゆる「見えない敵と戦う子」でした。しかし、考えてみるとなぜ、そういった遊びをするのでしょうか。幼稚園の子どもたちを見ていても、人形に語りかけ人格あるものとして遊んでいます。歴史的にも、地域的にも、こういった人形遊びというのは幼児期の子どもたちにとっては大体あるものです。当たり前すぎてそのことに疑問を持つことがなかったですが、一体、そういった人形や空想をもって遊ぶということにどういった意味があるのでしょうか。